銀時と妙



銀色のアルミ缶を片手に持ちながら縁側に座る女は、庭の草木へ水を撒いていた。青いホースの先端をつぶして水の勢いや行き先をコントロールしている。別段、楽しそうでも、つまらなそうでもない。女は横目で水の行く先を見ながら、缶に口をつけた。ごくごくと喉を下る、それはビールだった。

「めずらしいですね」

缶を口から離し、目線を草木から上げると、妙は銀時に声をかけた。気づいていたのか。どきりとして一瞬たじろいだ。気取られまいと面倒臭そうな顔を装い、庭を抜けて彼女の前に立つ。暑い。

「こんな時間に来るなんて」

男に水がかからないようホースの向きを下げた。グニャリとつぶされていたホースの先端と透明な水は解放され、妙の足元を流れてゆく。水は真っ昼間の太陽に反射してキラキラと瞬いていた。

(…めずらしいのは)

志村邸の庭は広い。水やりの仕事は結構な時間がかかる。自然と、汗のかいたアルミ缶を持つ手に視線がいった。めずらしいのは、

(お前のほうだろ)

似つかわしくない光景だった。妙と昼間とビール。座りながらの水やりも。仕事や付き合いでしか酒など飲まないのだと思っていた。一人で、しかもビールなんて。嫌なことや忘れたいことでもあるのだろうか。それとも嬉しいことやいいことがあったのだろうか。しかし彼女は落ち込んだふうにも、浮かれたようにも見えない。
水が地面を流れる音が静かに響き、銀時はやっと沈黙に気づいた。慌てて口を開く。いや、と無意味な否定をさきに置いて。

「…暑かったから」

つう、とこめかみに汗が流れた。暑かったから来たのは本当だ。しかしそれをそのまま言うつもりはなかった。なんだかんだ後付けの理由はいくらでもあったはずだ。もう一筋、汗が流れたとき、妙が笑った。

「しょうのない人ね」

ふたりは?と尋ねた妙に、それぞれ用事があり、ほっぽり出した訳ではないことを十分に説明する。納得した様子の彼女は、銀時に中に入るよう促した。水やりが残ってるのでお茶はもう少し待ってくださいね。その声に銀時は生返事をしてふらふらと屋敷の中に入った。ふう、と息をつく。直射日光から陰に避難するだけでこんなにも気が楽になる。

「クーラー掃除してますから。つけてもいいですよ」

なんだ、今日はずいぶん寛大だな。ビールのおかげか。冷房のリモコンの位置は知っていた。その白い四角を見つめていると、下から丸い電化製品がこちらを見ている気がした。視線をそちらにやると、扇風機の首が自分へ向いている。ふん、と鼻を鳴らして洗面所へ向かい、手ぬぐいをひとつ取って居間に戻った。扇風機の首根っこを持ちあげ、コードの許す限り移動させる。ボタンを押すと扇型の羽が旋回してなまぬるい風が肌を撫でた。

「なんでそんなん飲んでるわけ」

どかりと妙の横に腰を下ろす。水が弧を描いて土や葉を濡らしていた。妙はきょとん、とした顔でこちらを向く。

「クーラーつけないんですか」
「…あとで」
「ふうん」
「なあ、それ」
「ビール?」
「うん」

酔っ払ってはいないらしい。彼女の肌は白いままだ。頬も染めず汗もかかずに涼しい顔をしている。元来酒に強い女なのだ。可愛くない。薄いアルミ缶のほうがよっぽど汗だくだ。

「昼間にビールって、美味しそうだなって思ったから」

試してみたの。言いながらホースの先端をきつくつぶして水の勢いを強めた。左右に振ると水は生き物のようにうねった。そんなに上げると道路に届くんじゃないか。昼間のビールが美味いかどうかなんて、そんなの。

「そりゃあ…美味いだろ」
「銀さんも飲む?」
「は…」

ある程度終わったらしい。ホースを持つ手が下がり、再び透明な水が足元をだらだらと流れる。妙は右手に持った缶ビールを口に運んだ。頭を持ち上げてごくごくと飲み下す。照らされた喉があらわになり、銀時は、その白さに呆然としていた。

(なんの拷問だ)

無意識に伸びた手は、妙の右手をとった。缶ビールを持った右手だ。夏は七月になって急に思い出したように世界の温度をあげた。薄い膜でも着ているような、肌にまとわりつくあの不快な感覚。昨日までは我慢もできた日中の暑さも今日はもうだめだ。手を引き寄せ、缶ビールの飲み口に口をつけて上に傾ける。伸びた女の腕が着物からはみ出ていた。やはり白かった。

「…ぬるい」

水が地面へ流れつづける。ビールが喉を下り胃に到達すると、妙の大きな瞳が微笑んだ。おかしい。一口飲んだだけなのに。胃から熱が生まれ、喉や耳や頭に飛び火する。これは、たぶん七月の暑さのせいだ。彼女はおかしそうに笑って、銀時の目を覗き込んだ。

「だって夏だもの」


ニーナ(2016/7/3)


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