うるさい。まぶしい。もう、やめて。ただひたすらにそう願った。目をつむり、耳をふさぐ。どれくらい時間がたっただろうか。いつの間にか頭の痛さが和らぎ、そこでようやく音も止んでいることに気づいた。恐る恐る顔を上げる。目の前には茂みがある。さっきいたはずの場所と全く違うことは理解できた。なんで?ここ、どこ?思って、更にパニックになった。場所どころか、自分が誰だか一瞬わからなくなったのだ。やがて霧が晴れるように自身についての事が戻ってきて、思わず息を吐く。わたしは志村妙だ。
手が震えていた。混乱と不安でどうにかなりそうだ。辺りを調べてみようか。ああ、でも、立ち上がる気には到底ならない。

「…おい」

ビクッと身体が跳ねる。思わず足元の地面に手をつき、声のした方を振り向いた。妙の目が驚いたように大きく見開かれる。どうして。更なる混乱に狼狽えながら、しかし心のどこかで安堵していた。訝しげに眉をひそめたその人は、何も言えずにいる妙に続けて声をかけた。

「何してんだよ、アンタ」

その声は聞き覚えのある、というよりさっきも聞いた紛れもない彼の声だった。なのにまるで見たことのない遠い人みたいだ。めんどくさそうな、そして少なくとも好意的ではない、怪しい人間を見るような視線がちくちくと痛い。

「…ぎん、さん…」

それでも、この訳のわからない状況でこの人だけが揺るぎない存在だった。坂田銀時。彼の腰には刀が差さっている。いつもの木刀ではなく、真剣だった。彼は名前を呼び掛けたことで警戒心を強めたように目を細くした。

「なんで俺の名前知ってんの」






わたしを知らないあなた




何を言ってるんだと殴り飛ばすことができなかった。あまりに非現実な出来事が、彼の他人行儀な佇まいも理解せざるを得ないような気がしたからだ。風貌だっていつもと違う。あの波模様の入ったいつもの着流しではなく、袴に白い羽織だ。顔も幼い。別人?とても似ているだけ?でも、さっき何故名前を知ってるかと言った。少なくとも"ぎん"のつく名前だと言うことだ。だとすると、考え付く可能性はひとつだった。妙は恐る恐るといったふうに口をひらく。

「…あなたの名前は、坂田銀時さんですか」

このとき、この人に何て言ってほしいのか自分でもわからなかった。そうだと言ってほしいのか、違うと言ってほしいのか。彼は警戒心を解かぬまま、顔をしかめて言った。

「だから、なんで知ってんだっつってんだよ」

ああ、と手で顔を覆う。ああ、やはり。力が抜けてその場に完全にへたりこんだ。答えはほとんどわかっていた。彼は紛れもなく坂田銀時だ。

ここは、過去なんだ。

妙を記憶していない言動。彼の幼い見た目。いつもと違う着物も刀もそうだ。おそらくまだ戦の時代。自分はまだ子どもだった頃だろう。すぐには信じられなかった。悪い冗談で、みんなが騙しているんじゃないのか。そうだったならどれほどいいだろう。動悸が激しかった。だけど、さっきいた場所から一歩も動かず全く別の場所にいるなんてあり得ないし、それに空が違う。さっきは夕方だったのが今はまだ昼のそれだ。過去だと仮定すればするほど辻褄が合ってしまう。奇しくもさっきまで読んでいた小説がタイムスリップの話だったので、嫌でもその可能性にいきつく。双子の姉には過去に戻る力があり、妹に降りかかる死の運命をねじ曲げようと奔走する話だ。何度も戻って、失敗して、失望しながらも諦められなくてまた戻る。そんな話。物語としては魅力的でも、そんな非科学的なことが実際に起こるとは思えない。しかし今の世の中には想像を絶するような機械が開発されたり、現象が起こったりしている。全くあり得ないことでもないのかもしれなかった。

「何か言えよ。どっかの回しもんか?」
「…」

不審がって睨む目が痛かった。彼は、例えば敵や怪しい者にこんな視線を送るのか。初めて向けられた冷酷な視線に、今まで自分が銀時の身内の位置でいたことを実感する。その感覚が、不本意ながらも今はとても恋しく思えた。

「お、い…アンタ何泣いて…」

刺々しく睨んでいた青年が、ぎょっとしたように後退る。言われて初めて気づいた。涙が頬を伝っている。不安なのか安心したのか、その両方なのか。涙の成分は自分でもわからなかった。しかし泣いている場合じゃない。妙はごしごしと頬を擦って、銀時をきっと睨んだ。この奇妙な状況が、この男のせいのように思えたからだ。そうよ。だいたいあなたといるとロクなことないんだから。

「な、なんだよ」
「ちょっとそこに座ってください」
「はあ?」
「いいから座る!」

妙はぴしっと背筋を伸ばして体勢を整えると、自分の正面を指差して彼にも座るよう促した。不服そうにしながらも銀時は言われた通りに座る。何故こんな女の言うことを聞いてるんだと自分で自分が納得できないようにむっつりと唇を尖らせていた。
こうなったら事情を説明するしかない。できるだけ手早く説得しないと。妙は目をつむり、ゆっくりと息を吸って吐いた。だいじょうぶ。あの人といるとロクなことはないけれど、いつだって上手くいってきた。自分に言い聞かせて目を開けた。

「わたしの名前は志村妙です」

当然の如く、その名前に反応することはない。憮然としたまま彼は何も言わなかった。

「坂田銀時という人の部下の姉です」
「…は?」
「あなたの未来の、坂田銀時です」

ぽかん、と口を開けたあと不愉快そうに顔を歪めてもう一度、はあっ?と言った。

「え?なに?アンタ不思議ちゃん?」
「ええまあ信じられないのはわかります」
「あ、何かセールス?詐欺?タイムマシン売ってますってか?あのね、俺そういう怪しいのに引っ掛かっちゃダメって言われてるのね」
「タイムマシンがあるなら今すぐ帰ってます。わたしのほうが欲しいわよ」
「はいはい、アレだ。ストーカー?熱狂的白夜叉ファンってやつ〜?」
「うっわ、そんなふうに思ってたんだ…今度新ちゃんと神楽ちゃんに言おう」
「おい、なんか止めろ」
「ドン引きです」
「じゃあなに?スパイ?雑じゃね?つーか色気なさすぎじゃない?ハニートラップだったら俺もっとグラマーなほうがいいから。チェンジしてもらってー…って、あだだだだ!!!」
「あら残念。その減らず口はもう形成されてるのね」
「ちょちょちょ!耳!千切れるって!!」
「今からでもその口の聞き方直した方がいいんじゃありません?」
「えっ…なに今の怪力。スパイっつーか殺し屋だよね。え?熊?いや、ゴリ…」
「死にたいのね」
「わあああっ違う!ごめんなさい!間違えた!」

いってー、と引っ張られた耳の存在を確かめている銀時の肩に、ふと目が止まった。左肩が微かに下がっている。妙は眉をひそめた。その先の左手がたまに、気づかない程度に震えているように見えた。着物は汚れていない。

「あなた…怪我してるの」

ぴく、と銀時の動きが止まる。また鋭さを含んだ視線で妙を見やった。今まで看病してきた場面がいくつも浮かぶ。彼は手負いの時こそ強がって見せるのだ。敵に斬られた傷の手当てが十分でないのではないか。

「みせてください」
「は?」
「手当て、しますから」
「何言ってんだよ。得体の知れねえ女にそんなことさせるわけ…」
「私はあなたを知ってます」
「…名前知ってるからって何なんだよ。んなもん調べりゃすぐわかるだろ」
「名前だけじゃないわよ…。坂田銀時。誕生日は十月十日。好物は甘いもの。特に餡子といちご牛乳。愛読書は少年ジャンプ。かなづちでおばけが怖くて手先が器用。ぐうたらで怠け者で、それから…」
「…」
「それ…から、絶対…」

ダメだ、と慌てて視線を逸らす。また涙が出そうだった。視線を逸らした先に妙の手提げが横たわっていた。はっと思い当たる。それを引き寄せ、中をがさごそと漁った。手にしたものを銀時の前に差し出す。

読みかけの、あの本だ。

「…なんだよ、これ」

ぱらぱらとそれをめくり、後ろのほうのページへ向かう。発行日の載っているところで手を止めた。双子の姉が、妹の死の運命を変えるために何度もタイムスリップするその本は、妙のいるべき世界のほんの数日前に発売されたものだ。つまり、この時代にあるはずのない本だった。

「ぜったいに、仲間を見捨てない」
「…」
「わたしの知ってる銀さんは、そういう、どうしようもない人なの」

彼を見上げる。信頼のないその目も、幼い顔も、いつもと違う着物も、自分の知らない人のようだった。だけど、髪の毛だけは。暗闇で鈍く光り、朝日に透けるようなあの銀色の髪の毛は、まさにあの人だった。

ねえ、銀さん。
わたしはあなたに会いたかったのかしら。
たとえばわたしと同じ、十八のあなたに。




ニーナ(2017/4/24)



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