時計の中心からクロスするように細い溝があり、時間になると音楽と共にその溝で仕切られた文字盤が四方向に分かれて開く。その中から歯車と小さな人形が二体現れ、くるくると踊り出す。男とも女ともつかない、大人とも子どもともつかない、ふたつの人形が近づいては離れる事を繰り返す。まるで手を取り合っているような仕草で踊りながら、しかし彼らは一度も触れあわない。開いた文字盤から見えるむき出しの歯車が、まるで胸を開けられて露になった心臓のようだった。三つ目の時計を目にして初めて、妙はその光景を思い出した。


「気づいたら、もうそこにあった」

はっとして声の方を見る。視線を動かしたことでこめかみに痛みが走った。頭はぼうっとしていたし、身体は重いままだったが、昨日倒れたことは覚えていた。ちらりと辺りを見渡す。寝室らしい。数日間で初めてきちんとベッドで眠った。開け放たれた扉からリビングと、そしてその奥にある玄関の時計が見える。声をかけた銀時は、こちらに背を向けてソファに座っている。

「…アンタが、あそこで蹲ってた時」

そのまま振り返ることもせず彼は話を続けた。

「森で初めてあんたに会ったあの時。頭の中で知らない景色が浮かんだ。急に、フラッシュバックするみたいに」
「…え?」
「知らない家の縁側の景色。そこに座って見える風景。なんだ、これ。いつの記憶だっけ、って思った。何でいま急に思い出すのかもわかんなかった。俺、もともと自分の家なんかなかったし、どっかで泊まった家の記憶なんだろうって、唐突に思い出す事があっても、まあ、おかしくはないかって思い込んだ。納得しようとした。でも…。でもさ、おかしいんだよ。その景色が懐かしかったんだ。懐かしいっつーか、あー、ここ知ってるな。何度も帰って来た場所だ、って」
「…な、に…それ」

ソファから立ち上がった彼の頭が、上を向いたり下を見たりして、振り返ることを躊躇っているように見えた。やがて深くため息をつき、首の後ろを掻きながら身体ごとこちらを向く。とても久しぶりに顔を見たような気がした。

「わかんねえよ」
「…知らない家って言ったじゃない。知らない家の縁側だって。知らないのに知ってるって、なんなの」
「だから、わかんねえんだよ」
「わからないって…」
「その一回だけじゃない。アンタといるとたまにそういう事があった」
「…」
「前触れも法則もない。写真を一枚ずつめくっていくみたいに、変な事務所みたいなところとか、飲み屋とか屋台とか…断片的に切り取られた光景が頭に浮かぶんだ。全部、知らないのに…知ってる」

どうして、と妙は眉をひそめた。事務所って、まさか、万事屋のこと?そんなこと、でも、あり得ない。

「訳わかんなかったよ。アンタが現れたからそんな変なことが起きるんだって、そう思った。でも…だから、アンタが言ったこと嘘じゃないって、初めからどっかでわかってた」
「…っ」
「ホントおかしいんだよなァ。そういうのが頭に浮かぶと戸惑って苛々して気味悪いって思ってるのに、そこに触りたいと思う自分がいる。意識の底で大事な場所だって、どっかで何かが言ってるように感じる。なあ、おかしい、だろ?」

片頬をむりやりに持ち上げるような、不器用な笑い方で銀時は苦笑した。

「これ、」
「…え?」
「これって、もっと増えんの?」

彼は横を向いて顎をしゃくった。その先には三つに増えた時計がある。妙は唇を噛みしめ、ふるふると頭を振った。

「…わたしがここに来る前に、その時計を見たの。同じ、あの三つの時計」

あの時。針が12時を指した時、物凄い音で三つの時計が鳴った。三つだ。それ以上はない。ただ、あの懐中時計を除けば。あの時の出来事を妙は大まかに説明する。左右の大きな柱時計の振り子がばらばらに揺れて、真ん中のからくり時計から人形が踊り出す。古めかしい扉の小窓から漏れた光に視界を覆われ、気付けばあの森で頭を抱えていた。そっと玄関を見やる。確かにあの時の扉にあったように、そこには小窓があった。同じなんだ。あの場所と、この部屋は。

「12時?俺がアンタを見つけた時、昼の2時くらいだったと思うけど…じゃあ2時間もあそこでじっとしてたわけ?」
「2時?…いいえ、顔をあげるのが怖くてしばらくじっとしてたと思うけど、さすがにそんなに長くないと思うわ。それに、…」

妙はそこで口をつぐむ。確かにあのとき、時計の針は12時を指していた。

だけど。

「12時じゃなかった」
「…は?」
「12時じゃなかったの。わたしがこっちに来たとき」
「どういうことだよ」
「向こうの世界は夕方だったんです。午前でも午後でも12時なんて時間じゃなかった」

銀時の当惑した目を見つめる。自分のいる場所が、世界が、ぐらぐらと不安定に揺れていた。




いきかえる




ひとつ引っかかることがあった。タイムスリップが起きる前に見た西日。森の中へ飛ばされた時に頭上にあった青空。時計が指した12時というのは、こっちの世界の時刻なのだろうと漠然と思っていた。青空だから、もちろん正午の12時。行き着いた先の過去の世界を刻んでいたのだ、と。だけど、それではおかしい。辻褄が合わない。

「ねえ、さっきあなた、わたしを見つけた時、昼の2時頃だったって言いましたよね」
「あ?…ああ。正確に何時だったかわかんねえけど、その前後だったと思う」

時計が現れるという奇妙な現象。それはタイムスリップを経験した自分にだけ認識されるものなのだと思っていた。彼に時計自体は見えるが、一つずつ増えているという意識はなく、最初から二つだった、最初から三つだったというように、朝起きれば記憶は改竄されているのだと。しかし、それは間違いだった。一つから二つに増えた朝、彼はその異変に気づいていたのだ。しかし。ゼロから一つに時計が増えた日に限っては彼は気づかなかった。それが何故なのか、ずっとどこかで引っ掛かっていた。

「…ぎん、さん」

最初にこの家に入った日、わたしは時計がどこにもないことを知っていた。それは時間が知りたかったからだ。ここに来てどれだけ時間がたったのか、今が何時なのか、それを知りたくて無意識に何度も時計を探していたからだ。ならば彼は、私とは違って時間を気にしていなかった為に時計を探すこともしなかったのではないだろうか。

彼が時間を知る必要がなかった、その理由。

ベッドから足を下ろした。立ち上がり、銀時のいるリビングへ向かう。すぐ目の前の近い距離だが、歩くとめまいがした。銀時は焦ったように手を伸ばし、妙の身体を支える。

「ふらふらじゃねえかよ。まだ寝とけって」
「銀さん」

妙の青ざめた表情と身体の震えに銀時の顔は強張っていった。ねえ、どうして。

「おい、どうしたんだよ」
「銀さん」
「何だよ」
「どうして、2時って知ってたの?」
「は?」
「初めて会った時の時間。だってあの日、この部屋には時計はなかった。現れていなかった。まだ、ひとつも」

その問いかけに片眉を上げて彼は口をひらく。何故そんなことを気にするのだと言いたげに。

「…持ってるからだよ。時計」

懐へ手を入れて、彼が引き出したのは細い銀の鎖だった。その先に、やはり同じ銀の懐中時計があった。ひゅっと息を飲む。それはタイムスリップする前に妙の手提げに人知れず入っていたものだった。

「それ…どこで」

見せて、と手のひらを開いて懐中時計を受け取る。どう見てもあの時計だった。

「これ?ああ…いつだったかな。絡んできた変な天人が忘れてったやつだよ。結構いいだろ?ここ数日は何個も部屋に時計があるからあんま出さなかったけど、いつもはこれ使ってる」

天人の持っていたもの。言葉を聞きながら、震える手でその蓋を開ける。正確に動いているようだ。くる、と裏を向けるとそこに小さく何かが彫られていた。横から銀時がそれを覗き込んだ。

「なに?それ。そんなんあったかな」
「…カ、」

思い出した。妙の手提げに入っていた懐中時計の裏にも文字が彫られていた事を。たしか、片仮名で"イキ"と。しかし今、手の中にある時計に彫られているのは、それとは違っていた。

「…ヘ、リ…」
「え?」
「カヘリ、って書いて…」

言いかけた時だ。どこかでカチッ、と音が鳴った。聞き覚えのあるそれに、妙は硬直する。時計の針が動いたような、すべてが重なりあったような音。玄関に目をやると、三つの時計はすべて12時を指していた。ああ、と思った。あのときと一緒だ。この懐中時計がきっかけだったのだ。それを起こす、スイッチだったのだ。眠りから目を覚ましたように3つの時計が鳴り始める。ゴーン、という地響きのような重低音と、コミカルで甲高く、奇妙なメロディ。振り子が揺れる。割れた文字盤から人形が出て来て踊り出す。妙を支えていた腕がびくりと揺れた。懐中時計の文字。『イキ』と『カヘリ』とは、『行き』と『帰り』という事だ。

あれが、起きる。

「なっ…んだよ!これ!」

無意識に歯を食い縛り、足を踏ん張った。大声でないと会話できないほどの大音量。刺々しい光が目に入って、反射的に瞼を閉じる。眉間にシワを寄せながら光の出所を探すと、玄関の、ちょうど三つの時計が囲んでいる小窓から差し込んでいる。妙は自分の手を見下ろした。電波不調のテレビ画面のように、ちぐはぐに点滅して見える。

「おい!…妙っ!!」

銀時の手は妙の腕を掴もうとしてすり抜け、その衝撃に打ち付けられたように呆然としていた。見ると、彼の身体に異変はないらしく、ほっとした。そうか、あの蹲っていた時もこんな現象が起きていたのだろう。二度目だからか、取り乱す銀時のせいか、やけに冷静だった。妙は微笑んで彼の頬へ手を当てる。頬に触れる感覚はなかった。

「やっと名前、呼んでくれた」
「…っ、そんなこと、言ってる場合じゃ…!」
「お願いがあるの」

瞳を覗き込む。まるで迷子みたいな顔をしている。

「生き続けることを自分から止めないで」
「…」
「会いたいの。未来でも、あなたと。…そうね。もしもあなたに会えたら、駅前に新しい喫茶店できたそうですから、開店記念のスペシャルパフェ奢ってあげる」

ね?と肩をすくめる。何か言おうとして開いた彼の口は、結局なにも言わずに閉ざされた。構わず妙は続ける。

「あなたに会えて良かったですよ」
「…」
「未来の銀さんじゃなくて、わたしと同い年のあなたよ。わたしの事をアンタって呼ぶあなた。つんけんしてるのに非情になりきれない、いま目の前にいるあなたと、会えて良かった。もしも最初から、同じ年だったなら…。そうだったら、もしかして好きって言えたかもしれないわ」

笑いながら言うと、銀時の頬がひくりと動いた。泣きそうな顔をしていた。

「あなたが辿る未来に、わたし、待ってるから」

目が霞む。視界が光の白に侵食されていく。時計の音が大きくなる。時間はもうない。

「た、え…っ」
「銀さん」

「……!……っ!!」

必死で何かを訴える彼の声は聞こえず、最後に言った言葉はわからなかった。精一杯伸ばした手はどこにも当たらない。そうして、視界は完全に白に覆われた。

会いたい。

会いたい。

思うほどに胸が詰まった。

彼はわたしの事を、そしてこの数日間を忘れてしまうのだろう。或いは妙自身も忘れてしまうのかもしれない。もしくは彼の言ったように、もともと違う世界を生きていて、どうやっても私たちの未来は交わらないのかもしれない。だって、銀時は今までそんな素振りを見せたことなどないのだから。未来からきた女と出会った過去があるなんて話は聞いたことがない。ふと、そこまで考えて、あることを思い出した。万事屋にいちごを持っていった日の、寝ぼけた坂田銀時の言葉。待っている間に妙が読んでいた小説の装丁をやけに凝視して、あの男はこう言った。

『…お姉ちゃん、タイムスリップしてるのね』

その時は、彼はまだ夢の延長にいて、デタラメな事を言っているのだと思った。実際それまでも彼の話は要領を得ていなかったからだ。だからまともにとりあわず本から目を離すこともしなかった。だけど、あれは物語に出てくる妹のセリフだ。それも終盤の。銀時が小説を読む趣味を持っているとは考え難かった。更にあれは最近出た新作であり、彼が既に読了している可能性は限りなく低い。

じゃあ、何で知ってたの?

結末を、あのセリフをどうして。ぱらぱらとページをめくる彼の手を思い出す。セリフだけ読んでいるんだと悪びれずに言っていた、幼さの残る青年の横顔が浮かんだ。


急に息苦しくなって、妙は空気を吸い込むと共に目を開ける。


酸素を求めるように肩が上下した。視界が傾いていたこともあり、今いる場所が一瞬どこだかわからなかった。目線の高さにあるテーブルの色や、窓からの日差しで出来た影の形でやっと察しがつく。万事屋だ。左頬にぺったりと何かが触れていた。慌てて身体を起こした。事務所のソファで横になっていたらしい。眠って、いた?頭が混乱している。あの森にあった家でもなく、奇妙な時計屋の前でもない。じゃあ、今までのは、全部…

「夢?」

ぽつりと呟くと後ろで、あっ、と声がした。

「アネゴ!起きたアルか?」

振り返ると少女の赤い髪が視界に入り、妙は目を見張った。

「かぐら、ちゃん…?」
「どうしたの?顔色悪いヨ?」
「わたし…どうしてここで…」
「忘れたの?アネゴがいちご持って来てくれて、一緒に食べたあと寝ちゃったアル。きっと疲れてるのヨ」

え、と声が漏れる。いちご?食べた後って、じゃあ、あの日から少しも時間はたっていないの?あのあと万事屋を出て、路地裏を寄り道したことも全部、夢?

「最近忙しかったですからね」

もう僕も帰りますから、一緒に帰りましょうか。そう言いながら今度は新八が台所から出てきた。二人の顔を見たことで一気に安堵が湧き出たが、しかしながら混乱は続いていた。今までのことすべてが夢だったのだろうか。でも、そんな、まさか。頭を押さえた時、身体とソファの間に何かがあるのを感じた。手を入れてそれを引き出す。

「…こ、れ…」

妙は手の中のものからゆっくりと目を上げ、窓の外を見やる。夕日が空と雲を赤く染めていた。

「…新ちゃん」
「はい?」
「あの人…。銀さん、どこへ行ったの?」
「え?さあ。僕たちが帰った時に出ていったきり帰って来てませんよ?」
「どーせどっかでパチンコでもやってんのヨ!あんな奴ほっといて何か食べにいくアル!」
「ああ、いいね。仕事もないし、今日は三人でどこか行きましょうか」
「…ええ。あ…でも、ごめんなさい。わたしちょっと出てくるわ。すぐに戻るから」
「えっ?ちょっと、姉上?」
「どうしたアルか?」
「ごめんね、ちょっとだけ用事を思い出したの。ご飯は一緒に食べるから」

言いながらソファから立ち上がり、玄関までの道をぱたぱたと歩く。万事屋の戸を引いて外へ出ると風が髪を撫でた。目に写る風景は紛れもなく現在のものだ。手の中に視線を落とす。細い鎖のついた、銀の懐中時計がそこにあった。震える手で蓋を開けると、割れた風防と止まった針が現れる。

それを握りしめ、妙は走り出していた。




ニーナ(2017/6/24)



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