銀時と妙


「近藤さんにプロポーズされました」

遠い背中。大きな間隔で並ぶ街灯。前後に立ち止まった二人は、縦に並ぶ別々の灯りに照らされていた。自分と彼の距離は、街灯が並ぶ間隔とちょうど同じ。辺りを照らすための灯りなのに、蛍光灯はところどころ切れかけている。手を伸ばす。暗闇に飲み込まれる。その背中に、どうやっても届かない気がした。

「いつものことじゃん」
「…最後だと言われたの」

近藤のまっすぐな瞳を思い出して、ぎゅ、と胸を締め付けられる。まっすぐで、清々しい瞳。まるで一人だけ物語は完結したような満足げな笑み。

「今回は本気だって」

にかっと笑ったその人の奥からにじみ出る優しさが、妙を打ちのめした。いつものように蹴り飛ばすことは出来なくて、ただ呆然と男を見つめた。ねえ、どうして。どうしてわたしなの。どうして本気なの。このままではいられないの。だって、あなたは終わりを告げるのでしょう。それとも、と息を飲む。それとも、あなたを選べばいいの?そうすべきなの?そんな思いが過った瞬間、自分の愚かさを思い知らされる。それをする権利は自分にはない。わたしはいつまであの人の大きな優しさに甘えるんだろう。相手を縛って悲しませて傷つけてまで。

「きっと、幸せになるんだと思うんです」
「…」
「馬鹿だけど、真面目で優しくて、そして誰よりも想ってくれる。近藤さんと結婚する人は否応なしに、幸せになってしまうんだと思うの」
「…」
「そうさせてしまう人だから」

銀時はぴたりとも動かなかった。夜がどんどん、どんどん深くなる。この夜はいつかきちんと明けるだろうか。底なしの暗闇と頼りない灯りと共に固められて二度と抜け出せないんじゃないだろうか。

「わたし…」
「ダメだ」
「…え、」

ピシャリと叩きつけるような声に顔を上げた。いつの間にか彼はこちらに視線をやっていた。睨みつけるような痛いほどの視線を。

「銀さ…」
「ダメだ」
「…」
「近藤は、あいつはダメだ」

異様な、張り詰めた空気がぴりぴりと伝わってくる。彼がこのことについてはっきりと明言することなどないはずだ。聞いてるくせに聞かぬふりをしてしまうはずなのだ。それでも銀時は妙を見つめたままだった。

「あいつは警察だ。そして武士だ。それがどういうことかわかるか?」

口の端が皮肉げに歪む。

「お前じゃない他人のために命を捨てられるってことだよ。そんな奴のところに行くな。お前は…」

そこで一旦区切られ、妙は強い視線から解放される。下げた目元に影が落ちた。もう一度上げられた目には、先程のような厳しさは有していない。希望や羨望に諦めを混ぜたような複雑な色だけがそこにあった。

「…お前は、お前だけを想ってくれる奴のところに行け。他人のために死ぬ奴より、お前のために生きる奴と一緒になれ。命の危険なんかとは縁のない男と結婚して、そんで、普通に暮らして子ども生んでずっと長生きして…そうやって生きていてくれ」

息が苦しい。やっとのことで吸い込んだ空気が胸に突き刺さる。この人は一体何を言ってるの。

「幸せになってくれ。俺の、一番遠いところで」

やめて。もうやめて。妙はずるずると後退りをした。

「妙」
「見ないで」
「なあ、妙」
「うるさい…っ!」

街灯の光からすり抜ける。照らさないで。見ないで。お願いだから、もうやめて。

「…どうしてあなたがそれを言うの?」

細く息を吸う。目の前が暗くなっていった。

「そうやって自分勝手な願望をわたしに押し付けて、言った通りに幸せになれば…あなたは満足なのね」

早口に言うと、彼は口を開いた。それよりも早くまくし立てる。もうこれ以上好き勝手に言わせたりしない。

「そうよね。あなたの言う幸せな未来をわたしが辿れば、あなたはずっと後ろめたくないですもんね」

嘲るような蔑むような笑いが人知れず漏れた。この人を好きでいることは、わたしに疲労感をもたらす。

「…ちげえよ」
「誰かに託してあいつは幸せに生きてるって思えば、抱え込んだ荷物がいくらか軽くなるものね。そうやってわたしを気にせずいられれば少しは楽ですもんね」
「ちげえって」
「いいのに。もともとわたしのことなんか気にしてくださらなくて。放ってしまいたいなら、はじめから拾わないで…っ」

ドン、という音と共に、背中に衝撃と痛みが走る。一瞬のことだった。遠かったはずの男が大股で距離を詰めてきたかと思うと、急に肩を掴まれて塀に押し付けられた。

「なにす…」
「いい加減にしろ」

妙は男を睨みつけた。すると男もまたこちらを睨んでいた。掴まれた肩にさらに力が込められる。

「おれが…俺がどんな気持ちで言ったと思うんだ。お前をどんな気持ちで諦めてると思ってんだよ」
「…」

「…妙」

銀時はついにうつむいた。項垂れて妙の首に髪が触れた。くぐもった声が暗闇に響く。

「そうだよ。俺は煩わしい荷を下ろしたいだけだ。見える範囲にお前がいて、ずっと心に居座られるより、どっかの誰かと幸せでいてくれたほうがいくらか諦めもつくだろ」

なあ、お妙。そうやって呟いた声が自分のものでないように銀時は思えた。こんなことを言うつもりはなかった。こんな醜い感情を見せつけるつもりはなかったのに。もう、遅い。

「バカみたいかもしれないけど…お前は俺の光なんだよ。希望なんだ」

俯いた視線の先で、足元が暗闇に薄く浮かび上がる。赤い鼻緒や白い足袋や小さな足すらも愛しくてしょうがなかった。
妙を想う時、自分の世界が少し広がる気がしていた。孤独であったはずが、世界との繋がりを実感できてしまう。たまにする幼い笑顔がたまらなく好きだ。自分の名前を呼ぶその声がとても恋しい。優しいとかあったかいとか眩しいとか、そういう、俺の欲しいものを全部ひっくるめたような存在だった。だからこそ。

「だから、誰かのところに行くなら早い方がいい。離れるなら、遠くがいいんだ。これは…俺のエゴだよ」

ゆっくりと顔を上げる。ぱちぱちと切れかけの蛍光灯がかろうじて彼女の頬を映し出していた。見ていると、触れたいと思う女だった。その度に触れてはいけないと言い聞かせてきた。唇を噛みしめ、その大きな瞳を見つめる。ゆらりとその瞳がこちらを捉えた。


「…わたし、幸せになりたいわけじゃないの」


静かな声は夜の狭い道に浮かび上がった。妙は泣き出しそうな銀時の肩に手をかけた。ふいに様々な光景が蘇る。縁側に寝転ぶ男と洗濯物を干す自分のくだらない掛け合い。出くわしたついでに一緒に歩いた夕方の帰り道。二人で飲んだ酒。でたらめな笑い声。子供たちと行った祭りで見た花火。その時に食べたりんご飴の甘さ。大勢で花見をした時に盗み見た横顔。桜を見上げる瞳。包帯に滲む血と、消毒液の匂い。目を覚まして。死なないで。やっとのことで飲み込んだ涙と言葉。

「…真面目で、優しくて、長生きしてくれる人との平凡な人生はきっと幸せだわ。一般的に言う幸せではなくて、きっと私にとってかけがえのないものになると思います。でも、…」

でも、と一旦言葉を止める。妙は胸が苦しいことに気づいた。息を吸ったら、しゃくりあげた時みたいに空気が一気に入ってきた。そこではじめて、自分も泣きそうだということを知った。

「…っでも…わたし、銀さんといたい」
「妙…」
「きっと手に入る幸せよりも、あなたが欲しいの」
「…」
「あなたに、欲しいって言ってほしいの…!」

ほろりと涙がこぼれた瞬間、くちびるを塞がれた。乱暴なキスだった。隙を見て空気を取り入れるとまた涙がこぼれた。この人を好きでいるのは、なんて疲れるんだろう。意味もなく泣きたくなって、どうしようもない痛みを伴う。止められたなら、きっと楽になるはずなのに。止められないから苦しいままだ。たくさん言い訳をしてきた。側にいる理由が必要だった。心配して、触れたくて、でも怖いから近づけなくて、不安定に揺れては泣くことすら出来ずに誤魔化した。そうやって騙しながら守ってきた恋だった。
やっと離された唇から熱い吐息がもれる。まだ胸が空気を欲していた。呼吸をするたびに肩が上下に揺れる。やっとのことで彼の名前を呼んだ。ねえ銀さん。お願いよ。


「わたしと一緒に生きて」


薄い月が雲に隠れる。深い夜が固められていく。 どうかわたしたちを消さないで。目を閉じると残った涙がまたこぼれた。怖くて苦しくても、もう逃げたりしないから。




ニーナ(2016/9/15)


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