銀時と妙


息を吸う。冷たい空気が体内に入ってゆき、ぞくぞくと首のあたりが寒くなる。ううさむい。長引く仕事を終えて街に帰ってくるとすっかり日付が変わっていた。暗い街は普段慣れ親しんでいるからこそ余計寒々しく、やたらと冷淡だ。追い打ちかけるように雪まで降り出した。なんだってんだよ畜生。銀時は無意識に腕を組んで多少なりとも体温が下がらないようにと肩をすくめた。帰ったら贅沢してやる。暖房でぬくぬくにした部屋の中で更にこたつに入ってやるんだ。そしてココアでも飲みながら幸せに眠りたい。悲しい贅沢を妄想しながら家路を急いでいると、前方からふらふら揺れる何かが現れた。んん?と目をこらす。白い、小さな、おばけ?

「いやオバケとかいねえから」

思わず浮かんだ単語を間髪入れずに否定する。ははは、と引き攣って笑いが出た。別に怖いとかそういうんじゃない。断じてない。

「銀さん?」
「うわぁっ!」

暗闇から名前を呼ばれ、心臓がキュッと縮こまる。さっきの揺れる白い何かが街灯の下まで近づいたと思うと、それを持つ人物も一緒に照らされた。

「お、おお、お妙?」
「お妙ですけど。何をそんなに怯えているんです?」
「はっ…怯えてねえし。つーか何してんだよお前」
「仕事帰りです」
「仕事って、スマイルこっちじゃねえじゃん」
「別のお店のヘルプに行ってたんですよ。風邪の子が多くて、ここ最近15連勤。やっと休みなの。すっごく疲れてるの。今にも倒れそうなくらいなの」
「あ、そう。おつかれ」
「…」
「な、何だよ。送れってか?」
「違いますよ。どうせスクーターないんでしょ」

スクーターのない俺に用はねえってか。面白くなさそうに目を細める銀時に、しかし妙はジロジロと視線をやった。

「そういえばここからだと万事屋のほうが近いですよね」
「は?」
「うちに帰るより万事屋の方が近いですよね」
「はあ。え、だから?」
「ちょっとお布団貸してくれません?」
「‥ぁあ?」
「だってもう歩くの疲れた」
「いや知らねえよ」
「早く寝たいし」
「だからって何でうちなんだ」
「大丈夫ですよ。襲ったりしませんから」
「おい」

軽く睨むと、妙はちぇっと口を尖らせる。

「はいはいわかってますよ。言ってみただけじゃない。それではサヨウナラ冷たい銀さん」

嫌味たっぷりの挨拶を残してまたふらふら歩き出す。その手に銀時は自然と視線が行った。そうだ。白くて小さなオバケ。正体はコンビニのレジ袋だった。

「なあ」
「はい?」
「あ、いや…それなに?」

妙はだるそうに振り向き、眠そうに瞬きをした。珍しい姿だ。どうやら本当に疲れているらしい。

「ああ…これ」
「うん」
「…絆創膏を買おうと思って」
「絆創膏?」
「最近手荒れが酷くて、さかむけ。痛いんですよ。血が出るし、いじってたらまたむけるし。痛いし、しみるし。そういえば絆創膏切らしてたなーって思って、あーコンビニ寄るの面倒だなーって思ったんだけど、明日は一歩も外に出たくないから今買っとこうって決心して行ったんですよ。コンビニ。偉くないですか?わたし」

言いながらガサガサとレジ袋を開けて、中を見せる。それを覗いた銀時は思わず目を丸くした。滔々と語っていた話から全く関連のないものが、まるでシュールなアートのように誇らしくそこにある。ギュッと凛々しい赤色の実と、きめ細やかで滑らかなクリーム。冷気が鼻をかすめ、条件反射で身体が震えた。

「何でアイス買ってんだよ!」
「パフェです。春を先取り胸きゅんイチゴミルクパフェ。持ち帰り用に上にカップしてくれてるのよ」
「どっちにしろ意味わかんねえだろ!絆創膏買いに行って何でパフェ買ってんだよ。しかもこのクッソさみいのに」
「そこが不思議なんです。何ででしょうね?」
「何ででしょうねってお前マジで大丈夫か?ついにイカれたのか?」
「絆創膏は買ったんですよ。カバンに入れてます。でもレジに行ったらね、バレンタインフェアやってて。ああもうそんな季節かって思ってたら、明日?今日?が14日じゃないですか。なんか私軽く絶望して。もう2月って14日もたったの?毎年高級チョコとか自分用に買ってたのに、15勤のせいですっかり忘れてたし、そもそも行く時間もなかったし。なんかムカムカして」
「うん…え、で?何でチョコじゃないの?なんでパフェなの」
「そうなの。そこが不思議なんですよねぇ」

妙は同じセリフを繰り返した。そろそろ本気で心配になってきた銀時は不安げに彼女を見つめる。

「イチゴのポスター見てたら…何か、知らない間に頼んでて」
「…つまり食いたかったってこと?」
「ううん」
「え、違うの?」
「食べたいっていうより、眺めたいっていうか…なんか惹かれたんですよねぇ。だってアイスよ?こんなに寒いのにパフェなんか食べないでしょ。フツウ」

半笑いでまるで変な人を見てきたように話しているが、それは完全に自分のエピソードだ。怖えよこの人。

「あ、なんだ。そっか」

そこで妙の顔が急に晴れる。何か閃いたように指をピンとたて、それをそのまま銀時へ向けた。

「あなたよ」
「は?」
「だってイチゴミルクですもの。練乳たっぷりの」
「お、おう?」
「仮にパフェを買うとして普段の私だったらチョコバナナを選ぶと思うんですよ。バレンタインだし。でもイチゴミルクのパフェを選んだ」
「ちょ、ごめん。全っ然話が見えねえ」
「たぶんね、銀さんのことを思い出したからだわ」
「…は?」
「だから買ったのよ」

きっとそうよ。合点がいって満足したように笑う。こっちは全く笑えない。俺といえばイチゴミルク。だから思わず買ってしまった。なんだ、その理屈。混乱する銀時に、妙は一人すっきりした顔で微笑む。

「きっと私、あなたに会いたかったのね」

それじゃあ今度こそさようなら。何事もなかったようにまたふらふら歩こうとする妙の腕を何とか掴む。慌てたために大袈裟で、間抜けな身振りになってしまった。

「銀さん?」

銀時はポケットに手を突っ込み、鈴のついたそれを掴む。

「こっ!…これ」
「え?」
「鍵」
「カギ?」
「神楽の部屋の押入れに新八の布団があるから」

言いながら自分がしていたマフラーを彼女の首に巻きつける。俺は寒いのが苦手だ。俺だって仕事帰りで疲れてる。俺だって早く帰って暖かくして眠りたい。なのに、ちくしょう。何でこんなことに。

「いいの?」
「何が」
「おうちに行っても」

はあ、と心底うんざりしながらマフラーを結ぶ。風が入らないようにきっちりと、だけど苦しくないようにやさしく。

「先帰ってて。鍵、開けとけよ」

あともう少しで我が家という道を、くるっと逆方向へ。妙はその背中をしばらく見つめ、無意味に鍵を鳴らした。

「あったかい」


銀時がコンビニから帰ると彼女は居間にいなかった。やっと見つけた場所でガクリと項垂れる。いや、べつに何か期待してたとかじゃない。ほんと、マジで。ただ一緒にこたつ入って、買ってきたおでんを食べて、十分あったまったらイチゴミルクパフェを二人食べられたらいいなと、少し、ほんの少し思っていただけだ。
癪に思いながらも部屋の灯りに起きる気配のない寝顔を眺め、仕方ないなと言うふうに笑う。神楽の押入れに潜り込んだ妙は、彼女を抱きしめて熟睡していた。自分が巻いてやったマフラーがそのまま首にあり、絡まってしまうのではと心配になったのでそーっと、そーっと外す。なめらかな髪が手にかかり、嫌でも胸が高鳴った。するするとマフラーを抜き取る。どさくさ紛れに髪の毛を撫でる。その白い頬へ労うようにつぶやいた。

「おつかれさん」


スイッチを消した銀時は知らない。暗闇の中こっそり目を開ける妙が、自分の言動に気づき後悔のあまり神楽に抱きついていることを。どうしましょう銀さん。とてもじゃないけど、わたし、あなたの顔を見れないわ。撫でられた気がするあの優しい手つきに、甘やかすような小さな声に、それから一晩中、眠りの中でさえも、妙は悩み、混乱し、熱くなる心を抱えたのだった。

隣の部屋で眠る銀時と同じように。

ニーナ(2022/4/12)


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