銀時と妙


気づけば朝食だけは、いつも一緒にとるようになっていた。味噌汁の入ったお椀の木目をなぞり、その温度を確かめる。具はほとんどいつも豆腐とわかめ。その質素な、誰にも懐かしい味が好きだ。妙はひそかに微笑む。昼と夜は大抵それぞれの仕事があり、当然各自で食事をする。しかし夜が明けて朝が来ると、二人は自然と食卓に集まり、向かい合って食事をとるようになっていた。約束をしたわけではない。いつの間にか、ただそうなっていた。

「銀さん昨日、テレビつけっぱなしで寝てたでしょ」
「んな事ねえだろ」
「つけっぱなしでしたよ。日曜のドラマ。録画だったから、再生終わったら静かになってたけど」
「あー最後まで見てねえや」
「結局あの奥さんとスーパーの店員が不倫してたんですよね」
「ちょっ…お前言うなよ!!」
「再生終わってもテレビの電源まだついてるんじゃないですか?そういうの気になるから消してきてください」
「はあ?めんどくせーよ。あとで…」
「まさか奥さんの不倫してるお兄さんと、旦那さんの会社の受付嬢が…」
「だあああっ!わかったっつーの!」

ちっと舌打ちをすると派手に音を立てながら銀時は自室へ入っていった。それくらいちゃんとしなさいよ、と妙は涼しい顔で漬物をつまむ。戻ってきた彼は不機嫌そうな顔をして乱暴に座り直した。

「つーかお前こそ洗面所の電気つけっぱだったぞ」
「そうだったかしら」
「そうだったわよ」

次に箸を入れた鯖の味噌煮は、お登勢の店の残り物だ。いつも通りにおいしい。毎日そうだった。米は妙が炊き、味噌汁は銀時がつくり、あとは大抵お登勢のお裾分け。それで二人の毎朝は始まる。

「細かいこと気にしてるといつまでたっても可愛いお嫁さん来てくれませんよ」

いつのまにか、五年が過ぎていた。

当然ながら五つ歳をとった。まわりもそうだった。

神楽は父親と同じハンターになった。志村家の道場は再興し、新八は門下生への鍛練に日々励んでいる。銀時は万事屋を続けていて、大きな仕事の入った時は神楽と新八が駆けつけるような形になっていた。その時はもちろん定春も一緒だし、変わらず息ぴったりの万事屋を見せてくれる。

「…来るだろ。新八に来たんだから」
「でももうアラフォーでしょ?」
「まだちげぇよ!四捨五入してもまだアラサーだっつーの」
「似たようなものじゃない」
「じゃあお前もアラサーだからな」
「ああん?」
「わかったわかったから食卓ひっくり返そうとすんな」

妙はスマイルを辞めていた。当然働き続けることのほうが楽だし安心だったけれど、年齢的に制限があるし、いつまでも出来る仕事ではない。将来をどうしようかとぼんやり考えていた頃、新八が結婚をした。それは唐突だった。まず驚いて、次に寂しくなって、だけど最後に残るのはやはり嬉しさだった。幸せだと思った。花嫁は可愛らしい人で、その子の横に立つ弟はとても逞しく見えた。
新婚の二人はもちろん志村邸で暮らすこととなり、妙は自ら家を出た。弟夫婦には引き止められたが、自分がそうしたいことを話してなんとか説得をした。

そんな時に妙が一人暮らす家を探している事をお登勢が聞きつけ、店を手伝わないかと話を持ちかけてきた。そして、店を手伝うなら上に住めばいい、とも。

「つうかお前さー」

漬物を口に運びながら銀時が妙を見る。それに返事をすると、話しかけたくせに彼は気まずそうに目を逸らした。ぽりぽりと漬物を咀嚼しつづけている。何なのよ。不審に思いながらも面倒なのでそのままにした。
当然、お登勢の店の上には万事屋兼坂田家の住居がある。しかし今は神楽も新八も出入りすることは少なく、実質銀時の独り暮らし状態であった。驚いたことにお登勢はそこを改築してルームシェアのように暮らせばいいと言ったのだ。改築については色々と貸しのある建築関係の奴がいるから心配ない、と。あり得ないと思った。いくら改築したって同じ家に暮らすことには違いない。もちろん銀時だって全力で拒否していた。なんで自分の家が勝手にシェアハウスになるんだよ。そのもっともな意見は、しかしお登勢の更なる正論と圧力で押し潰されていた。家賃未払いのことだとか、破壊された部屋の工事費を負担したことだとか、だいたいどれだけ迷惑かけられてるかだとか、持ち主は私なのだからどうしようと勝手だとか、まあざっくり言えばそんな感じだ。妙はというと、自分のことを思って提案してくれた事は本当に有り難かったが、さすがに無理だろうと思った。特に銀時は自分と暮らすなんて嫌がるに決まっている。店を手伝うことは問題ないし、むしろそうできればいいと思っていたが、住まいについては自分で探すと言った。1人で住む物件なんてすぐに見つかるのだから、とそう思った。しかし、そこに待ったをかけたのが新八と神楽だった。

「そういえば今日うちで晩御飯食べますけど銀さん来ます?」
「ああ…うん、たぶん行く」
「じゃあ新ちゃんに言っときますね」

一番反対するだろうと思っていた新八が一緒に暮らすことを勧め、話を聞いた神楽も賛同したのだ。妙と銀時は驚愕した。全く知らない場所で妙が一人暮らしするより銀時でも側にいた方が安心だと新八が言い、妙が一緒ならば自分たちが巣立った後の銀時の監視も出来ると神楽が言った。
新八と神楽が独立した事もあるが、いつも一緒だった友人たちもそれぞれの道に進んだ事や、さらにあの頃であれば絶対に阻止したであろう互いのストーカーすら何年か前にそれぞれあっさり結婚してしまい、私達の周りはとてつもなく静かになっていた。五年前だったら。あの頃だったら。最近やけに何度も思う。まるで老後のお年寄りだ。あの頃だったらきっと騒いで反対して食い止めただろう周りの人々は、あの頃とは別の大切なものができ、考えも変わっていた。おのずと私達は自由になっていたのだ。自由というものがすこし寂しいのだと、わたしはそのとき初めて知った。

そして、寂しいのはたぶん、自分だけが変わっていないからだということも。

「お前さ」
「なんですか」
「…ずっとここいんの」

その言葉にちらりと銀時を見る。目を合わせるつもりはないのか、彼はひたすらに手元の白米を見つめていた。
同居を始めてから半年が過ぎようとしていた。妙はお登勢の店を手伝うのに加え、昼は甘味処で働くようになっていた。

「迷惑ですか」
「そりゃお前、ゴリラと一緒に生活するとなったら心身ともに…」
「あら銀さん顔に何かついてますよ。取ってさしあげます」
「だーーーごめんなさい!それ右目!!要るやつだから取らないで!!」
「いらないでしょう。美女をゴリラと間違える右目なんて」

自分に迫りくる手を掴んで銀時は右目を死守する。これ見よがしに大きなため息をついた妙は不機嫌そうに椅子に座りなおした。

(…いいじゃない)

緑茶を口にして、苦さに顔をしかめる。

(いいじゃない。昼も夜も仕事だし、寝る時間もばらばらだし、休みもあんまり被らないし、顔を合わせるのなんて朝くらいじゃないの。一人のときと違って家賃もちゃんと払えるようになったし、甘いものだっていっぱい持って帰ってあげてるでしょ)

ぶつぶつと心のなかでぼやいた。そりゃあ、銀時にとっては気ままな独り暮らしに邪魔者が入ってきて面白くないだろうけど、自分だって気は使ってるし申し訳ないと思っている。だからこそ甘味処でお土産を買って帰ったり、休みが被れば彼が1人になるように志村邸に帰ったりもしている。その気遣いをちょっとくらい理解してくれたっていいじゃない。今度は気付かれないようにそっとため息をついた。新八や神楽や街の人々と同じだ。銀時だって妙よりも大切なものが当然たくさんあって、生活する上で妙の存在は言ってしまえば邪魔だろう。そんなこと、わかっていた。わかってるわよ。

「ちゃんと探しますよ」
「は?」
「家。どうもご迷惑おかけしてすみませんね。いつまでもいませんからご安心ください」
「何それ、俺が追い出すみたいじゃん」
「別にそんなこと言ってませんけど」
「あのなァ、俺はお前が邪魔で出てってほしいっつってる訳じゃねえよ」
「じゃあ何なんですか」
「だっ…」
「だ?」

何かを言いかけた銀時は、しかし言葉が詰まったように黙りこんだ。なんですか、と促すと、何故か苛ついたような顔で息をつく。

「だって…だなぁ、このままだと」
「はい」
「お前こそ、婚期逃すんじゃねえの」
「え?」

銀時が緑茶に口をつける。苦いのだろう、妙がしたように顔をしかめていた。

「だから、ずっと俺と一緒に暮らしてたら結婚どころか恋愛も出来ねえだろって」

苦々しい顔で言ったその言葉に、妙はぱちぱちと瞬きをする。

「…そうかしら」
「普通、30代の男と一緒に住んでる女なんて付き合う気起きねえだろ。そりゃあ、周りの奴らから見れば俺達が一緒に暮らすことに利点はあるのかもしんねえけど、全く知らない人間がこの状況知って、その上で俺らの関係性を理解してくれるとは思えないんだけど」
「…それも、そう、ですかね」
「うん」
「でも、だったら銀さんも同じよね」
「は?」
「銀さんだって、20代の女と一緒に住んでるって事を女性に知られたら、色々と困るでしょ」

妙が言うと、銀時は視線から逃れるように窓の外を見た。むすっとしたように吐いたため息が憎たらしい。片眉を上げて妙を見やると、あのさぁ、と呆れるように口を開いた。

「俺のことはどうでもいいんだよ」
「どうして?」
「どうせ俺は女に家を教えるような恋愛はしないから。お前がいようがいまいが勝手に外でだけ楽しむから。死ぬまで誰かと真面目に付き合う気なんかねーの。でもお前は違うだろ?」
「さらっと最低なこと言ってますけど」
「お前はちゃんと誰かと恋愛して結婚して、そんで子ども作って、そうやって生きていくだろ。じゃあ、こんなとこで俺と朝飯なんか食って一緒に住んで無駄な時間過ごしてるヒマあんのかって話だよ」
「…どうしてあなたがそんなにムキになるんです」
「はあ?」

銀時は明らかにヒートアップして苛々しながら話している。指摘をすると、さらに苛立ったように眉間に皺を寄せた。

「ムキになんかなってねえよ」
「なってるじゃない」
「なってない」
「なってる」
「うるっせえな」
「無駄じゃないもの」

ぱちん、と箸を箸置きに置いた。

「は?」
「あなたと、一緒に朝ごはん食べるの」

じっ、と見つめると気圧されたように銀時は顎を引いた。

「無駄じゃない」
「…何言ってんの」
「なにって」
「じゃ、何の意味があるっつーんだよ」
「知らないわよ」

どうしてだろう。無性に腹が立った。同時にすごく悲しくなった。だってそれって、この人が無駄だと思ってるってことだ。そして、わたしはそれに傷ついているって事だ。一緒にご飯を食べて、最近あった事を話して、何となくテレビを見て。一日が楽しくても、疲れてても、寂しくても、この朝でリセットできる気がしていた。わたしにとっては無駄な時間なんかじゃないのに。たとえ無駄だとしても、それは必要な時間だったのに。

「知らない、けど…っ。じゃあ、無駄で、無意味で、それの何が悪いんですか」

睨むようにして尚も見つめる。銀時はそれに観念したようにため息を吐いた。しかし当て付けのような憎たらしいものではない。身体の空気を入れ換えるように、すう、と息を吸い、はあああああっ、と一際長く吐いた。

「…おまえ、さあ」
「なによ」
「怒んなよ」
「怒ってません」
「そういうのあんま言わないでくんない」

ふいとそっぽを向くように首を回して、銀時はまた窓を見つめる。しかしこれも先程と違って視線から逃れるためではなく、本当に外の風景を見ているようだ。朝には綺麗に止んだが、昨夜は静かな雨が降っていた。残った雨粒はいくつか窓にぶら下がり、朝日に貫かれている。この人、いったい何を考えてるのかしら。妙は彼の横顔に憮然としながら聞いた。

「そういうのって何ですか」
「うん」
「うん、じゃなくて」
「…もうさぁ、あれだな」
「あれ?」
「色々面倒くさいよね。もしお前がこれから一人暮らしするってなったらまた新八とか説得しねえとダメだし、あいつが良いっていう物件探さないとダメだし、そうなるとまた俺が責められそうだし、俺も探すの協力することになりそうだし」
「…はあ」
「お前いなくなったらババアも残りもんくれなくなるだろうし、甘味処から土産もらえなくなるし、家賃もまた払えなくなるかもしれねえし、あとせっかく部屋作ったのにもったいないし」

銀時は窓から視線を外し、首を元に戻す。雨粒の眩しさを残したまま、今度は食卓を見渡した。そこには私達の朝食が温かく並んでいた。ゆるやかな湯気と甘辛い匂いが佇んでいた。

「無駄じゃないとかさ、無意味で何が悪いんだとかさ…。あのな、銀さんそういうの言われるとさあ、諦めちゃうんだよね」
「あきらめ…?って、なにを、ですか?」
「んー、諦めること?」
「全然意味わかんないんですけど」
「だからァ、諦めることを諦めちゃうんだって」
「ねえ何の話を…」
「もう、いいや」
「へ?」
「もう、意地張んのやめる」

ふっと彼の口元が綻び、穏やかな瞳が妙を見上げる。その視線に、妙は内心狼狽した。さっきまでの苛々とムキになっていた雰囲気がさっぱりと洗い落とされたような笑みだ。雨粒の眩しさも、湯気の温かさも、すべてを含んだような瞳だ。どうしてそんな顔をするの。まるで、その目はだって。いや、ちがう、と頭に浮かんだ仮説に慌てて蓋をする。ちがう、そんなはずない。そんなわけない。心の内で否定して言い聞かせながらも、しかしその予感が当たっている事を妙はどこかでわかっていた。なあ、お妙。呼び掛ける声がやさしくて、びくりと身体が固まった。

「俺たち、ずっとこのまま一緒にいるか」

何ともないように言って味噌汁に口つける。なんでそんな簡単に言うのよ。もはや腹立たしくすらあった。少し下を向いた時に見える、ぼさぼさ頭の真ん中にあるつむじを見つめた。そうできたらどれほどいいだろうと思っていた。でも、そんなことは不可能だと当然のように思っていた。ねえ、そんなこと言われると、わたし、自惚れますよ。

「ずっと二人でさ、一緒に飯食って年食ってくの」

どう?と微笑む彼に何も言えず、妙は微かに頷くのでやっとだった。ばくばくと胸がうるさい。うるさくて、熱くて、痛くて、苦しい。それでいて涙が勝手に落ちそうな気がしたのでぐっと唇を噛み締めた。

だって、その目はまるで、あいしてるって言ってるみたいだったから。


ニーナ(2017/3/31)


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