洋風のこぢんまりとした家が雑木林の中にぽつんとあった。鬱蒼とした木々の中に、ひとつだけ立つ家。どうにも違和感のある風景だ。なぜこんなところに一軒だけ?と、彼を見る。さっき周りを調べた時に見つけたんだ、と銀時はドアを引いて遠慮もなしに入っていった。

「夜逃げか空き巣か知らねえけど金目のもんはない。誰か住んでる形跡もねえし、ちょっと邪魔するくらいいいだろ」

妙は部屋を見渡した。リビングにキッチンにベランダ。やはり中も洋風だ。ところどころで蜘蛛の巣がはっている。

「銀さんの仲間は?」
「はぐれた。闘ってて気づいたら、林?ここに入ってて」
「そう。闘って…」
「うん」
「…ねえ、もしかして桂さんもいるんですか」

尋ねると銀時の目は一度驚いたように見開き、しかしすぐに呆れたように笑った。

「ヅラのことも知ってんのかよ」
「ええ、坂本さんもね」
「マジかよ。こえーな」
「あ、ちょっとそこに座っててください」

妙はリビング入ってすぐのソファを指差すと、自分は部屋の中の戸棚や机の中を覗いて回った。



さわれない傷





洗面所の棚に見つけた木箱を手にリビングへ戻ると、銀時は意外にも大人しくソファにもたれかかっていた。疲れたように天井を仰いでいる。不思議な感覚だった。確かに彼であることは間違いないのに、今は自分と同年代の男の子だなんて。いつだって何でもわかっているような顔でデタラメなことを言うあの人。近いと思えば遠い、たくさんのものを抱えている彼の、私はいま、過去にいる。

「銀さん」

彼の横へ座り、木箱をテーブルに置く。

「肩、出してください」
「…」
「早くしないと腕使えなくなりますよ」
「自分でするって」
「あなた包帯巻くの雑じゃない」
「何で知って…って、手当てまでしたことあんの?」

ええ、それは何度もね。嫌味のつもりで言ったのだが、彼はそれに気づかず、未来でもまだ怪我の絶えない自分に呆れているらしかった。ほら、はやく。急かすとしぶしぶ着物をずらした。露にした肩には包帯ですらない汚れた布があてがわれ、血が染み出している。聞くと、傷を負ったときに十分な道具がなかったため適当な布を破って使ったとのことだった。もちろん消毒もしていないのだろう。こんな状態でまた戦場に赴くなんて、無茶は昔から変わっていないらしい。布をそっと触り、ふう、と息を吐いた。何度も治療したし、何度も看病した。だけど血や傷を見ると胸が抉られるような感覚はいつまでも変わらない。唇を噛み締めて、手当てを始める。時折痛みに顔をしかめたが、彼は何も言わずに終始自由なほうの右手で膝に頬杖をついていた。

「…アンタってさ」

巻き終わった包帯を結ぶと、黙りこくっていた銀時がやっとこちらを向いた。"アンタ"か。思えば銀時にアンタと呼ばれたことはなかった。お前とかお妙とか、たまにオネーサンとか。不躾な呼び方にもどこか新鮮さを感じて可笑しくなる。

「恋人なの?」
「は?」
「手当てするなんて、よっぽど親しいってことだろ」
「ああ…いいえ。銀さんの手当てが必要な時って看病できる人間が私くらいしかいないから。大抵弟たちも一緒に怪我してますからね。だから、全くそんな関係ではありません」
「ふうん」

適当に呟くと銀時は妙の手元をぼんやりと見つめた。どれほど近くにいても私達には壁がある。傷の手当てを何度したって、胸の中の一番深い傷にはさわれない。妙は諦めに似たような笑みを浮かべた。

「わたしは中に入れないもの」

はい、もういいですよ。ぽんぽん、と軽く腕をたたく。何か言いたそうな、釈然としない彼の視線には気づかないふりをした。薬箱の蓋を閉めると同時に窓に小さく弾くような音が聞こえたので、妙はなんとなく振り向く。窓にかすったような斜めの線があった。雨だ。そう思うよりも早くまたひとつ線が窓をかすめる。それらはやがて大粒になり、あっという間にどしゃ降りになった。外が煩いのと対照的に、いやに部屋の中が静かだった。

「…おれ」

ぽつりと彼が呟く。雨と木々に閉じ込められた部屋の中には、消毒の匂いや息づかいに加え、入り交じるそれぞれの感情が充満していくような気がした。

「アンタの言う、銀さん、ってのはさ、たぶん俺とは違うと思うよ」
「え?」
「ああ、アンタが未来から来たっつうのを否定してるわけじゃなくて…まあ別に信じてるんじゃねえけど。ただ仮にアンタが未来から来たとして、その坂田銀時?と知り合いだとしても、その男は…俺の、今ここにいる俺の未来とは多分ちげえよ」
「…どうして?」
「ほら、タイムスリップ漫画でよくあるじゃん?一人の人間の、たくさんの未来。右の選択をすればAの未来へ。左の選択をすればBの未来へ。そうやって枝分かれしてる未来が、俺とアンタの銀さんは別なんだよ」
「どうして、そう思うの」

その問いには答えず、ただ強くなる一方の雨を彼は眺めるだけだった。妙はその横顔を見た。妙の語ったような遠い未来に、自分が未だ生きている事が彼には信じられないのだろう。この時代に生きて、この時代に死んでしまいたいとすら思ってるかもしれない。

「その男はさ、きっと悪い事をしていない坂田銀時なんだよ。罪なんかひとつもない。でも俺はちがう。だからこのまま生きてても、アンタのいる未来には辿り着かない」

妙は彼の横顔から視線を外した。いいえ。と胸の中でつぶやく。いいえ、あの人には罪も傷もあった。それを捨てることなく生きてきた。いま治療した肩の傷は、妙の知る坂田銀時の肩にも古傷として残っていた。それらを背負って、あの男は歩いてきたのだ。しかし、それはどうしても言えなかった。

「ひどい雨ね」
「…ああ」

妙は銀時のするように雨を見つめた。ほかに出来ることが何も思い付かなかったからだ。せめて、ただ同じ景色を見ようと思った。見えているものは、きっと違うだろうけど。

雨はなかなか止まなかった。

妙はその間、自分のことを話した。未来の銀時について話をしようかとも思ったけれど、彼に自身の具体的な未来を言っていいのかわからなかった。よく考えれば、妙の事を話すのだって本当はしてはいけないのかもしれない。しかし現実離れしたこの空間でそんな事は思い付かず、気づけばポツポツと話していた。
父も母も子どもの頃に亡くなったけれど、弟が一人いて、二人で楽しく暮らしているわ。仕事はキャバクラをしてて、結構人気あるんですよ。お休みはそうね、お友達と出掛けたり買い物したりしてる。家はもともと道場をしていたんだけど今は潰れかけていてね、だから再興に向けて頑張ってるの。
眠いのか痛いのか銀時は曖昧な相槌をうつだけだった。さっきの話がもう一度されることはなく、その事に妙はどこか安堵していた。

そして、彼の様子がおかしくなったのは、日が落ちた頃だった。まず息が荒い事に気付いた。顔は苦痛に歪み、手足は力なく垂らしている。

「銀さん?」

その辛そうな様子を見て、妙は彼の頬に手を当てた。ひどく熱い。

「痛むの?熱もあるみたい」
「…何でもねえよ」
「そんな顔して何でもないわけないじゃない。ちょっと、立てます?寝室へ行けますか?」
「え、なに?誘ってんの?結構大胆だね」
「つまらない事言ってないで…ああ、もういいわ。ここで寝ましょう。ほら、横になって」

妙は寝室にあった毛布と掛け布団を持ってきて銀時にかける。

(薬箱に薬はあったけど…その前に何か食べたほうがいいわよね)

何か食材がないか、妙は台所を探った。やはりまた洋風で、こういった形は今でこそたまに見るが、戦の時代ではまだ珍しかった気がする。そんな事を考えながら、床下を探ると少しの食糧があった。缶詰めや干物など、まるで非常食のようなものばかりだ。しかしこれはいつのものなのだろう。食べても身体に支障はないのだろうか。ふと見渡すと、棚の下のスペースに段ボールがあり、中にみかんが入っていた。若くはないが、カビも生えていないし腐っていないらしい。そのみかんと湯飲みに入れた水を手に、リビングへと戻る。

「なに、それ」

手の甲を額にくっつけた銀時が妙の手元を見て言う。

「みかん、台所にあったから」
「…そんなんあったのか」
「ええ、案外最近まで住んでいたのかしら」
「知らね。どうでもいいよ」
「ね、食べられます?薬箱の中に痛み止めがあったから、みかん食べたら飲みましょう」
「は?いらねえよ」
「どうして?辛いんでしょう」
「訳のわかんねえ薬飲めるか」
「大丈夫よ。うちにあるのと一緒だし、銀さんが怪我したときだっていつも…」

荒い呼吸の合間に、ハッと嘲るように銀時は笑った。

「信じてない奴に大丈夫って言われてもな」

箱から粉薬を取り出した状態で妙の動きが止まる。彼の目はうんざりしたように彼女を見下ろしていた。

「つーかさ、銀さん銀さんって気味悪いんだよ。俺はアンタなんか知らねえっつーの。だいたい未来から来たってなに?何のために?さっきの本だって俺の情報だってどっかの怪しい連中が嵌めようとしてんじゃ…」

そこで言葉が止まったのは、妙が手にもった粉薬を自らの口に運んだからだった。ごくんと薬を飲み下す喉元を見て、銀時は思わず身を起こす。

「ちょっ…何してんだよ!」

口を手で拭った妙は彼を睨むようにして言った。

「…何も起きないわ。これでいいでしょう?私を信じられなくてもいいから、ちょっとだけでも飲んで」
「…」
「今飲んだ薬が半分残ってますから、それを飲めばいいわ」

本来ならば看病のために側にいたかった。だがこのまま一緒にいるのはよくないだろう、と妙は立ち上がる。その手を、銀時は反射的に掴んだ。やはり熱い手だった。何ですか、と言った自分の声が冷たく響き、内心苦笑する。どうやら傷ついているらしい。

「…みかん」

しばらく黙ったあと、彼は拗ねた子どものように呟いた。

「みかん、むいて」

口を尖らせたまま視線を逸らす。まるで、ごめんなさいを言えない子どもが仲直りのきっかけを探しているみたいだ。そこで呆れながらも座り直す自分は、結局は銀時に甘いのだと思う。

こんな世界でも夜はいつものように更けていった。しかし狂ったような雨は変わらず降っている。

考えなければいけない事はたくさんあるように思えたが、考えてもどうにもならないような気がした。疲れがどっとやってきて、頭が上手く回らない。何よりもただ眠たくてしょうがなかった。銀時が目を閉じたのを確認すると、妙は向かいのソファへ横たわる。そうして、一日目は終わった。






ニーナ(2017/5/3)



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