銀時と妙(3Z)


鳴き出した蝉の声がだんだんと大きくなる。濁点に濁点をつけたような、地割れを起こしそうな鳴き声。部屋には強い夏の日差しが入り込んでいた。窓の外にある木の陰が床に写っている。ここに焼き尽くされたみたい、と妙は思った。黒く焼け焦げてしまったみたい。

「先生、パラレルワールドって知ってますか」

正面に座る坂田はこちらを見向きもしない。手元の素麺を見つめて、ため息をついたあと、ずるずるっとすすり上げた。

「…また素麺ですか」
「大量にあるんだよ。消費しないと」
「毎日なんですか?」
「まあ、だいたい」

のぞくと、ネギと海苔と梅干しののった素麺と、麺つゆの入った器がある。

「あ、梅干し美味しそう」
「ちょっとは味に変化つけようと思ってな。でもこれも3日目だわ」
「とろろとワサビとかも良さそうですね。あと肉味噌とか」
「お、いいな。明日それしよ」

すこし気が楽になったのか、次にすすった時の音は軽く聞こえた。咀嚼もそこそこに飲み込んで、何らかの書類に目を移す。

「あれだろ。タイムトラベルとかで出てくる話」
「え?」
「だから、さっき言ってたやつ」
「あ、ええ、まあそうですね」
「なに、SFに興味あんの」
「いいえ。べつに。ただ、本当にあるのかなあと思って」
「なにが」
「だから」

日差しの先をみた。太陽がまぶしくて目を細める。空が真っ青だ。雲が濃く分厚く、生き物のように天に登っていく。

「パラレルワールド」

今ここにある世界と、並行して進む別の世界。決して交わることはない。そして、もうひとつの世界があるように、そこにはもうひとりの自分がいる。時空はいくつもあるかもしれない。そうすれば、自分も何人かいることになる。ああ、でも何人、と数えるのは不適切だろうか。

「別の世界で生きてたら、わたしはどんな人なんでしょうか」

目をつむる。太陽の光が強くまぶたの裏に焼きついている。目を開けて、彼に視線を移してもまだ太陽の残像がついて回った。

「どんな性格で、何をするのが好きなのかしら。誰と仲が良くて、どんな夢を持っていて、いま、」

坂田がやっと妙のほうを見た。素麺のとなりに麦茶が置かれていた。冷たくて、美味しそう。

「いま、誰といるのかしら」

にこりともしない視線が絡まる。軽く痺れるような感覚が首の後ろにあった。

「誰を、好きになるのかしら」

夏休みがはじまる。長い、ながい夏休み。それが明けてもまだこの人は、こうしてわたしをこの部屋に入れてくれるだろうか。扉をノックする瞬間、名を名乗る瞬間、身体が震えた。拒絶されたらどうしようかと思った。曖昧に笑いながら、しかし頑とした拒否の姿勢を取られたら、きっとわたしは立ち直れない。なんて図々しいの。
もしもパラレルワールドがあるとして、わたしは、もうひとりのわたしは、やっぱりこの人に恋をするのだろうか。時折交わる目線や、触れそうになる距離や、意味ありげな言葉に、恥ずかしくなったりもどかしくなったり思い悩んだり、するのだろうか。それとも、もっと素直に生きていて相手に告げる勇気があるのだろうか。たとえ生徒と教師でも。わたしは出来なかったよ。言えなかった。くちびるを噛みしめる。

「せんせい、お見合い、するの?」

胸が、焼かれたように痛い。他の先生たちの会話を聞いた。今度、彼がお見合いをするらしい、と。先生、あなたは誰かのとなりにいくの?誰かをそのとなりに置くの?わたしじゃない、ほかの誰かを。下を向いた。泣きそうになる。

「しないで…」

懇願が震えた声として口から出た。

「お見合い、しないで。どこにも行かないで」

一週間前、ちょうどこの部屋で、彼はわたしの手を握った。吸い込まれそうな真剣な目。ゆっくりと引き寄せ、腕の中に入れられる。不用意に近づくことはあっても、抱きしめられるなんてことは初めてだった。その瞬間、わたしは酷く混乱した。壊れてしまいそうになった。ぐらぐらと頭が沸騰する。落ちる。変わる。こわい。怖くて、わたしは、彼の胸を押した。

「拒絶したのはお前だろ」

キツい言い方に、びく、と肩が上がる。

「わがままだな」

涙がにじむ。わかってる。その通りだ。わがままで、意気地なしで、与えないくせに求める。わたしは子供で、先生は大人で、想いは形にならない。ゆるやかに低下する蝉の声がじわじわと耳から脳に入り込んでいった。

「うそだよ」
「え、」

顔をあげる。彼がどうしようもなく優しく笑っていた。

「あと八ヶ月だ」
「な、何…が」
「俺らの腹の探り合いも、あと八ヶ月で終わりだ」

機嫌良さそうにまた素麺をすする。
あと八ヶ月たったら、わたしはこの高校を卒業する。卒業したら、わたしたちは、どうなるの?どんな終わりがあるの?坂田は頬杖をつき、目を伏せて笑った。

「二年も待ったんだぜ。あと八ヶ月くらいどうってことねえよ」

カラン、と麦茶の氷が溶ける音が響いた。

「ああ、でも、そうだな。それまでにいろいろ覚悟しといて。もう押し返されるのはゴメンだ」

あれ、結構堪えるわ。彼が苦笑する。
カアっと顔に熱が集まった。耳まであつい。蝉が鳴いている。太陽が燃えている。胸が焦げる。わかっていた。時空を超えても、きっとわたしはあなたを好きになる。


ニーナ(2016/7/23)


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