銀時と妙


やわらかくも強くなってきた日差しが寝不足の目にしみた。そろそろ日傘がいるわね。思いながらゆっくりとまばたきをした時、視界の端で何かが光ったような気がして妙は思わずそちらへ目を向けた。

「ああ…なんだ」
「人の顔見るなりなんだとはなんだ」

知らぬうちにガッカリした表情でもしていたのだろう。光ったのはよく知った銀髪だった。ぼうっと歩いていたからだろうか。すれ違うまで気が付かなかった。声に出してしまった心の内はしっかり彼に届いていたらしい。苛立ったようにその頬がヒクついている。

「あら、銀さんに言ったんじゃありませんよ」
「しっかり俺の目を見て、ため息まじりに言ったよね」
「言いがかりはやめて下さいな」

そんなことより銀さん。と言いながら妙は男の腕をとって自分の隣に並ばせた。

「う、お…ってなんだよ」
「送ってください」
「はあ?」
「わたし、あと帰るだけですから、うちまで送ってくださいな」
「何言ってんの。お前、いま俺とすれ違ったんだよ?つーことは元々俺はお前と反対方向に向かおうと思ってたってことだよ?わかる?」

俺はあっち行きたいの、あ、っ、ち!銀時は身体をひねり、後ろを指差す。それをチラと見上げて睨んだ。

「どうせパチンコでしょ」
「ち…っげぇよ!」
「銀さんの行くところなんてパチンコか飲み屋しかないわ」
「てめぇケンカ売ってんのか?」
「あ、ちょっと、動かないで下さい」
「は?」
「そうそう、この位置のままで歩いて」
「お前…」

快適そうに笑う妙を、銀時がつめたく見下ろす。

「俺を日除けにしてんじゃねーよ!」
「まあ…誤解よ」

いつものように言い合いをしていると、ハハッと快活な笑い声が聞こえた。二人してそちらへ顔を向けると、人の良さそうな中年の女性が笑っていた。

「相変わらず仲良いね、お二人さん」
「どこがだよ。完全に虐げられてるだろ」
「ちょっと変な言い方しないでもらえます?」
「夫婦ってのは旦那が尻に敷かれるくらいがちょうどいいもんだよ。それより甘いものでもどう?いちご大福あるよ」
「おお、まじでか」

和菓子屋の女将だった。銀時も妙もそれぞれよく使う店なので顔馴染みだ。それに荷物持ちに妙が銀時を引き連れていたり、子供たちと一緒にいたりする姿を見られているので、すっかり夫婦か何かだと思っているらしい。否定しているはずなのだが似たような誤解をしている人間はこの街にたくさんいる。近頃はもう面倒なのでいちいち否定しなくなっていた。今だって、銀時は女将の言ったいちご大福というワードの方に食いついて、わざわざ訂正しようとしない。

「あっ、」

ガラスの中にある和菓子屋を眺めていると、女将の朗らかな声とは別の高い声が上がった。視線をあげると先ほどまで会計をしていた若い店員のようだ。新しく入った従業員らしい。初めて見る顔だった。その娘の視線は一直線に銀時に向かっている。心なしか頬が赤い。妙は掴んだままだった男の腕を反射的に離した。

「こんにちは。いらっしゃい、銀さん」

にこりと笑った顔は銀時だけを見つめている。おお、どうも。と、男が軽く返した挨拶にも、嬉しそうにはにかんで実に愛らしい。明らかに好意を含んだ視線が妙には眩しかった。何気なく視線を反らし、店の商品を眺める。彼を好きになる人を今までも何人か見たことがあった。ただ、それらの想いが報われることはなかったけれど。

「おい、お妙」

びく、と小さく肩がゆれる。いきなり声をかけられたからではなく、銀時が妙の腕を掴んだからだった。

「なんですか」
「ぼーっとしてんなよ」
「してませんけど」
「いちご大福買おうぜ」
「買えばいいじゃないですか」
「お前が買うんだろ」
「はあ?なんで私が」
「送ってやるんだから礼くらいあってもいいだろうが」

子どものような主張にため息をつく。不本意だが、ここで足止めを食らうほうが面倒くさい。すみません、じゃあ四つください。妙は女将に注文をした。

「まいど」

ニコニコと人の良さそうな笑顔で大福を紙の袋に詰めていく。と、そのとき奥から主人の声が上がった。おおい、ちょっと手伝ってくれ。女将は振り向きながら大きく返事をする。はいはい今行きますよ。

「悪いねぇ。お妙さん、銀さん」
「いいえ、どうもありがとう」
「じゃ、あとお会計よろしくね。店番も頼んだよ」

若い娘にそう言って女将は奥へと消えていった。あ、はい。彼女は慌てて返事をした。そこに若干複雑な色が見えて、妙は男の手を振り払う。なんだと言わんばかりの視線には無視を決め込んだ。

「ごめんなさい、お幾らかしら」
「あ…、ええっと…」

不慣れなのか、男を気にしているのか、娘はあまり手際が良くなかった。会計をして商品を差し出しながら、正面の銀時と妙を見やる。あのぅ、と、耐えきれずと言ったように口をひらいた。

「お二人は、ご夫婦なんですか?…それとも恋人?」

訝しげな顔で彼女はじっと銀時をみつめていた。妙は喉の奥で冷たい何かが流れるような感覚がしていた。きっとこの人は知っている。私たちがそんな関係では到底ないことを。知った上で、銀時に否定をして欲しいのだ。

「…まさか」

銀時は、ふん、と鼻を鳴らして肩を竦める。からかい交じりに笑って妙を見た。

「なんでこんな凶暴な女と」

身内をからかうような無遠慮な言葉と視線。そこには彼女に対しては見せないであろう、心をゆるした雰囲気がある。ひどいやり方だ。誰か他の女との仲睦まじい様子を見せつけて向けられる好意から逃げようとする。つまりは牽制。面と向かって受け止めて、誠心誠意断ることもしない、ひどい人。
そして、その面倒な好意を避けることが出来るなら、その相手は誰でもいい。わたしでも、わたしじゃなくても。わかっていながら痛がる胸を抱えるのは、無意味で、きっと馬鹿げている。


「…わたしだって」


馬鹿げて、いるのに。


「こんなマダオの相手できないわ」


それでも彼のそのひどい仕打ちに加担をする。そのくせ勝手に傷ついているなんて本当に馬鹿みたい。
あれ、銀さんじゃん。それにお妙ちゃんも。後ろの通りからこちらに向けた声が聞こえた。振り向くと長谷川だった。通りから店の中を覗くようにして片手を上げている。声をかけられた銀時は店先まで出て、そのまま世間話をはじめた。

「…いいですね」
「え?」

店先のふたりから視線を戻すと、彼女が恨めしげにこちらを見つめていた。

「付き合ってもいないのにいつも一緒にいて」
「いつもじゃないですけど」
「好きでもないのに、周りの人に誤解されて嫌じゃないんですか?」
「それは…」

わたしが言い淀んだところで、彼女はまくし立てるように言う。

「本当は、銀さんのこと好きなんじゃないですか?」
「そんなこと、」
「ないって言えますか?」

顎を引いて妙をみつめる。目をそらしたかったのに、できなかった。冷ややかな眼差しが自分を見透かしているようで胸が縛られたように痛い。ふん、と彼女は冷笑した。

「夫婦みたいって言われて、お似合いだって言われて、本当はいい気分なんじゃないですか?」

つう、っと今度は背中に、冷たいものが落ちるような感じがした。
恋人ヅラしている、なんて思われたくない。家族ゴッコしているなんて言われたくない。それは恐らく、自分が突かれて一番痛いところだった。何も言えずにいると、ぐらりと姿勢が傾いた。

「いつまで待たせんだよ」

めまいがしたのかと思った。バランスが崩れて、とん、と背中が彼の胸にぶつかる。

「銀さ…」
「日除け、してやっから早く帰るぞ」
「ひ、日除け?」
「陽に当たりすぎだろ。ふらふらしてる」
「そんなこと…」
「いーから帰るぞ。じゃ、どーもな」

銀時は娘にこれ以上の有無を言わさぬ視線を送り、妙の腕を引いて店を出た。宣言どおり、妙に日差しが当たらないように横に立つ銀時は眩しそうに眉を歪めている。

「銀さん」
「なに」
「良かったんですか」
「なにが」
「あの人、あなたのことが好きなんでしょ?」
「さあな」
「随分余裕なんですね。モテないんだからたまのチャンスは掴まないといけないんじゃないですか」
「お前ね…。女に飢えてるみたいに言うなよ。つか俺だって好みっつーもんがあるだろ」
「上から目線なこと。可愛らしい人だったと思いますけど」
「可愛らしいっつうか…さすがに若すぎるだろ。子どもにしか見えねえよ」

そう言われれば少し幼かっただろうか。いくつくらいなんだろう、と空を見上げる。


「ハタチもいってねえだろ、あの子」


軽く言った声に妙の足が止まる。銀時との間に差が開き、日差しが妙の頬を刺した。まぶしい。彼は今言った言葉の意味に気づいているのか、それとも気づいていないのか。わざとであれば自分もまた牽制されているのだろうか。だとすればなんて皮肉なんだろう。

「どうした?」

訝しげに振り向く彼をぼんやりと見た。わたしも、と勝手に声は漏れていた。わかっている。自分の言ったことに、この男は気づいてなんかいない。こんな風にして、私たちにある本来のこの距離は、時折思いだしたように顔を出す。

「わたしだってハタチにもなってないです」

ピシ、と二人の間だけ空気が止まったように固まった。目を合わせたまま、日差しが影を濃くしていく。ふう、と妙はひとつため息をついて、止めていた足を動かした。なんとも気まずげな表情をしたままの銀時の隣に立ち、彼の影にふたたび隠れる。夫婦みたいだなんて、ちゃんちゃらおかしいわね。わたしたちは、ほら、きちんとこんなに遠い。

「…帰りましょう」

促すと、男は小さく、おう、と言って歩を進めた。冗談を言っても軽口を叩いても薄ら寒くなることがわかっていたので、互いに沈黙し続けた。早く家に帰りたい。ああだけど帰ったらこの大福を食べなくちゃ。そうすればまたちくちくと細かい痛みが胸を突つくでしょうね。しばらくすればきっと治るから、そうすればまた見ないふりを出来るかしら。彼に対する気持ちとか、かけられる声への優越と後ろめたさとか、それでも横たわるこの大きな溝とか。そういう、見苦しいもの全部。

「…お前って意外と絶望的に若いよな」

男がぽつんとつぶやいた。妙は苦笑して小首を傾げた。明日からは絶対に日傘を持とう。強い日差しを避けられるし、なにより情けない顔を隠せる。

「あなたこそ時々うんざりするほど大人だわ」

地面にうつる二人の影だけが、実際の距離よりもずっと、不用意に近かった。


ニーナ(2017/3/11)



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