銀時と妙(高校生)



フェンスの向こうに咲いている向日葵の、濃い黄色の花びらを撫でながら妙はプールサイドを歩いた。鮮やかな水色のプールが、ピカピカに磨かれている。その大きな箱の真ん中で、ブラシの柄に右腕を置いた男が突っ立っている。制服のズボンは裾が捲り上げられ、水か汗かは知らないが半袖のシャツはぐっしょりと濡れていた。その白いシャツの背中がやけにまぶしくて目に染みた。

「意外と真面目にやってるじゃない」

声を掛けると、疲れきった様子の彼が振り向いた。汗だくだった。

「なんだよ」
「んー、手伝おうかなあと思って」
「嘘つけ。今終わったばっかだっつーの」

手伝うなら早く来いよ。ぶつぶつとぼやきながらこちらへ歩き出した。プールの底に残っている水は、彼の足をなぞりながら流れてゆく。首にかけたタオルで額を乱暴に拭うので、汗が粒になってキラキラと散っていった。

「藻、えげつなかったんだけど。すっげー汚れてたからな」

なあ、すごくね?めっちゃ綺麗になってない?2番の飛び込み台の上に緑茶が入ったペットボトルが置いてあり、銀時はそれを手に取ってごくごくと飲んだ。

「うん、綺麗。一人で出来るものね」
「何かもう、やり出したら止まんなかったわ」
「変なところで几帳面だもんね」
「ばーか。俺はいつでも完璧主義だっつーの」

銀時は襟をつまんでぱたぱたと風を入れ込む。

「ジャージでやればよかったのに」
「あ?」
「びしょ濡れじゃない。制服」

暑くなってきてはいるが、まだ完全に夏が来たわけではない。濡れたままで帰れば風邪を引くかもしれないじゃないか。妙はすこし顔をしかめた。体力や回復力はあるけれど、彼は案外よく風邪を引くから。

「持ってきてねえもん。今日」

呆れた。プール掃除をすると分かっていながら、何故ジャージを持ってこないのか。

「つーかさ、マジで一人でやらせる?鬼じゃない?」
「これで春からの遅刻チャラになるんでしょ?すごくいい話だと思うけど」

テストもやばかったんでしょう。冷たく言うと、舌打ちが返ってきた。

「やれば出来る子だって先生も思ってくれてるってことだよ」
「いいように使われてるとしか思えねえよ」
「まあ、おつかれさま」

妙は右手に持ったビニールから、ガサゴソと中のものを取り出す。透明の袋をつまんで、もうずいぶん距離の近づいた銀時に差し出した。

「お、アイス」

ぱ、と顔を明るくしてそれを受け取ると、彼はブラシを手放した。プールの底に投げ出されたブラシがパシャンと水しぶきを上げる。

「ちょっと」
「あとで片すって」

よっと手をつき、勢い良くプールから上がると、そそくさと屋根の下に入って座りこんだ。

「よくわかってんじゃん」

袋から取り出したアイスは宇治金時だ。ふう、と息をつき、妙はもうひとつのアイスをビニールから出した。飛び込み台に腰掛け、袋を開ける。こちらはソーダ味だ。

「んなとこ座ってっと焼けるぞ」
「日焼け止め塗ってるもの」
「パンツ見えそう」
「ジャージ履いてますから」
「はあ?ふざけんな」

ふざけてるのはどっちだ。アイスに口をつけるとひんやり冷たかった。でもすぐに溶けてしまいそう。歯を立てれば簡単に折れる。ソーダのアイスが舌に乗り、喉を下る。おいしい。ふと見ると、銀時はすでに半分ほど食べ終えてしまっていた。

「ねえ」

呼びかけると、彼はこちらを向いた。んあ?と間抜けな返事をして。妙はその様子を確かめてから空を仰ぐ。綺麗な青だ。彼の磨いたプールの色とおなじ。

「なんだよ」
「うん」

そこに雲がひとつ、流れていった。

「あのね、」

視線を彼に戻す。怪訝な顔をして、最後の一口となった宇治金時のアイスにかぶりつくところだった。

「ラブレターもらった」

ぼたっ、と鈍い音が響く。

「あ、」

最後の一口だったアイスが落ちてしまったのだ。

「…落ちたじゃん」
「わたしのせいじゃないよ」
「お前が変なこと言うからだろ」

影になっているとは言っても、熱いコンクリートの上に落ちたのだ。形を崩したアイスはみるみるうちに液化していく。銀時は、その様子をぼうっと見つめていた。

「…で、どーすんの」
「どうするって」
「その、ラブレター?」

返事くらいしてやれよ、と素っ気なく言った。妙は飛び込み台から腰を上げて歩き出す。彼の前に立つと、スカートのポケットに手を入れ、白い封筒を銀時に差し出した。

「わたしにじゃない」

数秒それを見つめて黙り込んだあと、彼は妙を見上げた。拍子抜けしたような間抜けな顔だ。

「は?俺?」

こくん、と妙は頷いた。

「あ、そ…」

戸惑いながらも銀時はそれを受け取った。なんだか居た堪れなくなって、妙はくるりと身を翻す。アイスを口で咥え、靴を脱ぎ、靴下を脱いでプールへ降りた。水を踏む度にパシャパシャと音が鳴る。咥えたアイスの棒を持ち直し、ぷはっとわざとらしく息を吐いた。青い。暑い。くるしい。

「どうするの?」

振り向く。彼が遠かった。

「返事くらい、しなきゃだめなんだよ」

まぶしい、夏が来る。

「…ああ、するよ。ちゃんと」

茶化すことのないまっすぐな言葉が、胸に突き刺さった。促したのは自分のくせに、傷つくのはおかしい。
そう、とつぶやいた小さな声が瞬く間に蒸発していく。

「ちゃんと、断る」

きっぱりと言い切った言葉に、妙は少し瞠目した。

「…え」
「だから、返事」
「断るって…誰からかわかってるの?」

あの封筒には差出人の名前がなかった。中身を見なければ誰からかはわからない。見る限り、彼はさっき渡したままの状態で手紙を持っている。誰からの手紙かはまだ知らないはずだ。それとも、検討がついているのだろうか。見つめていると、銀時が立ち上がる。足元に落ちたアイスはぐったりと溶けてしまっていた。

「知らねえけど」
「…じゃあ、」
「誰でも同じだって」
「なに、それ」
「お前がもらったんだろ?これ」

黙って頷く。誰かに気持ちを託して告白をするような人間を好きにはならないということだろうか。足に何かが当たった。彼が持っていたブラシの柄だ。反動で水がゆれる。

「だって、おれ」

銀時は妙を撃つみたいに、アイスの木の棒をゆっくりと持ち上げた。

「好きなやついるから」

ぐずぐずとまだ食べ切っていないソーダのアイスが、熱に耐えきれず溶けていく。たらりと妙の手を伝って腕を流れてプールに一滴落ちた。その音がやけに大きく妙の脳をゆらして、いつまでも離れなかった。




ニーナ(2016/8/11)


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