銀時と妙


水に浮かんだ泡が洗濯物を巻き込んでぐるんと回りはじめる。いいにおい。妙はすこし笑って、洗濯機のフタを閉じた。洗面台には泥汚れを落とすために使った小さめの洗濯板がある。こんなの久しぶりに使ったわ。昔は弟が転んだり遊んだりして何かと付けてくる汚れを洗濯板で落としてから洗濯機で洗ったものだけど。そうすると汚れがよく取れるのだ。衣服に付いた泥汚れや、ごはんのシミがみるみる落ちていくのは気持ちいい。育った環境もあり、幼い頃から家事全般はこなしてきた。その中でも妙は洗濯がいちばん好きだ。洗剤の香りも、泡の動きも、水の音も、風に揺れる布も、染み込んでいく太陽の匂いも。付いた汚れが落ちるように、心もどこかすっきりするような気がする。
居間に戻る途中、台所に寄った。おそらく居間では男が寛いでいるのだろう。まるで自分の家のように。

「やっぱりね」

これ見よがしに溜息を吐いて腰を下ろした。畳の上で銀時は腕を枕にして寝転んでいた。どこぞの親父の休日か。妙の睨みに気づいたのか、ちらりとこちらを伺い見て、やっと身体を起こす。

「いいんですか。本当に」

コン、と湯呑みを前に置いた。ガラスの湯呑みだ。中に入った水出しの緑茶が氷と一緒に光っている。

「なにが」
「早く帰らなくて」
「大丈夫だって」
「でも、その子」

妙は銀時の手の先を見た。首の下をくすぐられて満足そうに目をつむっている。クリーム色のちいさな子猫。今日の仕事は、その子猫の捜索らしかった。

「飼い主さん、早く会いたいんじゃないですか」
「仕事中なんだよ。依頼人、いま」

どうせ終わるまで保護しとかないといけないし。そう言いながら猫の頬を指でなぞる。なあ?と話しかけられた猫はまんまるい瞳を彼に向けて、ニャーと鳴いた。

「まさかここにいたとはな」

湯呑みを持ち上げ、緑茶を一気に飲み干す。

「朝からあっちこっち探し回ってたのによぉ」

灯台下暗しってヤツだよなあ。彼がぼやいた瞬間、急に柔らかく温かいものが手に触れた。いつの間にこっちに来たのだろう。

「あら」

子猫だ。妙の手をちろちろと舐めている。次に頭を擦り付けてきた。撫でてくれ、と言わんばかりの仕草に思わず笑みがこぼれる。

「まあ、かわいい」

猫はうちの床下に居たらしい。銀時がちいさなそれを抱いて裏庭に現れた時、彼の着流しは泥だらけだった。一目見て大抵のことを把握した妙は、しぶしぶ言った。洗濯、しましょうか?昨日は雨だった。人懐っこいこの子が暴れたふうでもないし、恐らく床下を捜索する際に汚れたのだろう。現在洗濯中の着物に代わって、彼は父の使っていた銀鼠色の甚平を着用している。懐かしいと思ったけれど、口には出さなかった。

「人見知り、しないのね」
「珍しいよな。猫のくせに」
「可愛いわ」

撫でられながら、妙の膝によじ登る。居心地良さそうにお腹をくっつけると、大きく欠伸をして目を閉じた。眠りの態勢に入ったらしい。背中を優しく撫でる。小さい身体に呼吸を感じた。

「お前ってさあ」
「なんです?」
「懐かれやすいよな」
「は?」
「犬とか猫とか神楽とか新八とか」
「神楽ちゃんが怒りますよ。それに新ちゃんは懐くも何も弟じゃない」
「近藤とか真選組とか九兵衛とか」
「ちょっと、あのゴリラたちと九ちゃんを一緒にしないでください」
「定春だってお前には噛みつかないし」
「あなたがちゃんと餌あげないからでしょう」

猫を撫でていた手を離し、妙もまた湯呑みを持った。ガラスの側面が汗をかいて濡れている。

「それに、わたしなんかより」

じろ、と銀時を見上げた。

「銀さんのほうがよっぽど懐かれやすいじゃないですか」
「いや、俺は懐かれるっつーより絡まれてるだけだから」

そんなことないわよ。妙はやっと湯呑みに口をつけた。懐かれてるじゃないの。神楽ちゃんにも新ちゃんにも定春くんにも真選組にも、それこそ九ちゃんにだって。わたしなんかより、ずうっと。懐かれてるっていうか、慕われている。なんだかズルいと少し思ったけれどやはりこれも口には出さなかった。自分もその中の一人なのだから。

「まァ、なんでもいいけど」

ふぁあ、と欠伸混じりの伸びをして銀時はまた寝転がった。視線を膝上の子猫に移す。気持ち良さげにすやすやと眠っている姿を見ると、自然と口元が綻んだ。

「ねえ銀さん」

名前を呼んでも、夢の中での返事のような、曖昧な声しか彼は返してくれなかった。

「今度みんなで海でも行きませんか」

目をつむる。指先で猫の毛を弄んだ。返事はやっぱりなくて、それでも、まあいいかと妙は笑った。
一度目をつむってしまうと、眠気がどっと押し寄せた。ぼんやりとする頭の端っこで、波打ち際に立ったときの、海水と砂の感触が思い出される。いつかの思い出というわけではないらしい。次に思い浮かんだのは海にぷかぷか浮かぶ色とりどりのフルーツ、という記憶にない上によくわからない映像だ。もしかしたらわたしは、海辺でフルーツジュースでも飲みたいのかもしれない。一人しずかに微笑むと、名前を呼ばれた気がした。ゆるりまぶたを開く。洗面所のほうから、洗濯機の音がした。夢の入り口付近をうろうろしていた意識が現実に引き戻される。洗濯が終わった音だ。

「はいはい」

膝で眠る子猫を起こさないようにそっと抱き上げ畳の上に寝かせる。ゆっくり立ち上がってぱたぱたと洗面所へ向かった。

(うん、完ぺきね)

泥汚れが綺麗に落ちた銀時の着物を取り出すと、洗剤の香りがほのかに鼻をかすめた。数少ない母の面影を思い出させてくれる香りだ。洗面所を出て、今度は庭へ向かう。太陽の光が伸びやかに照っていた。これならすぐに乾くだろう。物干し竿に近づいたとき、ニャー、と鳴き声がした。振り向くと妙が立ち去ったのに気づいた子猫が起き上がる。きょろきょろと左右を見渡して、再び妙を見つけると、甘えるようにまた鳴いた。もしかして本当に懐いてくれたのだろうか。

「そういえば」

ばさり、と銀時の着流しを広げた。水の粒が飛び散って消えた。

「どざえもんさんも懐いてくれたわ」

楽しかった短い日々を思い出して目を細めた。子猫が妙を追って縁側から庭に飛び降りる。クリーム色の柔らかな毛は、真夏の太陽に晒されて金色に輝いていた。猫を目で追いながら、妙は物干し竿に向き直る。

「猫に好かれるのかしら」

ね、と足元でじゃれる子猫に笑いかけようとしたとき、背後で咳払いが聞こえた。

「…おまえ、さあ」

あら、起きたんですか。かすれた声に背を向けたまま返す。着物を物干し竿に掛け、皺にならないように伸ばして叩いた。

「ひとりごと多すぎ」
「ほっといてくださいな」
「つーかアイツ猫じゃねえし」
「あいつ?」
「ほら…さっきの」
「…どざえもんさん?」
「それ」
「猫じゃないですか」
「ちげーよ」
「じゃあなんなの」

ムキになって振り向くと、男は不機嫌そうな顔で黙りこくっていた。

「そんなことより、」

睨み合いの沈黙を破ったのは彼だった。そんなこと、って、あなたが訳のわからないことを言ったんじゃない。

「海、いつ行くんだよ」

風が吹いた。夏にしては涼やかな風。なびいた着物の裾が妙のうなじを撫でる。なんだ、聞こえていたの。妙が言う代わりに人懐っこい子猫が鳴いた。太陽と洗剤のにおいが、風に乗って二人の間を抜けてゆく。妙はちいさく口を開いた。夏が終わる前に、あなたと海に行きたいわ。

きっとそう素直には言えないだろうけど。


ニーナ(2016/8/2)


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