銀時と妙


はじめてついた嘘は何だったろう。いつ、どこで、誰のためのものだったろう。ふと考えることがある。もちろんそんなこと覚えているはずもない。だけど一つどうしても忘れられない嘘があった。ある日、近所のおじさんに話しかけられたときのことだ。お嬢ちゃんは嘘ついたことなんかないよねえ?その人は父と世間話をしていて、恐らく大人同士の会話の中で出た話題に関することを子供の私に振っただけの軽いものだったはず。だけど私は咄嗟に言った。うん。ないよ、おじさま。わたし嘘なんかついたことない。その瞬間思った。あ、今わたし嘘ついた。おじさんはにっこり笑って頭を撫でた。偉いねえ。嘘つきになっちゃいけないよ。

はい。

はい、おじさま。

そのことを嘘だと思うなら、それ以前に私が嘘をついたのだという何よりの証だ。

わたしは、きっとそれから嘘ばかりついている。




「さむい」

彼がこの町を去ったのは、凍えるような冬の夜だった。わたしはその日どうやっても寝付けずにいてほとほと困ってた。明日は大切な日なのに眠れない。身体が芯から冷えきっている。布団に潜っても、熱い湯船に浸かっても、温かいものを飲んでもダメだった。寒い。
そして何を思ったか、わたしは外に出た。部屋を出て、玄関を出た。何かに呼ばれるように足は進んだ。門を出たら、左を見て、右を見た。そこに男の後ろ姿があった。見間違うはずもない。坂田銀時だ。

「銀さん」

彼が振り返る。表情が読み取れない。それって夜の暗さのせいなのだろうか。目を細めた。だけどやっぱり見えない。

「こんな遅くにどこへ行くっていうんです」

鼓動が早くなった。

どれだけ強く握っても指は一向に熱を有しない。彼との間にあるのは痛い沈黙だけだった。
ねえ、どうして黙りこくっているの。ただでさえおしゃべりな、口先だけで生きてるようなあなたが、どうして。

「銀さん」
「…」
「ねえ」
「…だれも」
「え?」
「誰もいない町」

なに、それ。どういうこと。
笑おうとしたけれど、全然上手くいかない。かおの筋肉が固まったみたいだ。

「…町には誰かがいるわ」
「知ってる奴が誰もいない町」
「どうして」
「もういられないんだ」
「どういうこと」
「いられないんだよ」
「いつ、帰ってくるの」
「帰ってくるつもりはない」
「…ずっと?」
「ああ」

なに。じゃあこれは、今生の別れっていうこと。おかしいわ、そんなの、だって。

(こんなに冷たい夜に?)

新ちゃんや神楽ちゃんはどうなるの。お登勢さんや真選組の人は知ってるの。この町は。みんなは。わたし、は。私はどうすれば。

「お妙」

わたし、だって銀さん、わたし、明日。

「おまえ震えてる」

こちらへ伸ばした銀さんの手が、私のこめかみを通り過ぎて後頭部へ到達する。いつの間にこんなに近くにいたんだろう。

「ぎ…っ」

すばやく髪留めを外したその手で、胸へと抱き寄せた。強い力だった。痛かった。閉じ込められたまま私は硬直する。

「お前がどうしてずっと寒いままなのか教えてやるよ」

苦しい。痛い。押し付けられた左耳で鼓動が聞こえる。彼のものだ。
ああそうだ。じわりと目が熱くなる。涙が出そう。わたし、この心臓が欲しい。

「眠る気がないんだよ」
「…」
「だって髪を結んだまま眠れないだろ」
「…っ」
「祝言、行けなくてごめん」
「銀、さ…」
「もう大丈夫だ。寒くねえし、ちゃんと眠れる。お妙」

寒い。痛い。苦しい。ちがう。熱い。

「お前の幸せを祈ってる。ずっと」

低い声が耳元で囁く。鼓膜を通って身体の中に落ちた。それは祝福の言葉なんかじゃない。私を突き刺す呪いの言葉だ。
熱い。熱い、あつい。
何をしても寒かったのに、彼に触れるだけで熱が生まれた。いやだ、どこにも、行かないで。だけど先に行ってしまうのは私のほうだ。祝言は明日。彼とは違う人の元へ行く。

「じゃあな」

するりと髪をといて、そのまま風みたいに去ってった。私の髪留めを奪ったまま、彼はこの町を出て行った。
わたしはその時思った。もう彼には一生会わない。
追うことは出来なくて、中に入って横になってもやっぱり眠れなかった。嘘つき。眠れないじゃない。そのまま朝を迎えたけれど、太陽の光が責め立てるみたいに廊下を照らしてた。もうあの人はどこにもいない。わたしの世界の、もう、どこにも。



「あ、おはようございます姉上。よく眠れましたか」
「おはよう新ちゃん。ええ、ぐっすり眠れたわ」

ひとつ。

「こういうのも、今日が最後なんですね。寂しい…なあ」
「そうねぇ、本当に。」
「でも、変わりませんよね何も」
「ええ、その通り。なんにも変わらないわ」

ひとつ。

「あ、電話だ。はいはい。…はい、もしもし志村です。あ、神楽ちゃん?おはよう。え?なんて?どうしたの?は?銀さんがいない?落ち着いて、僕は知らないけど…あ、ちょっと待ってて神楽ちゃん。…すいません姉上、銀さんが万事屋にいないらしくって、その、荷物もないらしいんです。何か知りませんよね?」
「…ええ」
「あねうえー?」
「ええ、新ちゃん。わたし、何も知らないわ」

またひとつ。

「きっとどこかで飲み歩いているのよ。ごめんなさい、私ちょっと支度をしなくちゃ」

部屋に戻って鏡台の前に正座した。青白い顔がこちらを見ている。試しに問いかけてみた。ねえ、貴女いま幸せ?

「とても幸せ」

ほらまたひとつ。息をするみたいに嘘をつく。わたしはあと何度嘘をつくのだろう。いつまでそうしていれば、真実を伝えられるのだろう。
本当は、本当に、彼を愛していたっていうのに。

もう会えない朝は、残酷なほどの快晴だった。


虚言癖
(生きるほどに嘘が増えるのね)



ニーナ(2014/6/22)
(修正2020/2/25)




back

[TOP]












×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -