銀時と妙

「夢を、見たんだ」

電話越しにつぶやいた声は、すこし枯れていて聞き取りづらかった。下ろしたままの髪の毛が頬に触れる。薄暗い廊下はしんと静まり、まるで家自体が眠っているようだ。受話器を握る。慌てて羽織ったストールがするりと肩から落ちた。電話の向こうにいる相手はわたしの声を待たずに続ける。まるで独り言みたいに。

「街に帰ったらお前が死んでた」

けほ、と小さい咳が聞こえた。
深い闇を切り裂く電子音は、深く深く眠っていた意識をむりやりに起こした。なんとか布団から起き上がってぼうっとしたまま軋む廊下を進み、手探りに黒い受話器を取ると、わたしを迎えたのは沈黙だった。(はい、もしもし)確か、電話をとった時はそう言わなければいけなかったのだけど、寝ぼけていたのか何も言えなかった。張り詰めた沈黙は、しかし虚無ではない。息づかいが微かに聞こえる。やがて掠れた声がつぶやいた。夢を、見たんだ。お前が死んでた。と。

「あ、夢だよ。夢、な?んで、その中ではまた戦が始まってさ、知らねえうちに巻き込まれててよ。ホント最悪だったね。毎日毎日地獄絵図だし、怪我するし、しんどいし、家帰れねえし。何回も死にそうになった。でも…」

つらつらと喋り続けた声が一度途切れる。わたしは何気なく壁にかかったカレンダーを見た。でも、暗くて日付がよく見えなかった。電話越しに息を吸う気配がする。

「…でも、お前が、お前たちが待ってるって思ったら死ねなかった。怪我も、また愚痴言われながら手当てしてもらえばいいやって思って毎日ボロボロになりながら過ごしてた。そんな日がいつか来るって信じてたから、だから踏ん張り続けられたんだ」

肩からずり落ちたストールを持ち上げる。そういえばあなたよく怪我してたわね。手当や看病を何度もしたっけ。ゆっくりと瞬きをする。まぶたがとても重い。眠たくてしょうがない。

「何とか戦が終わって、やっとの事で帰った時、季節は春だった。穏やかな昼下がりだ。葬儀には向かないだろ。なのにさ…街に帰ったら、お前が死んでたんだ。ありえねえだろ。マジで、悪夢だっつーの」

受話器を耳に押し当てたまま、ゆるりと薄暗い廊下の先を見る。いつものようにそこは庭だった。あれ、と小首を傾げた。そういえば、なんでうちはこんなに暗いんだろう。だって外はあんなに晴れているのに。

「なあ、聞こえてる?」

ああ、ごめんなさい。聞こえているわ。でも、どうしても眠たくて仕方がないの。返事をしようにも口が重たくて開かない。

「なんで…」

視線の先で桜が舞い散る。庭に植えた花もすべて咲いている。春の光を吸い込んでキラキラと輝いている。まあ、きれい。でも、あの花は夏に咲くんじゃなかったかしら。それにあっちの花は冬じゃなかったかしら。おかしいわね。まあ、でも、きれいだからいいのかしら。

「なんで何も言わねえの」

耳元で聞こえる声が、いつしか震えていた。今にも泣いてしまいそうだった。

「なに、お前…勝手に死んでんの?」

庭の花が揺れた。風が生まれたらしい。

季節を超えたあらゆる花の、花びらがくるくると巻き上がる。ひゅうっと切るような音とともに、一陣の風がそのままわたしを目掛けて吹いた。

「俺が何のために戦ってきたと思ってんだよ」

赤や、青や、黄色や、ピンクや、白や、オレンジや、紫。色鮮やかな花びらと風に巻き込まれる。その強さに思わず受話器を離してしまいそうになった。名前、を。

名前を呼んで。

「俺、お前に迎えてもらわないといつまでも帰った気になれねえんだよ」

わたしの名前を呼んで。

思い出せないの。ずっと眠っていたから。

風が一層強くなった。ごうごうと音がする。花はわたしの足元から次々に舞い上がっている。

「頼むよ…怒っても殴ってもいいから、許してくれなくていいから」

受話器は、それでも離さなかった。だって、これは唯一の、

「隣じゃなくてもいいから、もう会えなくてもいいから、どっかで生きていてくれよ」

唯一のあなたに繋がる糸。離したら、もうきっと聞けなくなる。


「…お妙」


彼のその声を聞いた途端、身体が浮上するような感覚があった。深い海の底から、重い泥沼の底から、やっと浮かび上がる。強い風がふっと止んだ。乱れていた髪や、舞い上がっていた花びらが重力のまま落ちる。ああ、思い出したわ。やっと。

「おれ…」

わたしも、長い、長い眠りの中で夢を見ていたの。あなたが出てくる夢よ。どこかの路地の古びた電話ボックスの前であなたは立ち止まるの。貼られたチラシにはこう書かれている。『あなたが電話をかけたい人のところへ繋がります』たった二行のその文字を、何度も目でなぞったあなたは、懺悔室にでも入るような顔で電話ボックスの戸を引いた。その電話にはダイヤルがない。ただ受話器を持ち上げるだけ。そうして、長い沈黙のあと、あなたはつぶやいたわ。「夢を、見たんだ」と。

ねえ、銀さん。

だからわたしはこの電話に出たの。深い眠りの奥底から這い上がって、重いまぶたを上げて、必死であなたの声を聞いている。自分が誰なのかもおぼろげなままで。

「なあ、妙」

皮肉なほど穏やかな春の日にわたしは死んだ。傷ついたあなたの看病をする日を待っていたのに。いつか打ち明ける気持ちがあったのに。疲れきったあなたを迎えることすら出来なかった。だから、あなたが生きて生きて生き抜いたら、きっと言わせてください。どうか、それまで必死で生きていて。


「俺はお前が好きだったんだ」


重いまぶたを閉じた。
自分が誰であるかを思い出したわたしの魂は、春の光に包まれていく。いい匂いがする。よく、眠れそうだ。

次に目覚めたときは、きっと。


(おかえりなさいって、ちゃんと言ってあげるから)




ニーナ(2016/11/3)


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