銀時と妙



闘いに行く際、銀時は妙に気づかれてしまうことが多かった。しかし最初のあの日以来見咎められることはなかった。ふたりはいつも知っていた。男が闘いへ向かうことも、女がそれに気付いていることも。知っていて普段どおり軽口を叩いたり、世間話をする。それしか出来ない。心にある言葉をそのまま出すことなど出来ない。間にいる少年と少女の気持ちを盾にしないと、核心に迫ることはとても難しかった。

銀時がそれを聞き間違いかと思ったのは、だからだ。

「行かないで」

帰るために志村邸の玄関扉に手を掛けたまま銀時は固まった。立ち寄ったのは顔を一目見たかったからだと思う。声を聞きたかったからだと思う。もちろんそんなことが言えるわけないけれど。妙はすべてを受け止めた瞳のまま、いつも通りの距離で笑っていたはずだ。いかないで、と言った声は泣き出しそうではなかった。悲痛も、懇願も、怒りも、その中には感じられなかった。

「…なんて、ね」

黙ったあと、取り繕ったように言葉を付け加える。振り向くと、女は慌てて顔を背けた。言った本人がいちばん驚いているようだった。両の手が行き場をなくしたように胸で握られる。隠していたはずのものがふいにこぼれてしまったように。辛うじて笑顔を作り、冗談だとそっぽを向いた。
同じだったらどうしよう。銀時は妙を見下ろした。女はいつもより小さく見えた。自分の最奥に隠した気持ちと、彼女の声が同じ素材だったら。思うと苦しくて怖くて、ごめんと謝りたくなって、でも、どうしようもなくくすぐったい感覚が胸を締め付ける。

目をそらし続ける妙をじいっと見つめて、銀時は口をひらいた。

「なあ、あれ」

え、と彼女が顔を上げる。やっと目があった。息苦しさから解放されたような顔をしている。沈黙や凝視が痛かったのかもしれない。先ほどの言葉に言及されないことにもすこしほっとした様子だった。

「あれ貸して」
「なんですか、あれって」

銀時は一度妙から視線を外し、顎をしゃくって彼女の後ろをさした。妙もその視線を追う。傘立てがそこにあった。

「傘」

え?と彼女がまた銀時を振り返る。訝しげな表情だった。閉めた扉をも透けて、太陽の光が二人の足を照らしていたからだろう。

「…晴れてますけど」
「いつ降るかわかんねえじゃん」
「そうですね。あなたが先を見据えて傘を持つなんて珍しすぎますから、降水確率ゼロなのに雨が降ってもおかしくないわ」
「かわいくねーな。さっきのしおらしさどこいったの。ほら、なんだっけ?行かないで銀さん!わたし、ずっと貴方が好きだったのぐはぁっ…」
「調子のってんじゃねーぞ」

あ、はい。すいません。拳に辛うじて倒れずにいると、ぐい、と顔に何かが押し付けられた。黒く長い傘だった。これならば大雨からも守ってくれそうだ。銀時は、ちがうって、と顔をしかめた。

「ばか、これじゃねえよ」

ばかとはなんだ、と言いたげな目を無視する。銀時は妙の手を取って引いた。彼女の身体を抱くようにしてその奥にある傘立てに手を伸ばし、隅で佇む黄色い傘を手にする。

「そ、れ…」

妙の言いかけた言葉を黙らせるように腕に力を込めて抱きしめた。やわらかい温度を忘れないようにぎゅうと更に力を入れる。たのむ。頼むから。そのとき一瞬でも、強く願った自分に驚いて、そして言い訳したくなった。抱きしめ返してくれないか。自分は確かにそう願った。そんな戸惑いや羞恥を知ってか知らずか、おずおずと背中に彼女の手が回される。ああ、もういいや。銀時は噛みしめるように目をつむり、その感覚を焼き付けた。

同じだったらと、図々しさが、そうしてまた胸の奥から顔をのぞかせる。

同じ気持ちだったらどうしよう。どうやって許してもらおう。どうやって手を伸ばそう。どうやって手を掴もう。掴んで、いいのだろうか。許されるのだろうか。薄く目を開ける。背に回された腕の感触を探る。この手を、自分の人生に巻き込んでしまいたい。願ってはいけないことだった。けれど、ふとした瞬間に思う未来にはいつもとなりにこの女がいた。それに気付いて、恥ずかしくなって、何か良い言い訳がないかいつも探していた。側にいてほしい。掴んで、引っ張って、ずっと離したくない。なぜこんな感情が生まれたのか自分でもわからなかった。ただたまらなく苦しかった。怖くなって、謝りたくなって、そしてやはりくすぐったかった。
もう一度目をつむる。息を吸い、ゆっくりと吐く。
ぐい、と細い身体を離して、顔も見ずに身を翻した。まずは片付けなければいけない案件が目の前にある。帰ってくるまでに覚悟を決められるだろうか。行ってくるわ。戸を引き、足を踏み出した。ぎんさん。妙は遠ざかる背中に声をかけた。

「ちゃんと返してくださいね。わたしのお気に入りの傘ですから」

答えるように傘を持った手を上げる。銀時の頭上には快晴の空が広がっていた。


ニーナ(2020/2/19)


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