銀時と妙


恋人が出来た。

坂田銀時はソファに寝そべって蛍光灯をぼうっと見つめる。天井って平らだなあ。光って眩しいなあ。と考えるまでもないことを心で呟いてばかりいた。一週間前、自分の身に起きた事が何度寝て起きても現実と思えないでいる。恋人が、出来た。
それは買い物に付き合わされた帰り、何でもない世間話をしている時だった。

「たまにはお寿司でも食べたいですね」
「何?おねーさん奢ってくれんの」
「年下の女にたかって恥ずかしくないんですか」
「寿司が食えるなら恥も外聞もねえよ」
「あなたのプライドってとっても低いのね」
「うるせー。寿司の話なんかするから寿司の口になっちまった」
「そういえば大通りの裏手にあるお寿司屋さんの息子さん、結婚なさったそうですよ」
「えっ!マジで!?」
「お見合いですって」
「嘘だろ。またアラサーの独身が減るじゃん」
「あら、銀さんでもそんなこと気にするんですか」
「結婚なんかしなくても幸せだとか何とか言ってた奴からしれっと嫁さんもらっていくからムカつくんだよ」
「そうは言ってもお店を継がないといけませんからね」
「あーあー良いよなあ。俺だって美人で素直な嫁さんに甘やかされたいっつうの」
「じゃあ私がなりましょうか?」

ぽんぽんとリズムよく続けていた会話が途切れる。一瞬、彼女の言った意味がわからなかったのだ。

「…は?」
「ですから、お嫁さんなら私がなってあげます」
「…へ?」
「まあどうしたんです。こんな往来でそんなマヌケ面さらしちゃって。でもそうね。いきなり結婚っていうのもあれだし、とりあえずお付き合いでいかがですか?」

にっこりと笑いかける瞳に見とれ、銀時は思わず躓きそうになった。お嫁さん、結婚、お付き合い。どうやら話の内容は自分の考えているものと共通しているらしい。いや、じゃあ余計おかしいだろ。どういうことだ。からかっているのか?もしかして罰ゲーム?よくあるじゃん。ゲームで負けてキモい男子に告白する極悪非道な女子のノリ。

「な…何企んでるんだよ、お前」
「企む?」
「あ!どっかで隠し撮りしてたりするんだろ。そうやって純粋なアラサー男子をもてあそんで後で笑うつもりかよ」
「何言ってるんです。そんな凝った事するわけないじゃない」
「じゃあどういう事なんだよ。け…けけ、結婚って…!」
「一先ずお付き合いね」
「おっ…お付き合いって!何で急にそうなるんだよ!」

そろそろ志村邸が見えた頃だった。突拍子もない提案をしたその女ーー、

志村妙は立ち止まり、そして言った。

「だって好きだから」

ぎょっとして銀時も立ち止まる。固まったように身体が動かない。だらだらと汗が額から流れた。いま何て言った?またからかっているのでは、と思ったが、ほんのりと赤い頬に釘付けになってしまった。冷や汗をかいたからか、喉がひどく渇いている。

「…好きって」
「はい」
「お…おま、それ、どういう意味で言ってんだよ。お兄ちゃんみたいで好き〜…とか、そういうオチなの」
「あのねえ銀さん」
「何だよ」
「あなたがお兄ちゃんだったら良いなって思った事は今までいっっっちどもありません」
「じゃあどういう…」

と、そこで妙は突然すたすたと距離を詰めてきた。どんどん近付く彼女に軽くパニックになる。どんだけ近くに来るんだ。このままじゃ、だって、おい。
目の前で止まった妙は銀時の襟元を掴み、背伸びをして唇を重ねた。その一瞬、完全に頭が真っ白になる。
あまりに突然の事で、ていうかあり得ない出来事すぎて何の反応も出来なかった。

「…こういう事をしたいっていう好きです」

わかりましたか、と彼女は背伸びした足を元に戻し、またいつもの距離になる。そっと触れただけなのに痺れたような甘さが唇に残っていた。

「で、どうなんですか。お付き合い、するんですか?しないんですか?」

なんだ、これは。銀時は夢でも見ている気分だった。それでなければ狐に化かされているのか。

「し…します」

説明してみるとカッコ悪いが、とにかくそういう経緯で妙と恋人になった。この一連の出来事を反芻するのはもう何度目か知れなかったが、未だに状況は飲み込めない。
顔を上げて窓の外を見る。空って青いなあ。春って温かいなあ。このまま行けば宇宙の不思議にまで至りそうだった。


「あら銀さん」

次の日、この前と同じように通りで妙とばったり会ってしまった。銀時はぎくりとして直立不動になる。

「ちょうど良かった。荷物持ちしてくださる?」
「え、あの」
「おやつにそこのお団子買って来ますから、ちょっとこれ持って待ってて下さい」
「あ、はい…」
「じゃ、行ってきますね」

言われるがままに荷物を持って突っ立っている銀時は、さながらご主人を待つ忠犬のようだ。しかしそんな事に気づくはずもない本人の頭の中は、焦りと緊張でショート寸前である。
え、俺らって付き合ってんだよな?そういう話になったよな?と銀時は自問を繰り返す。つか何か今日可愛くね?あれ、あいつってあんな可愛かった?いやまあ器量はもともといい方だけど…って、そんな事考えてる場合じゃねえ!油断すると舞い上がりそうになる心に重りを付け、何とか気持ちを落ち着かせる。
つーか付き合うって何?何すればいいの?男女っつったらやることはひとつだけどそういう雰囲気じゃないよね。ていうかそういう事するつもりあるのか、あいつは。ちゃんとわかってんのか。いやいやそれより世のカップルって何やってんだ?デート?デートって何?買い物?映画?旅行?それいつもと一緒だし。
ぐるぐると思考がパンクしそうな銀時の視界に若い男女が入った。ごく自然に手を繋ぎ、仲睦まじく笑い合っている。

「手…か」

銀時は小さく呟いて自分の手を見下ろす。

「お待たせしました」
「うっっわ、お前…急に声かけんなよ」
「急って別にそんな急じゃないわよ」
「う、うるせー。びっくりしたの」
「はいはいすみませんね。じゃ、帰りましょ」
「…おお」

歩き出した妙の手をそっと盗み見る。荷物はもう片方の手で持っているので、自分に近い方は空いていた。これはチャンスなのか?しかし意識するとどうやって繋いでいいかわからず、手が不自然に上がったり下がったり開いたり閉じたりした。思春期か、俺は。
そこで妙が何か思い付いたように、あ、と声をあげる。ギクシャクと行き場のなかった手を彼女は簡単に取った。

「なっ…」

その手はとても柔らかく、ひんやりとしていて、それでいて想像よりずっと小さい。

「ダメ、ですか?」

驚きのあまり瞠目する銀時を見上げ、妙は少し不安げに尋ねる。その表情に、慌てて手を握り返した。

「…ダメじゃない」

ダメじゃない。ダメじゃないから困っている。
握り返した事に気を良くしたのか、妙は微笑んでまた歩を進めた。銀時は心底混乱していた。顔に熱が集まってしまう。何で俺の行動で機嫌良くしちゃってんだよ、こいつ。頭でもぶつけたんじゃねえの。だって俺の事なんてまるで駄目なオッサンくらいの扱いだったじゃねえか。
否定しなければ急浮上してしまいそうな心を銀時は何とか抑えるのに必死だった。
だってさ、今までずっと微妙な距離感だったじゃん。で、ちょっといい雰囲気になっても全然進展する感じじゃなかったし。半ば諦めた気持ちで、しかしこの関係も悪くないと思っていたのだ。それを急にこいつが…。

「…さん…ねえ、銀さんってば!」
「えっ」

色々と考えながら歩いていると、妙が立ち止まっていた。手を引っ張られ、ぴんと腕が伸びる。

「通りすぎてますよ。うち」
「ああ、ほんとだ」
「変なの。考え事でもしてたんですか?」

くすくす笑って妙はそっと手を離した。巾着から鍵を取り出す。あ、と思ったが繋ぎ直す言葉が見つからない。
変だと?変なのはどっちだよ。まだ手に残る彼女の感触に意識がゆく。考え事なんかずっとしてる。一週間前からずっと、お前の事ばかり考えている。

「ありがとうございます。今お茶入れますね」

当然のように銀時も家に上がり、荷物を台所まで運んだ。湯を湧かそうとヤカンに手を伸ばした妙の動きが止まる。振り返り、じっと銀時を見て呟いた。

「銀さん」
「何」
「ちょっと腕を広げてください」
「腕?」

こう?と銀時は素直に腕を左右に広げる。
するとあろうことか妙がその胸にすっぽりと入ってきた。今までと比べ物にならないほど近い距離に、また脳が完全にフリーズする。何なんだ、この女は。金縛りにあったように腕が下ろせない。自由が効かないのに、感覚だけが研ぎ澄まされて彼女の匂いや体温や肌に頭がくらくら回る。

「ふふ、一度こうしてみたかったの」

さすがに外ではできないでしょう?と無邪気に笑う妙に、そろそろ限界が来そうだった。恐る恐る、そうっと腕を背中に回す。すると彼女は応えるように鎖骨辺りに頭を預け、上機嫌に笑ってみせた。まただ。またこんな風に俺の動きでいちいち嬉しそうにする。調子が狂って仕方ない。こんなのおかしいだろうと、疑ってかからないと浮かれすぎてどうにかなりそうだ。

「…お妙さ、キャラ変わりすぎじゃね?」
「キャラ?」
「だって…こんなん素直にするような奴じゃないじゃん」
「嫌ですか?」
「違っ…い、嫌じゃねえよ。でも調子が、狂うっつーか」
「…しょうがないじゃないですか。大人になってから人を好きになるなんて初めてだもの」
「なっ、お、お前なあ…っ」
「何です?」
「そういう恥ずかしい事をさらっと…。だいたいそんな素振り一切しなかったじゃん」
「…だって最近気付いたもの」
「は?」
「銀さんが好きなんだって…最近やっとわかったの」

恥じらいながら見上げる瞳にじわじわと愛しさが生まれる。

「あ、そう…」

自覚したらすぐに行動に移せる妙の潔さに対して自分の意気地のなさが際立って思えた。だって、俺はたぶんお前が気付くよりずっと前から…。思いながら情けなくなってくる。
告白もキスも手を繋ぐのもハグも、全部向こうからで自分はいつも受け身だ。これってどうなんだと前々から思っていた。仮にも男だし、結構な年上である。なけなしの男のプライドというものが疼いた。しかし残された恋人同士の触れ合いと言えば…。妙を腕に抱きながら志村家の天井を見上げる。
うん、これしかないな。なんかいけそうな気がする。

「ふぇっ?」

びくっと妙の肩が揺れた。首に埋められた銀時の頭がくすぐったかったのだろう。ちゅ、と口付けると逃げるように身をよじる。様子の変化に気付いたのか、焦って口を開いた。

「ちょ、ちょっと銀さん」

妙の声を無視して甘い香りを追い、銀時は耳たぶに唇を寄せた。

「ひゃあっ…!…っ、バカぁっ!!」
「ぐはぁっ」
「何するんですか変態!」

殴られた顎を押さえて妙を見下ろすと、真っ赤になって涙目で震えている。

「何だよスキンシップじゃねえか」
「スケベな事しようとしたじゃない」
「そりゃするだろうが」
「そういうのは結婚してからじゃないとしません」
「はあっ!?まじ!?」

頭上にタライでも落ちてきたような衝撃だった。え、だめなの?こんなに引っ付いてくるくせに?ほっぺた赤くして好きだとか言うくせに?手繋いで腕の中入ってくるくせに?え、鬼?鬼なのかなこの子。

「おま…キスとかハグとか何の躊躇いもなくするくせに…」
「ちょっと銀さん大丈夫?すごい青ざめてますけど」
「そりゃそうだろ。絶望にうちひしがれてんだよ」
「…だって、こうして触れ合うだけじゃダメなんですか?新ちゃんや神楽ちゃんと手を繋いだりハグしてもそんな事にならないでしょ」
「当たり前だろ!なってたまるかよ!つうか何でそこであいつらが出てくんだよ!」
「と…とにかく!私は結婚までしません!」

ぷい、とそっぽを向いて身体を離そうとする。銀時はその腰をぐいっと寄せた。

「ちょっ…」
「じゃあ結婚しよう」
「えっ」

ぽ、と妙の頬が赤くなり、瞳が輝く。心臓がうずうずと痒くてたまらない。この娘は本当に自分に惚れているらしく、その事実がこの上なく嬉しくて仕方なかった。
しかし妙は赤くなった頬を膨らませ、軽く睨みつける。

「したいから結婚するの?」
「…へっ?いや、いやいや違う。いや、正確に言うとしたい。したいけどそれだけじゃない」
「…」
「あの、お妙さん?」
「やっぱりまだダメです。まだ恋人です」

ガーン、とまた精神的タライが頭上に落ちる。

「そんな顔しないでくださいよ」
「だってさぁ…お前に先越されてばっかで本当なけなしのプライドがさぁ」
「先って何ですか?」
「こう、色んなステップっつーの?…全部お前からじゃん」
「ステップ?」
「こ…告白とか、キスとか…」
「なにそれ」

ぷっ、と妙が噴き出す。

「そんなこと気にしてたの?ふふっ」
「うるせえ。お前にはわからんかも知れねえけどな、結構深刻なんだぞ」
「じゃあ銀さんもしたらいいじゃない」
「は?」
「ええと…ハグして、手を繋いで、キスして、好きって言ってください。あなたから」

うぐ、と言葉に詰まる。ほらほら早くっと妙は挑戦的な笑みを浮かべていた。どうせ羞恥心が邪魔して出来ないと思っている。

「ま、心の準備ができたらいつでもどうぞ?私そろそろお茶入れますから…って、わっ」

銀時は腕をすり抜けようとする妙を引き寄せ、ぎゅ、と抱きしめた。次に、背中に回した手を下ろして手のひらを包み込む。

「ぎ、銀さん?」

動揺した彼女を見てにやりと笑った。何かを言おうとする前に、桃色の唇を塞ぐ。全く同じでは悔しいので、なに食わぬ顔で舌を入れてやると彼女は慌てて胸を叩いた。

「んぅっ、…」
「お妙」

唇を離すと耳や首筋まで赤らんでいて、目の前にこれがあって噛みつくなという方が酷だと思った。しかし愛しい恋人が言うので仕方ない。どうやら耳が弱そうなので、いずれ夜を共にする日に多いに可愛がってやる。

「好きだ」

きらきらと光る瞳に幸福の涙が浮かび、銀時はたまらず彼女を抱きしめた。
万事屋の銀さんがついに身を固めたと噂が町内に出回るのは、それから半年後の事である。


ニーナ(2020/5/7)


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