銀時と妙



しゅうしゅうと物騒な音をたてながら何の罪もないチョコレートたちが無残に焦げていく。一枚、ああまた一枚。何もしなくたって美味い板チョコなのに、これじゃあまりにも可哀想じゃないか。勝手に涙が浮かんだ。これはたぶん煙が目の前を浮上したためだ。

「お前さ、まだやるの?」

いきなり呼び出しをくらったかと思えばずっとこの調子だ。教えるのはいい。手伝うのも、まあいい。しかしことごとく灰に変えられてはどうすることも出来ないじゃないか。世間ではバレンタインが間近に迫ってきていることは、もちろん知っているけれど。

「まだって何を?」
「何ってそれしかねえだろ」
「チョコレート作りのことですか」
「もういいだろ。許してやれよ」
「わたし自分に妥協できないタイプだから」
「いや許してやってほしいのはお前自身じゃなくて調理前のチョコレートたちだからね」

うるさいですね。ぷい、とそっぽを向いて包丁を持ちなおす。また振り出しに戻ってチョコを刻みはじめた。ポニーテールにエプロン姿ってのはなかなかいい眺めだとは思うが、彼女に限っては兵器を作っているようにしか見えない。だいたいお前なんでそんな必死なの。軽くついた言葉に、妙もまた何気なく答えた。

「今年は本命がいますから」

パキン。可哀想になる前に胃の中に救助してやろう。思って咥えた板チョコはいびつな形に割れた。

「は?」
「はい、刻みましたよ。チョコレート」
「あ、うん、じゃあつぎ湯煎…って、え?」
「どうしたんです?」
「いや、え、今なんて?」
「だから刻みましたって」
「や、その前」
「妥協できないタイプ」
「その後」
「あら、何て言ったかしら」

そんなことより湯煎ね。なんだか次は上手くいく気がするわ。あんなにも失敗作を生み出しておきながら、意気揚々とボウルにチョコレートを入れていくのには感服する。

「いるの?…本命」
「いますよ、本命」

ぐるぐると木べらをかき回す。ただ溶かすだけの作業すらも彼女には難しいらしく、さっきから水が入ったり分離してしまったりと湯煎の時点でつまずきまくっていた。でも今回は上手くいくかもしれない。刻まれたチョコが順調に形をなくしてゆく。

「へえ、いつもに増してしつこいと思ったら本命がいたのか」
「しつこいって何です?健気って言ってください」
「はいはい。お前にもそういう乙女チックなとこあったんだね」
「何言ってるんですか。わたしには乙女チックなところしかありませんけど」
「お前もそういう古めかしいとこあるよね。だいたいさあ、今時手作りなんか重いって」
「…そうなの?」
「はっきり言ってどんな反応したらいいかわかんねえよ。買ったチョコの方が確実うまいじゃん」

ははは。無駄に大きな笑い声は空振りした。なんつーか、ギャグがすべった時みたいな。あれ、なにこの空気。そうだ、お妙が何の反応もしないからだ。え、何で急に黙り込むの。制裁が来るかと内心ヒヤヒヤしながら彼女を振り向く。うつむいたまま、手は止まっていた。おい、はやく混ぜないと、チョコレートが。

「銀さんも?」
「へ?」

マヌケな声で返すと、勢い良く妙がこちらを向いた。

「銀さんも、もらったら重いって思うの?…手作りチョコ」
「え、あ…」
「困る?うざい?面倒くさい?」
「いや、うん…えーっと」

焦った。口ごもった。質問攻めの瞳が探るように見つめてくるからだ。そのなかに不安の色を見つけて、うまくかわすことが出来ない。手作りなんか、重いし、困るし、うざいし、面倒くさいだろ。そう言えばいいじゃん。こいつがチョコなんか作らないように。それは誰かに被害が及ばない為で、無実の板チョコの救助の為で、そして何より俺自身の解放の為だ。そうだろう?

「どうすればいいの?」

眉がしゅんと下がり、頬はほんのり上気している。意味もなく後ろめたい気持ちなるのは何故だ。おれは、別に、悪いことなんか。

「どうすれば、喜んでもらえますか」

知らねえよ。朝から何なんだ。チョコはどのくらい刻めばいい?溶かし方は?焼くときは?手作りはダメ?重い?困る?うざい?面倒?どうすればいい?どうすれば、喜ぶ?ああ、もう、うるさい。しつこい。その時、きいん、と耳鳴りがした。頭の中で大きな声が聞こえる。どうすれば喜ぶなんて。

そんなの、きまってる。

「チョコよりお前がいい」

ぱん、と何かが弾けた音と同時に耳鳴りは止んだ。妙の左手が、小指から側面にかけて茶色くよごれていた。袖をまくった右腕にもついている。甘ったるい匂いが部屋の中を埋め尽くしている。

「…とか、言って」

はは、と笑った声はまた空振った。上目に見つめてくる瞳が濡れているように見えた。色づいた頬と、薄くひらいた唇。甘いチョコのついた華奢な手。ぎんさん。名前を呼ばれて肩が強張った。悪いことなんか何もしていないのに。銀さん。もう一度、呼ぶ。女は細く小さな左手を俺の目の前に差し出した。

「じゃあ、あげる」

そのチョコレートにまみれた甘い手を、俺はどうするべきだろうか。口付けて舐めとったら、彼女は嫌がるだろうか。でも、だって、あげるって言ったし。心臓がばくばくと鼓動して、耳鳴りは止んだのにうるさくてしょうがない。あと、頭がうまく回らない。そんな中枢神経を置いてけぼりにして、五本の指は彼女の手を掴んでいた。引き寄せて、小指に口付ける。甘い。視線を上げて妙を見た。まぶたの端が赤かった。ぞくぞくと背筋が震えた。

「好きです、銀さん」

鼻腔から口内から体の中に甘い色が入り込んでいく。心臓の音が耳と頭でうるさい中で、彼女の声だけが突き刺さる。うるさい、甘い、甘い、あまい、うるさい、あまい、甘い、すきだ。
チョコより甘いその唇を奪うのに、おそらく一秒もなかった。


ニーナ(2016/2/14)


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