モブ視点(銀妙※病気)


追い詰められた黒を白にひっくり返されて、僕は負けた。ゲームを始めた時は黒ばっかりだったのに、いつの間にか角の全部が白に染まっている。悔しくて終わった瞬間に緑色のボードの上をぐちゃぐちゃにかき混ぜ、椅子から降りた僕はおねえさんの方へ行った。負けたあ、と顔をベッドに伏せると、温かい手が背中を優しく撫でた。

「まったく、ちょっとは手加減してあげたらどうですか」

その言葉は僕じゃなくて、オセロで僕を連続して倒し続ける大人気ないおじさんへ向けたものだ。そーだそーだ、と恨みがましく睨み付けるとおじさんは鼻で笑った。

「ばーか。手加減してどうすんだよ。世の中はそう甘くないって事を子供の頃からみっちり教えてやんなきゃロクな大人になんねえだろ」
「自分が負けるの嫌なだけでしょ?」
「そりゃお前、男はいつでも真剣勝負だからな」
「じゃあ次は私としましょ」

おねえさんは、仇をとってあげるからね、と僕の背中をぽんぽんと叩いた。白のおじさんはくしゃくしゃ頭を掻きながら、ボードとマグネットの石をベッドのサイドテーブルに運ぶ。

「かたき、ってなに?」

二人がオセロを始めると、石の置かれる音が病室に響いた。黒はおねえさんで、白はやっぱりおじさんだ。

「あ?仇ってのはあれだよ、大事な人を倒した憎い悪者ってこと」
「ふーん」
「仇をとるって言うのはね、その悪者をやっつけるってことよ」

おねえさんはニコニコと笑いながら白い石をひっくり返して自分の色にする。ゼリー食べていいよって言ってくれたから、僕は冷蔵庫の中のぶどうゼリーを取り出した。

「正義っつーのは誰かにとっちゃ悪だからね。だってどう考えても俺が一番可哀想だもん」
「どこがですか」
「理不尽に殴られるし」
「あなたが余計な事を言うからでしょう。理不尽じゃないわ」
「タダでこき使われるし」
「ちゃんと働かないんだからそれくらい当たり前よ」
「あとほら、節分とかいっつも俺が鬼やらされるし」
「小さい男ですね。新ちゃんや神楽ちゃんに鬼なんかやらせるわけないでしょ」
「おま、ちょっとくらい銀さんを大切にしようと思わないの」

喧嘩みたいなお喋りをしながら、二人は手元の陣地を広げたり狭めたりしている。余裕だった白のおじさんがだんだんと焦りはじめて、いつのまにかボードの上は黒が多くなっていった。結局ゲームはおねえさんの勝ちで、悔しがるおじさんが"泣きの1回"とおねがいした2ゲーム目も、やっぱりおねえさんが勝った。

「あーくそ。つまんねえの」
「ふふ、オセロは散々父上としましたから」
「もう1回やんない?」
「ダメよ、もうこんな時間」

おねえさんが時計を見上げる。針が2と6を指している。そろそろおばあちゃんのところに戻らないとね、と僕に言った。

「うん」

ごちそうさまでした、とぶどうゼリーのお礼を言って、ぴょんと椅子から下りる。3時から始まるおばあちゃんのリハビリは、僕が応援しなくちゃいけない。

「また来てもいい?」
「もちろんよ。またおいで」

バイバイ、とふたりに手を振っておねえさんの部屋を出る。スライド式の扉を閉める時、おねえさんがおじさんに話しかける声が聞こえた。


「あなたもそろそろお仕事でしょう?」


あ、いまの。僕は閉まった扉をしばらく見つめて、だけどおばあちゃんが待ってる事を思い出したから早足で部屋に向かった。廊下は走っちゃいけない。今の、おねえさんとおじさんが話してるのを思い出して、僕はひとりでにやけてた。
僕が初めてあの部屋に行ったのは、病院を探検してて迷子になったときだった。おばあちゃんのお見舞いに来たけど、大人の人ばっかりだしマンガもゲームもなくて退屈だった。探検してる間に帰り道がわからなくなっちゃって、ドアを開けたら全然知らない人たちがたくさんいた。おばあちゃんもママもパパもいなかった事と、知らない人の部屋を勝手に開けちゃった事のショックでぼくは泣いてしまった。結局そのあと、そこにいた白い髪のおじさんとメガネのおにいさんが一緒におばあちゃんの部屋を探してくれた。もう二度と会えないかと思ってたのにみんなあっけらかんと笑って僕を抱っこしたんだ。あとでママと一緒にお礼をしに行った時、おねえさんや家族の人やお友達の人たちがとっても優しくしてくれて、よかったらまたおいでって言ってくれたから、それからよく遊びに行っている。おねえさんの部屋にはよくお見舞いが来ていて、しかも色んな人が来る。僕がおねえさんたちのことを話すと、おばあちゃんは、あの白いおじさんのこと知ってるみたいだった。

「ああ、お登勢さんのところの人だね…ええと万事屋をしてたような」
「よろず屋?」
「なんでも屋さんみたいなものさ。あの旦那、確かべっぴんで若い奥さんがいるって魚屋のテツさんが言ってたんじゃなかったかねえ」

そう言ってたから、もしかしておねえさんが奥さんなのかなって思って聞いてみたけど違うんだって。それどころか別に誰とも結婚してないんだって。おばあちゃんの勘違いだったんだ。よく間違われるんだよ、とウンザリした顔でおじさんはアイスの棒をくわえてた。おねえさんはとっても優しくて綺麗で、しかも誰よりも強いから、みんなに好かれてる。人気者だ。みんなニコニコして、嬉しそうに喋ってて、でも一人だけ。そう、あの白いおじさんだけ、おねえさんを怒らせるようなことをわざと言う。可愛くないとか、ゴリラとか、よくわかんないけどまな板とか言っては殴られてる。ちなみにまな板って言った時が一番ひどいことになる。怒るってわかってるのにどうして同じこと言うんだろうって僕はいつも不思議だ。もしかして嫌いなのかな。でも、おじさんはよくお見舞いに来る。ぼくがおばあちゃんに会いに行くみたいに。
別の日、またおねえさんの部屋に行く途中で、前にトランプを一緒にした警察の人とすれ違った。挨拶をしたら、もうお見舞いに行ったあとなんだって言ってた。だからおねえさんの部屋に行ったら珍しく誰もいなかったんだ。もちろん、おねえさん以外は。

「あら、いらっしゃい」

どうしてだろう。おねえさんが笑うと、なんだか少し部屋が明るくなる気がする。いつもと違って静かな部屋の中に入り、僕はすこしドキドキしていた。だって二人でお喋りすることってあんまりないから。それから、さっきおねえさんが枕に頭を沈めてたところを思い出して、なんだか不安になった。

「おねえさん、眠たい?」
「ん?」
「さっき寝てた?」
「ああ、ううん。大丈夫、寝てないよ。寝ようかなって思ってたんだけど、もうちょっと誰かと話したいなって思ってたから来てくれて嬉しいわ」
「ほんと?」
「ええ、それに、眠たくなったらちゃんと寝るから大丈夫よ。そんな心配しなくても」

ふふ、と笑って、ベッドのとなりの椅子を叩く。

「ほら、こっちにおいで」

そう言ってくれるのが嬉しくて、もじもじしながら僕は椅子に座った。しーんと静かになっちゃうのが恥ずかしくて色んなことを話した。今日のお昼ごはんとか、飼ってる犬のクセとか、その犬の散歩中に大きい犬に追いかけられたこととか、さっき警察官のおじさんにあったこととか、オセロで強くなりたいこととか、とにかく色んなこと。それで、ママとパパのことも話した。ママがパパのこと怒った時、お皿を投げつけたこと。どんな喧嘩も最後はパパが団子を買ってきて終わること。それをみんなで一緒に食べるのが好きなこと。夜中に起きたとき、僕のお腹のところで二人が手を繋いでたこと。そしたらとっても温かかったこと。たくさん、たくさん話してた。

「なかよしね」
「うん、まあね」
「羨ましいわ。素敵なお母さんとお父さんがいて」
「すぐ喧嘩するけどね」

ママとパパが褒められて、何だかこそばゆくなった僕はこの間、こっそり思ってたことを話した。

「前におねえさん言ってたでしょ?白いおじさんに、もうすぐお仕事でしょって」

おねえさんはきょとんとした目で首を傾げた。

「そんなこと言ったかしら」
「うん、言ってたよ。それね、ふふ、おもしろいんだよ。二人がすっごくママとパパに似てたんだ!」

あなたもそろそろお仕事でしょう。そう言ったおねえさんと、仕事に行くのを面倒がって不機嫌な顔をするおじさんを、僕は、あの日見た。それがうちのママとパパみたいで、可笑しくて一人で笑ってたんだ。だって本当にそっくりだったから。僕は、期待をしていた。まあ面白いわねって、おねえさんが笑ってくれること。だけど、何かひどいこと言ったかな。おねえさんは笑うどころかとっても驚いた顔してた。その顔を見てると、なんだか言っちゃいけないことを言った気がして、僕は慌ててベッドに手をつく。

「おねえさん?」

どうしたの?なにかダメなこと言った?僕が声をかけて初めて、おねえさんは我に返ったみたいに笑った。でも、すごくぎこちない笑顔だ。口は笑ってて、目も笑ってるけど、眉毛は下がってる。どうしてかおねえさんが泣いてるような気がして、僕はもっと慌てた。涙なんて全然出てないのに、どうしてそんなこと思ったんだろう。

「泣かないで、おねえさん」

ママがしてくれるみたいに背伸びをして頭を撫でる。どこか痛くなったのかな。お腹?頭?

「大丈夫よ。泣いてないわ。何でもないの」

ほんと?と顔を覗き込むと、今度はちゃんと笑ってた。ごめんね、ちょっとだけお腹が痛かったの、と困った顔で言う。そっか、やっぱり痛くて泣いてたんだね。

「でももう大丈夫。治っちゃった。ありがとう」

やさしいね、ありがとう、ありがとう。と何度も僕の頭を撫で返してくれた。するすると僕の髪の毛を掬いながら、おねえさんは口を開く。

「ねえ、ぼうやは好きな子いるの?」
「え?」
「寺子屋で一緒に勉強してる子とか、近所でよく遊ぶ子とかで、誰か特別に好きな子。いる?」

それって、恋とかの好きってことだよね。急に苦手な話題を持ち出された僕は、反射的にブンブンと首を横に振った。ドキドキしながら知ってる友達のことを思い出すと、喋ったり遊んだり、一緒にいて楽しいなって思う人はいっぱいいるけど、それが好きなのかどうかはよくわからなかった。

「い、いないよ。特別なんて。そーゆーの、よくわかんないし」
「そっか。そうよね」

ふふっとイタズラっぽく笑って、おねえさんは冷蔵庫を指差した。

「大福がね、あるの。さっきの警察のおじさんたちが持ってきてくれたのよ。二人で食べちゃいましょう」

取ってくれる?と言うので、僕は黙って頷いた。冷蔵庫を開けると、ひんやりとした冷気が顔に当たる。大福を取り出しておねえさんを振り向くと、ベッドからでは手の届かない窓の外を眺めていた。ずっと、不思議だったことがある。おねえさんは、いったいどこが悪いんだろう。だって、こんなに元気なのに。

「おねえさんは、」

ん?、と言って窓から視線を外すことなく僕の声に答える。

「おねえさんは好きな人がいるの?」

僕はさっきよりずっと心臓がドキドキしていた。おねえさんは空を見つめたまま、ふふ、と笑った。

「ええ、みんな大好きよ」

色んな人がこの部屋に来てお喋りしているところを何度も見た。みんな本当にいつも楽しそうに笑ってる。おねえさんも笑ってる。あのおじさんは、いつもめんどくさそうな顔してる。でも、やっぱりたまに笑う。たぶん、おねえさんが笑うからだ。知らない間に、僕は聞いていた。

「じゃあおじさんは?」

黄色い光がシーツに注いで温かかそうだ。でも、やっぱり風はだんだん冷たくなってきた。

「白い髪のおじさんのことは、好き?」

おねえさんはゆっくりと僕の方を向いた。そのちょっとだけ笑った顔が、今まで見た中でいちばん綺麗で、僕は少し驚いた。なんだか知らない人みたいだった。内緒話みたいに声を潜めて言う。すきよ。

「きっとね、初めて会った時からずっと好きだったわ」

カーテンの隙間から入った陽が、いつの間にかおねえさんの顔まで照らしていた。今言ったそれが、みんな好きだって言ったのと同じなのか、それとも特別っていう意味なのか、僕は聞けなかった。どうして自分が、あの白いおじさんのことだけ別にして聞いたのかもわからなかった。ここで違う人のことを聞いても、おねえさんが今みたいな瞳で言うのかどうかもわからなかった。細長い指を唇に当てて、おねえさんはわらう。

「ないしょ、ね」

僕はまた、こくんと黙ったまま頷いた。言えないと思った。いつも綺麗なおねえさんが、いつもより一等きれいな、だけど少し寂しそうな瞳をしていたことを、きっと僕は誰にも言えない。

「おい、下でゴリラに会ったぞ」

どこか緊張感の流れる部屋に、能天気な声が響いた。僕たちは二人ともその声を振り向く。おじさんがあくびをしながら大股で入ってきた。びっくりしておねえさんの方を見たけど、おねえさんは普通に笑って迎えていた。

「ええ、さっきまで来てたから。山崎さんも一緒だったでしょ?」
「ああ、売店であんぱん買ってた」
「相変わらずね」
「糖尿病なるんじゃねえか、あいつ」
「あなたにだけは言われたくないでしょうね」
「お?ボウズいいもん持ってんじゃねえか」

大福を見たおじさんがにやりとするので、僕は大福を脇腹の辺りで隠した。甘いものが好きだから、なんでも一人で食べちゃおうとするんだ。

「どこのヤクザですか」
「ゴリラの献上品か?」
「そうよ」
「食おうぜ。喉かわいたし、茶入れよっと」
「まったく鼻がいいんだから。さっさと二人で食べちゃえば良かったわ」

呆れたようにおねえさんは言って、でもやっぱり笑ってた。おじさんはさっきの話を聞いていなかったみたいだ。だっていつもと全然変わりないんだもん。普通、好きだって言われたらドキドキするよね。それとも大人はちがうのかな。二人はいつも通り喧嘩みたいなお喋りをして、たまに笑って、たまに怒ってた。僕はまたおじさんとオセロをした。そしたら初めて勝った。オセロをしてる時だけ、おじさんはちょっとぼーっとしていた。勝負がついたとき、とても悔しそうな顔をした。悔しいというか、やっちゃったな、みたいな自分の失敗を悔やむ顔。

「あら、今日は仇うちいらないわね」
「うるせーなー」
「老いですね、老い。脳トレしたほうがいいですよ」
「すぐそうやっておじさん扱いすんのやめてくんない」
「あらやだ。もうこんな時間よ」

おねえさんは時計を見た。針が2と8を指していた。短い針はもう3に近くなっている。もう帰らないと。

「また来てもいい?」

いつもの質問をすると、おねえさんは頭を撫でた。もちろんよ。今度は将棋でもしましょう。ぴょん、と椅子から下りて、僕はドアの方へ向かう。振り向いて二人に手を振ると、おねえさんは同じように手を振り返してくれて、おじさんは手を上げるだけだった。あ、と声が出る。なにか忘れ物?おねえさんが言ったけど、ううん、と僕は首を振った。やっぱりママとパパに似てるって思っちゃったんだ。おねえさんがママに似てて、おじさんがパパに似てるってわけじゃない。ばらばらで見ると全然そんなことないのに、二人が一緒にいるとママとパパといる時みたいな気持ちに、ちょっとだけなる。ねえ、おねえさん。やっぱり、ぼく、似てるって思うんだ。それから、どうしてかそれがちょっと嬉しかったりするんだ。でもまたお腹が痛くなるといけないから、もう言わないよ。内緒にするよ。だいじょうぶ。もう泣かないで。

部屋を出て、僕は早足でおばあちゃんのところへ向かった。


ニーナ(2018/11/21)


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