有名な画家の作品展は思ったよりも人が少なかった。高いヒールの音がやけに目立って歩く度になんだか申し訳ない気分になる。
ひとつひとつの作品を時間をかけて鑑賞したのは、その芸術性に感動したとか奥深いメッセージ性を読み取ったとかそういうわけではない。ただ靴擦れが辛くてなかなか歩を進められなかっただけだ。

「あっ、」

思いがけず出た声が響いて妙は罰が悪そうに口元を覆う。こんなところで出会うはずもない人物と出会ってしまったのだ。

「坂田先輩」
「よお」

自分よりもこの場所には相応しくない人物だった。スーツ姿の男は妙の会社の先輩で、明日九州の出張から帰って来るはずなのだが。

「か、帰るの明日じゃなかったですか?」

妙は周りを気にして小声で坂田に問いかけた。

「ああ、早まった。急遽帰ることなっちまってよォ。コレ今日までだったから寄って行こうかと思ってな」

コレ、と出したのは美術館の半券だ。実は妙も坂田も上司から貰ったのだ。二人で行ってきたらどうだ、と朗らかに笑って言われたけれどそんなふうにあからさまに言われるとなかなか誘えないものだ。なぜか会社の同僚たちは私たちをくっつけようとする傾向がある。

「考える事ァ一緒だな。お前も慌てて今日見に来たんだろ?どうせわかんねえもんな、芸術のことなんか」

はははと笑いながらネクタイをゆるめる。妙はむっとして坂田を睨みつけた。

「まあ、あれだな。折角だし晩飯でも…」
「先輩と一緒にしないでください」
「は?」
「私は時間がなかったからたまたま最終日に来ただけです。先輩は勿体ないから出張帰りに寄っただけでしょ。」
「はァー、また可愛げのねえこと言うな、お前は。ちょっとは他の女の子たちみたいに素直になれねえの?」
「他の女の子たちって誰ですか?あれですか。受付のユリちゃんですか。それとも秘書課のマミちゃんですか」
「どっちもお前よりは可愛いことは違いないね」

けっ。と、横を向いて口を尖らせた。彼が顔を向けた先にある絵画のきれいな女性がユリちゃんだとかマミちゃんだとかに見えて私の苛立ちは増していく。ああ、まただ。またこうやって口喧嘩が始まる。だけど、今更どうにも止められそうもなかった。

「可愛いくなくてすみませんね。どうせ九州でだって美人なお姉さんと遊んでたんでしょう」
「接待なんだからしょうがねえじゃん」
「本当に行ってたんだ。キャバクラですか?いいですねえ。出張だなんて銘打って女遊びじゃないの」
「人聞き悪い事いうな。ちゃんと仕事してたっつうの。だいたい俺ばっか女にデレデレしてるみたいに言うけど、お前こそあれじゃん。丸々商事のあの営業のチャラい奴に可愛いとかなんとか言われて舞い上がってたじゃねえか。」
「はあ?わたしがいつ舞い上がったんです」
「舞い上がってましたァ。言っとくけどな、あんなもんただの営業トークだからね。息を吐くようにお世辞言うからね。本気にしない方がいいよ」
「あら先輩こそ。受付嬢も秘書もみんな愛想が良くて優しいけど、誰も先輩の事なんて相手にしてませんから。全員高スペックの彼氏持ちですから」
「つか彼氏いねえのお前くらいだろ」
「なっ…!」

あなたに言われたくありません!!
ビシっと人差し指をつきさして言おうとした時だった。いつの間にか二人の前に立っていたスタッフが苦笑いをしている。

「お客様、館内はお静かにお願いします」






「先輩のせいで居づらくなっちゃったじゃないですか」

大人になって作品展で騒ぐなんて恥ずかしすぎる。揃って展示会場を後にした二人の頭上にはチカチカと星が瞬いていた。入った時は夕焼けであったのに、もう夜の匂いは濃くなって指先に当たる風が冷たかった。

「お互い様だろ。あー、もう腹へったわ。居酒屋でも行こうぜ」

靴擦れが、とにかく痛い。会社にいた時はそんなに感じなかったのに今はとても痛かった。出来るならどこか座れるところに入りたいと思っていた。しかもお腹も減っている。彼の提案に、わたしは黙ったままこっくり頷いた。
居酒屋だなんて、トコトン色気がない。坂田はわたしとの間に色気を漂わせようとなんてしないのだから当然だ。ユリちゃんやマミちゃんや、はたまた九州の美女とならオシャレなレストランへでも行くだろうか、と考えて気落ちしてしまう。ああ、やっぱり今日もうまくいかなかった。

「本当になんにもわかってないんだから」

妙はカバンの中にある新しいチケットのことを思った。今回の作品展は誘えなかったから、と次は自分で買った別の展覧会のチケットだった。明日出張から帰ってきたら今度こそは素直になろうと決めていたのに。なのに、なのに、なのに。
高いヒールは履き慣れない。可愛い女の子になれない。何故こうも上手くいかないのだろう。何故顔を合わせれば口喧嘩ばかりしてしまうのだろう。靴擦れが痛い。もう今後一切この靴は履かない。明日はいつものパンプスに元通りよ。はあ、と深いため息をついて、それが後ろの坂田に聞こえなかったことを祈った。


「…それもお互い様だよ」

坂田は前を歩く妙の足元を見てため息をついた。痛みを気丈に我慢しようとしているが、わずかに片方の足を庇うため足取りが不安定だ。

(お前だってなんにもわかってねえよ)

尻ポケットに入れた財布に二枚分のチケットが入っていることを彼女は知らない。どうやって誘おうか考えていた事や結局誘えないまま出張が決まって落胆した事も知らない。その出張をわざわざ繰り上げて、もしかしたら一人でここに来ているのではないかと期待したことも、その読みが当たって内心とても喜んでいたことも知らない。受付のユリちゃんや秘書課のマミちゃんや九州のキャバ嬢よりも、誰に一番会いたかったのかなんてことは、当然のごとく知るわけがない。
ハア、とため息をついて妙の横に立つ。どうやったらうまく行くだろうか。とりあえず今はなにも言わずに彼女の歩幅をゆるめることに努めようと思った。


( ( 明日こそは。) )


意気込んで、ちらりと盗み見ると相手もこちらを見ていたので慌てて視線を逸らす。
結局二人にとってこの年の秋は、いくつかの作品展と展覧会へ行く事となり、随分と感性の深まる季節となった。

芸術の秋


ニーナ(2014/10/16)

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