銀時と妙


「ねえアネゴぉ」
「なあに?神楽ちゃん」
「アネゴはどんな人と結婚したい?」
「え?」

アイドルが今期のドラマでウェディングドレスを披露する、という話題が夕方のエンタメニュースで取り上げられていた。ドレス姿のそのアイドルは、ファンでもない私からすればさほど綺麗とも思わなかった。フツーだ。だけどその普通っぽさがウケているのだからこの感想は間違っていないのだろう。夫役はスタイルの良い中堅俳優だが、いかんせん当て馬感がすごい。だって彼はこのドラマのヒーローじゃない。最終的に結ばれるのはポスターにでかでかと載っているイケメンだ。始まってもいないのに結末がわかるのは、だけどこれはこれでいいのだろう。

「ああ、結婚ね」
「ウン」
「そうねえ」

アネゴはきれいだ。万事屋の周りには個性的ではあるが端正な顔をした人間が多い。彼女も例外ではなく、むしろ特に綺麗な顔をしている。強くなければ持てない優しさや凛々しさがその美しさを作るのかもしれない。自分とは四歳しか違わなくて、弟である新八とだって二歳しか違わない。なのに、彼女と自分たちでは明らかに異なる括りに分類される。子供と大人だ。
答えを探すように宙を見ていたアネゴが、やがて口を開いた。

「あいさつ」
「へ?」
「挨拶がちゃんとできる人かしら」
「…挨拶?」
「そ。おはようとかおやすみ、とかね」
「そんなことでいいの?」
「あら、大事なことよ」
「それなら…」

それなら。と言いかけてやめた。笑って誤魔化して、咄嗟に代理の言葉を探す。

「そ、それなら…ゴリラでも出来るアルよ?」
「まあ、そうなの?残念ね。わたしゴリラの言葉ってわからないの」

いつもの調子で毒舌を吐くアネゴは完璧な笑顔だった。そうだ。こんな風にきっと笑い流しただろう。それなら銀ちゃんだって挨拶くらい出来るヨって、そう言ったって。

「挨拶は大切よ。親しき中にも礼儀ありっていうでしょ?私はきちんと挨拶が出来る人がいいわ」
「そんなもんアルか」
「ええ」
「じゃあ他には?」
「そうねえ…あとは体が強ければいいかしら」
「体?」
「体さえ丈夫だと馬鹿でもとりあえず働けるでしょ?」

うふ、と微笑んだ。血反吐を吐くまで働かせそうだ、この人。だけど、それだけの条件なら彼女のまわりには満たしている者がたくさんいる。体が丈夫な奴だなんて、本当にゴロゴロいる。

「玉の輿は?」
「まあ、もちろん玉の輿が一番だけど…」
「うん」
「基本は、体が丈夫で挨拶をきちんとする人ってこと。その上でお金持ちなら言うことなしね」
「じゃあね」
「ふふ、今度はなあに?」

大人みたいに笑うアネゴに、私は身を乗り出した。

「銀ちゃんが誰かと結婚したらどうする?」

どうしてだろう。ふたりには思い切って聞けなかった。聞いてはいけない事のように思っていた。アネゴは銀ちゃんのこと嫌いなの?銀ちゃんはアネゴをどう思う?気になっても聞けなかった。理由はわからない。ただ、なんとなく。さっちゃんやゴリラをからかう時みたいに適当な言い方ができなかった。

「あら、どうしてそこで銀さんが出てくるの?」
「な、んとなく?」
「そう」
「ウン」
「そう、ねぇ。別にどうもしないけれど」
「ウン」
「…私がこう言ったこと、内緒にしてくれる?」
「ウンっ」
「私ね、あの人のこと結構大事に思ってるの。喧嘩ばっかりだけど色々助けてもらってるし、新ちゃんもお世話になってるし、こうして神楽ちゃんと仲良くできてるのも銀さんがいたからでしょ?家族とか親戚みたいな感じかしら。神楽ちゃんや新ちゃんと同じようにね。だから、ええ、そうね。ちゃんと銀さんの幸せを祈るわ」

アネゴは笑った。私は何も言えなかった。
その瞳に既視感を持ったからだった。内緒よ?念を押して笑うアネゴはやはり綺麗だ。幸せを祈るというのは、きっと本当。そして私が結婚したとしてもまた、彼女は心から幸せを祈ってくれる。そんなことわかってる。だけど私の幸せを祈る時と、銀ちゃんの幸せを祈る時とでは、たぶん何かが違うと思うのだ。何がどう違うって、うまく言えないけど。誰かと歩く銀ちゃんの人生を、アネゴはきっと祝福する。笑って背中を叩く。複雑に入り組む心の奥底に、ひとつの気持ちをしまい込んだまま。

なんて、面倒くさいのだろう。

大人はなんて厄介なんだろう。

わたしは麦茶を飲んだ。その香ばしさにつられ、あの日のことが頭の中でよみがえる。何気ない、すぐに埋れてしまいそうな普通の日の午後。あの時の銀ちゃんの横顔。

(銀ちゃん!銀ちゃん!)

(銀ちゃん見て!これ新八のマミーの写真だって!結婚式ヨ、シロムクっていうのヨ。すんげー美人アル!ほら見てよ銀ちゃん!アネゴにそっくりネ。アネゴの花嫁さんも、絶対綺麗ヨ!ね、銀ちゃん)

(銀ちゃん?)

(ねえ…)

その時私が手にしていたのは志村家の写真の数々だった。写真の整理をしているのとアネゴが見せてくれたものだ。二人の幼少期や節目節目の家族写真などを遡り、見つけた古い結婚写真。彼らの母の花嫁姿があまりにも綺麗だったのでわざわざ万事屋に見せに行ったのだ。どうせ無関心な返事をするだろうと思っていた。意地でも驚いた顔はしない天邪鬼のマダオだ。それでも私は銀ちゃんに見せたかった。見てほしかったのだ。
しかし予想を裏切って、そのマダオの反応は意外なものだった。まるで目が離せないといったふうに、差し出した写真をじっと凝視していた。古ぼけてはいるが大切に保管されてあったであろうことがわかるその写真を、親指だけで少し撫でる。カラン、と麦茶の氷の溶ける音が大きく聞こえた。
やっと視線を外して「そうだな」とぽつり呟いた、そのときの横顔。諦めたような、ほっとしたような、だけど泣き出しそうな顔。あらゆる感情が入り混じって、やっと作り出したような笑み。
同じだと思った。今のアネゴの笑顔も同じだ。ふたりは同じ表情をしている。それが何を意味するのか、まだよくわからないけれど。


ーーーーーーーーーー


「あー…体いてぇー…」

間延びした声が明け方の街に響いた。
傷だらけの人間が三人並んで歩いているのは結構不気味だと思う。僕は朝になろうとしている空を見上げた。あんなに大変な事が起きたって言うのに、空はいつも通りに朝を迎えようとしている事が何だかやけにおかしくなって笑いが漏れた。隣を歩く銀さんや神楽ちゃんも笑った。ボロボロの顔で笑う僕らは、さぞかし不気味だろう。自分だったら避けて通るな。それでも笑いは止まらない。やっと帰れるのだ。無理もないよ。

「とりあえず眠いですね」
「ほんっと銀ちゃんといるとロクなことないネ」
「ああん?なんで俺が疫病神みたいなことになってるんだよ。てめーらのどっちかだろ」
「何でもいいですよ。ああ、また姉上に怒られるなあ」

おかしな事件に巻き込まれるのはこれで何度目だろうか。今回も一番重傷な銀さんの体を二人で支えながら歩いた。


「あら、よくわかってるじゃない」


凛とした声が聞こえ、三人して振り向く。仕事帰りらしい姉上がそこにいた。日常が戻ってきたのだと実感すると、緊張の糸の最後の一本がするするほどけていく。

「あっ…姉上!」
「アネゴぉ!」
「もうそろそろ帰るかと思って寄ってみたの。仕方ないから差し入れも買ったわ」
「わーい!酢昆布ラスイチだったネ!」
「出て行くのはいいですけど、定春くんのエサくらい用意していかなきゃ。窓も開けっ放しでしたよ。あ、またこんなに汚して…。ほら、早く帰りますよ。着替え、用意してますから」
「すいません。さすが姉上ですね」
「掃除はお登勢さんやたまさんがしてくれてるのよ?後でちゃんとお礼言いなさいね」
「はい!」
「アネゴっ」
「なあに?神楽ちゃん」
「ただいまアル!」
「あっずるいよ!只今帰りました!姉上」
「はい、よろしい。おかえりなさい。神楽ちゃん、新ちゃん」

僕と神楽ちゃんの頭を撫でた姉上は、じろりと視線を正面にやった。

「で?そこのくるくるぱーのおっさんは?さっきから黙ってますけど」
「ちょ、おっさんって」
「何か言うことはないですか」
「…あー、うん、ええと、留守中悪かったな」
「…他には?」
「色々、アリガトウゴザイマス」
「もうひとつ」

両脇で銀さんを支えながら、神楽ちゃんとクスクス笑い合った。あんなに暴れ回っていた銀さんも、今は縮こまっている。

「…た、ただいま」

ぎこちなく言って、姉上を上目で見る。まるでイタズラを叱られた犬みたいだ。

「はい」

彼女はふう、と息をついてやっと彼にも笑顔を向けた。

「おかえりなさい」

その声を聞いて銀さんも笑う。ほら、早く帰りますよ。姉上は僕らをスタスタ抜かして先頭を歩いた。

「行ってきます、も言えれば上出来なんですけどね」
「えー、あれ?言わなかったっけ?」
「言ってません。あなたは挨拶もロクにできないちゃらんぽらんだわ」
「ちょ、言い過ぎじゃね?」
「ほんとの事です」
「…じゃあ」

ぐしゃぐしゃと頭を掻いて、銀さんが支えにしていた僕らの肩から離れた。足を引きずりながらも一歩前を歩いている姉上の隣に自力で立つ。

「次は、言う」

声は小さかったけれど、確かにそう言った。銀さんらしいなあ、と僕は思う。だけど姉上はそんな彼をじっと見つめて、不満そうに顔をしかめた。

「…」
「なんだよ、その目は」
「…信じられません」
「はァ?酷ぇな」
「酷いのはどっちよ。期待するだけ無駄だわ。そんな都合のいいこと言って、行く時は勝手に行くのよ。で、帰ってきたら、ごめんなさい。ありがとう。ただいま。の、繰り返しなんです」
「んな怒んなって」
「怒ってません。呆れてるの」
「ずいぶん信用ねえなオイ」
「当たり前よ。あなたは私が催促してから渋々ただいまって言うの…そうじゃなきゃ」

遠くで犬の鳴き声がした。きっとどこかの野良犬なんだけど僕は定春を思い出していた。定春はあんなに高い鳴き声じゃないし、たぶん今頃眠ってる。その鳴き声と同時に姉上は何かを呟いた、のだけど小さすぎて聞き取れなかった。いったい何と言ったのだろう。ぼんやり考えてみたけど、たぶん大したことではない。そして、聞こえたところで恐らくよくわからない。そうだ、未だ子どもに分類される僕らには。
背筋を伸ばした姉上に、猫背で足を引きずる銀さん。僕は隣を歩く神楽ちゃんを見た。彼女も視線に気付いてこちらを見る。二人で笑い合って、擦り傷のある頬をなでた。

まったく大人ってのは面倒くさいよね。


ーーーーーーーーーー


「…そうじゃなきゃだめなんです」

妙は意地になったように、だけど誰にも聞こえないように小さく呟いた。足を引き摺りながら歩く隣の銀時にちらりと視線をやる。いつか神楽に言った戯れが、知らぬ間に自分を追い詰めている。結婚するなら挨拶ができて体が丈夫な人がいい。私は確かに彼女にそう答えた。この人の呆れる程の体力と生命力は思い知っている。だからもうひとつの条件を満たされると困るのだ。意識して、動揺してしまう。『ただいま』は指摘されてから仕方なく言うのが精一杯。『いってきます』なんて到底言えっこない。あなたはそういうダメな人じゃなければいけないんです。

「…挨拶も出来ないどうしようもない貴方じゃなきゃ、わたしが困るの」

明け方の野良犬が鳴いている。その声に紛れさせて本音をこぼす。困るのよ。どうしたらいいかわからないの。妙はまた意地になったように夜明けの道を睨んだ。

「え?今なんつった?」
「何でもありません」
「あ、そう?なーんか腹減ったなァ」
「手当が先ですよ」
「優しくしてね」
「寝不足で手が滑っちゃうかも」
「はは…脅すなよ」

銀時は機嫌を取り損ねた妙の横で何となく地面を見下ろした。自分と妙の足が視界に入るのが何故か可笑しかった。こんなに近い。小さな手が歩行の度に揺れる。脈略もなく彼らの両親の結婚写真がパッと脳裏に浮び、また胸が鳴った。消したくても消せない残像だ。苦笑して視線を正面に戻し、置いていかれないように痛みを誤魔化して隣を歩き続けた。こんなに近い。近いは遠い。大人は馬鹿馬鹿しい。





ニーナ(2011/11/11)
追記修正(2021/8/8)



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