銀時と妙



煙草や酒や錆びた金の匂いが凝縮されたパチンコ屋から出ると、外気の冷たさがふやけた肺に染みた。それに拒絶反応を起こしたのか、身体は大袈裟なため息を吐き出す。坂田銀時は一時間前の自分を呪った。なぜあそこで止めておかなかったのか。馬鹿だ。後悔しても仕方ない。早く帰って寝よう。重い足を動かそうとした時だった。見知った姿が目の端に入り、銀時は反射的に顔を背けた。やばい。額に冷や汗が浮かぶ。奴に見つかると面倒だ。何を言われるかわからない。いや、何を言われるかは嫌ってほどにわかりきっている。実際に言われる場面を想像して、水をかけられたようにそそくさと歩き出した。見つかる前に帰らなければ。朝から夕方までパチンコしてたなんて知られたらまた大変な事になる。しかし角を曲がったところで、銀時は思わず立ち止まった。

「うっわ」

そこに包帯でぐるぐる巻きになったミイラがいた。隣には牙を出したドラキュラもいる。それだけではない。服を引き裂かれたゾンビ。頭に包丁が刺さったナース。童話の主人公。アニメキャラの着ぐるみ。そろそろピークが過ぎそうな芸人。頬や瞼に痛々しい傷を負いながら笑い合う少女たち。そんな統一感のないモンスターがうじゃうじゃいる。
角を曲がった先は大きな商店街の通りであり、今日は町内会のハロウィンイベントが開催されていたのだ。そこらじゅうでコスプレをした者たちが楽しげに練り歩き、商店街の店もハロウィン仕様に飾られたりイベントのセールが行われたりと、いつになく賑わっていた。

「あら銀さん。仮装してないのかい?」
「おい、すっげーなコレ。毎年こんな騒がしかったか?」
「ここ二、三年盛り上がってきたね。うちの店も仮装で割引してんのよ」
「それにしても人やべーじゃん」

歩いている者だけでなく、店員たちもコスプレをしているものだから普通の格好をした銀時が珍しいほどだ。声をかけてきた甘味屋の女将ですらカボチャやコウモリの刺繍が入った割烹着を着ている。

「ああ、そうそう。今年からなんかコンテストがあるらしくってね。若い子たちが張り切ってるみたいよ」
「コンテスト?」
「向こうの広場で参加者が仮装を披露して、投票で優勝を決めるんだってさ」
「また派手なイベントになってきてんな」
「とりあえず団子でも食べてきなよ銀さん。可愛い子たち中にいるよ」
「そうしたいけどよぉ、さっき財布空っぽになったんだよ」

女将にひらひらと手を振って商店街を進む。なるほど、ハロウィンね。そうか、じゃあパチンコ屋で玉を運んでいた死神は店員だったのか。本物の死神が見えてんだと思ってた。ロクに前を見ていないゾンビにぶつかりそうになるのをかわしながら歩く。何が楽しいのか思い思いの仮装で騒ぐ彼らは、ハロウィンの本来の目的なんか知りもしないのだろう。まあ、自分も当然全く知らないが。とにかくこんな辛い思いを胸に抱いているのはこの通りでは自分だけなのだ。そりゃあ、自業自得だけども。あまりの差にいじけた気持ちになっていると、前方から顔に札を貼ったキョンシーが走ってくるのが見えた。こちらに何か言っているようだが、気のせいだろうか。

「お兄さん!そこのお兄さん!!」
「…は?おれ?」
「ちょっと一緒に来て下さい!」
「えっなになになになに!?誰!?怖いんですけどーー!」

その勢いのまま腕を捕まれ引っ張られる。こんなに早く走るキョンシー、初めて見たぞ。ちょっとはキャラ設定守れよ。あっという間に商店街を抜け、駐車場に停められている車へと連れ込まれる。中には仮装した若者たちが数人いて、銀時を見るなり一斉に取り囲んできた。なんだ、俺誘拐でもされるのか。

「代役の方見つけてきました!!」
「良かったー!いやあ本当助かります!じゃ、早速服脱いで!」
「ちょっとメイクしますねー」
「髪の毛も失礼しますよ」
「おい、コラ!なんなんだよ一体!」
「お願いします!」

キョンシーが札をべりっと剥がして頭を下げる。長い袖がだらんと落ちていた。

「モデル、やってください。仮装の」

頭を下げたままで再び、お願いしますと言った。

「いや、マジで何言ってんの?モデルって何?なんで俺が?そもそもアンタ誰?!」
「時間がないんです!僕たち、今日のコンテストに出るためにずーーーっと準備してたんですよ!なのにモデルの人がついさっき腹痛訴えて病院行っちゃって…」
「知らねえよ!!誰かが代わりやればいいじゃん!何で無関係な俺を巻き込むんだよバカじゃねえの!」

「ノーメイクの人間がいないからですよ!!」

くわっと見開いた目が血走っていた。逆ギレかよ。気圧された銀時が周りを見渡すと、確かに仮装していない者が一人もいない。仮装だけならまだしも、派手なペイントや痛々しい傷は一度落とさなければ新たにメイクが出来ない。

「お礼はお支払いしますから!」

抱きつかんばかりの勢いの彼が放った一言に、銀時の動きが止まる。

「…お礼?」
「お礼!」
「てことは、金?」
「もちろん!優勝したら賞金出ますし!」
「おいキョンシー」
「はいっ!!」

きりっとした顔を作り、彼の肩を優しく叩く。

「困ったときは、お互いさまだろう?」


うわ、暗い。

一番に思ったのはそれだった。されるがままになっているうちにいつの間にか眠っていたらしい。銀時が目を開けると、窓の外はかなり暗かった。もう十月も末なのだ。しかし仮装をした人々と、煌々と輝くネオンや店の灯りで今日の街に寂しさや冷たさは感じられない。視線を車内に戻すと、キョンシーがやや緊張ぎみに頷いた。あくびをしながら手を上げる。車の外に出ると喧騒がより一層クリアに聞こえた。

「よろしくお願いします」
「おお、任せとけって。ただ立っときゃいいんだろ?」
「はい!あとは僕らが演出するんで」

メインイベントが行われる広場は一際人口密度が高かった。タキシード姿のMCがライトアップされた舞台に上がる。やっとコンテストが始まるらしい。
舞台裏には、街で歩いていたような半端なコスプレよりはさすがと言うべきか当然と言うべきか、レベルの高い仮装が見られた。ふうん、と思いながら周りを見渡し、ふと銀時は自身を見下ろす。了承するなり何の疑問もなく着替えた紋付き袴。あれ?てゆーかコレなんの仮装?眠そうな瞳で首を傾げる。無事に完成したらしいが、自分のその姿を全く見ていない。そう言えばコンセプトを説明された気はするが、それを聞いてるうちにうとうとしてしまったのだ。まあ何でもいい。パチンコですったくらいは返ってくればなあ。視線を上に戻し、また参加者たちを眺める。その時だ。

「…え」

目が一点で止まった。大勢行き交う中で、それはまるで仄かに光っているようにさえ見えた。白い。とにかく白いのだ。何故か見てはいけないもののような気がして、しかしそれでいて目が離せない。こっちへ近づいてくる。はっとして一歩後退った。真白い布に隠れていた顔が、徐々に露になる。艶やかに黒い髪と対比するような雪色の肌。短い眉の下にはつり上がった細長い目。その瞼や目尻は赤く引かれ、唇はそれより濃い赤で染まっていた。

まるで、それは。

「こん」

ニィと微笑み、招き猫みたいに拳を顔の前に作って下げる。まるでそれは狐。もしくは妖。化かされる。とても現のものとは思えなかった。だって、あまりにも。

「あまりにも美しすぎて声もでないのかしら」
「…は?、え?」
「本当にわからないの?」
「その声…お妙?」
「そうですよ」

はあーっと呆れたようにため息を吐いた彼女の姿は、そうしてやっと現実味を持ち始めた。

「何でお前がここに」
「前から知り合いにモデル頼まれてたんですよ。ていうか、それ私のセリフ。なんであなたがいるのよ」
「…何か知らねえけど、巻き込まれた」
「まあ大体の事は聞きましたけど」

お妙の姿は白無垢だった。仮装だと言うのにクオリティの高い衣装だ。ゆっくりとした動作で、彼女が銀時の隣に並ぶ。

「私たちの出番、次の次ですって」
「へえ。次の次…って、え!?」
「なんです?ドキドキしてきました?」
「いやいや、え?わたし、たち?」
「ええ。私たち」
「え?俺ら、一緒に出んの?」

驚いたように言うと、さっきより呆れた声でお妙が、はあ?と言った。

「あなた説明聞いてなかったの?いや、銀さんだもの。聞いてるわけありませんね。ちょっとこっち来て下さい」

銀時の手を引いて舞台の真裏へ向かう。そこに姿見があった。最後のチェックのためだろう。

「…うわー」
「うわーじゃないですよ」

鏡に写る自分の顔は、お妙までではないが白く塗られ、つり目になるよう長いラインが引かれている。髪の毛はいつもの銀髪を少し整えた程度だが、その上にピンと尖った獣の耳が付いていた。こんなもの、いつの間に付けられたのだろう。そんなふたりが白無垢と袴で並んでいると、それはもう番でしかなかった。ああ、テーマ、わかった。

「狐の嫁入りよ」
「だろうな」
「照明も用意して、ちょっとしたセットも作ってるんですよ。本当の水じゃないらしいけど雨の演出もするらしいわ」
「狐の嫁入りだから?」
「そ」
「何なの、あいつら。本気じゃん」
「本気なんですよ」

そう言えばスタッフの奴らの姿があまり見えない。おそらくギリギリまで調整しているのだろう。

「お妙さん、銀さん、そろそろスタンバイお願いしまーす!」

かけられた声に振り向くと、キョンシーが大きなセットを運んでいた。銀時とお妙は顔を見合せ、同時に返事をする。やるなら優勝だろう。変なところで負けず嫌いの二人が不敵に笑った。夕日のような橙の照明の中、銀色の雨が舞台に降る。橋を渡るのは二匹のきつね。妖しくも美しい花嫁の手を、夫がやさしく支える。やがて白い煙がゆらゆらと彼らを覆い、ぱっと晴れた時にはすべてが消えていた。夫婦も、橋も、雨も。観ている者は皆、狐に化かされたような顔をしている。彼らの舞台はそんな演出だった。

「ああ、疲れた」

出番を終え、綿帽子を取るとお妙は力を抜くように長い息を吐いた。スタッフ達はこれから打ち上げだとはしゃいでいる。キョンシーの手には優勝の賞状。報酬はがっぽり貰っても文句は言われないだろう、と銀時は顎に指を当てた。

「銀さん」
「ん〜?」
「何かやらしい事考えてるでしょ」
「何言ってんの。そんなわけないじゃん」
「まあどうでもいいですけど。それより打ち上げ、私たちもどうですかって誘ってくださってますけどどうします?」
「そりゃ行くだろ。タダ飯とタダ酒だぞ」
「いやしい人ですね…まあいいわ。じゃ、新ちゃんと神楽ちゃんも呼ぼうっと」
「お前だって十分図々しいじゃん。育ち盛りの大飯ぐらいだぞ」
「あー良かった。今日は子供たちをお腹いっぱい食べさせてあげられるわ」
「おい、俺がいつも食わせてねえみたいな言い方すんな」

ふん、と唇を尖らせる銀時の隣で、お妙が腕を上げて伸びをする。それにしても、と意地悪い顔で銀時を覗き込んだ。

「まさか狐になって銀さんに嫁ぐなんてね」

人生何があるかわかりませんねえ。冗談めかして笑いながら一歩先を進む。その背中を眺めながら銀時は足を止めた。しかしお妙は振り向かず、待ってもくれない。そのまま先をゆく。

「お妙」
「なあに」
「じゃあさ」
「ええ」
「じゃあ、人間でも嫁入りしとく?」

ぴたり。そこでやっと彼女の足が止まった。ゆっくりと振り向く。きょとんとした目はまだ狐みたいにつり上がったアイラインが引かれている。無意識に力が入り、手のひらが熱くなった。お妙は沈黙したまま銀時をじいっと見つめ、やがて赤く色づいた唇をひらいた。

「こん」

表情を変えずにそれだけ言って、彼女はくるりと身を翻した。呆気に取られた銀時は間抜けな顔で立ち尽くし、しばらくしてやっとその背を追った。

「お…おいっお妙!」
「こーん」
「こんって何だよ、こんって!イエスなの!?ノーなの!?」
「こんこん」
「おい、こら。ふざけんな。人間の言葉で言いなさい」
「ふふっ」

愉快そうな狐の花嫁が鼻唄をうたう。夜の暗さと街の明るさの間で、その声だけが夢のようにふわふわと浮いていた。


ニーナ(2018/11/6)


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