銀時と妙


ドンっ。思い切り突き飛ばされた音がした。衝撃や痛みはよく思い出せず、残るのは唇の感触と涙を溜めた瞳の眩しさばかり。決して零すことはなく、必死に涙を留めている瞳がこちらを睨む。

「最っ低…」

バタバタと出て行った彼女を追う事は出来ず、ソファに身体を預けた。頭がぐらぐらする。身体がふわふわする。そのまま世界はぼやけて、完全に遮断していった。


”銀さん、銀さん。しっかりしてくださいな。もうまったくだらしない。ほら、お水飲んで…”


いつものごとく酔っ払った夜だった。自分を覗き込んだ女が呆れたようにため息をつく。悪いなァ、本当。迷惑かけたくないんだけどさ、なあゴメン。怒らないで。透明のコップに注いだ水。ほら、と差し出す手を掴んで引き寄せる。強引に唇を塞いだ。訳が分からなかったのだろう。少しの間おとなしくしていた彼女が我に返り、身体を引こうとする。それを逃がすまいと後頭部を抑えつけた。


”ん…ふっ。や…。ぎ、んさ…っ”


吐息が漏れる。自分の思いとは裏腹に甘い声が出るのが耐えられないのだろう。みるみるうちに彼女は赤くなっていった。そして冒頭にもどる。渾身の力を入れたように見えたけど、それは普段彼女が殴る力の半分もなかった。




「んー、夢じゃねえよなぁ」


次の日の昼過ぎに起きた俺は、残念ながら昨日のそれを鮮明に覚えていたわけで。寝起きの第一声はそれだった。最低と言われたな。まあ最低だよな。なんでキスなんかしたのか。欲求不満か?どうやって謝ろう。つうか謝って許してくれんのか。まァ自分の貞操観念に関わることだから言いふらしちゃいないと思うが。
酔った勢いって言えばそうなんだが、そう思われるのは何だかとても嫌だった。ということは自分は前々からそういうことをしたかったということなのだろうか。
いやいやそれはないだろ。だって、あの女だ。ただの従業員の姉で、乱暴で自己中で口うるさいあの女だ。昨夜の、甘い声が蘇る。柔く白い腕と赤い唇、それから涙ぐむ瞳も蘇る。昨日キスをしたのはお節介で自分勝手で自信過剰なあの女だ。でも、あの女だから、なんだ?

「…とりあえず行くか」


−−



私の好きな高級アイスを片手にやって来た彼は、あー、と間抜けな声を発していた。なんなの本当に。イライラしながら箒をぎゅっと握った。ええ、それはもう折れんばかりに。

「ごめん」

片眉を上げて、やっとのことで言ったのがそれ。困ったような表情で私を見ている。どうやら昨日のことを覚えているようだ。だけど、ねえ銀さん。困っているのはこっちのほうよ。

「んな睨むなって」
「これが睨まずにいられますか」
「いや、マジでごめん」

軽いのよ、謝罪が。
私はひとつ深いため息を吐いた。どうせ。どうせどうせどうせ。酔った勢いだ。欲求不満だ。或いは誰かと間違えた?それでアイスクリームひとつとゴメンナサイでなかったことにしようとしてる。ほんとうに最低最悪。こんな男。見損なった。

「いやぁ、本当なんつーかさ…」
「もういいです」
「へ?」
「わかりました。許します。もう、忘れますから」

あなたも忘れてください。その瞬間、彼が少しの戸惑いを瞳に宿した。意味がわからない。どうしてまるで貴方が傷ついたような顔をするの。

「お妙まってよ」
「帰って下さい」
「ごめんって、本当。許してよ」
「だから許したって言ってるでしょう」
「いやブチギレじゃん」
「しつこいですね。私これから出掛けるんです」
「もうあんな事しないから」
「…っ」

あんな事ーーー。
その一言で思い出される。熱い手のひら。強い力。唇や舌の感触。赤くなる顔が悔しい。ギッと彼を睨んだ。

「貴方にとっては酔った勢いの、よくある事かもしれないけど、こんな事で怒るのは子供だって思うかもしれないけど、私は…。私は、初めてだったんだから!」

なに、言ってるのよ。私のばか。
でも、そうだ。わたしはあの時とてもショックだった。とてもとても悲しかった。だって、こんなの、あんまりだわ。

「うん」

相変わらず困った表情の彼が言う。何よ、また分かったような顔して。どうせ子供だと思ってる。たかがキスくらいで騒ぐ面倒な女だと、そう思ってる。

「…っ、もう、帰ってくださ…」
「だから、責任取る」
「責…任?」
「うん、セキニン」
「い、意味がわかりません。そんなのどうやって…」
「結婚しよう。お妙」
「…は?」

そのとき、憎たらしい程の爽やかな風が吹いた。せっかく集めた落ち葉が舞う。わたしは思った。この人、ついに頭が変になったんだ。

「銀さん、あなた今なんて…」
「だから結婚しようって」

驚きのあまり私が放心していると、先回りするように彼が言った。

「だってしょうがないじゃん。キスしちゃったんだもん」


ボキッ。握りしめていた箒の柄がついに折れた。


ニーナ(2014.7.28 blogより)



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