銀時と妙


大人数での新年会はとても楽しい宴会となった。いつもは気を配りながら飲む酒も今日はただ楽しむだけでいい。今思えば浮かれていたのかもしれない。明日は休みだ。なにも気にせず飲んで喋って笑っていられる。つまらないことが可笑しくて、わたしはずっと笑っていた。だから気づかなかったのだ。周りで飲んでいた人達はとうに酔いつぶれて、いつまでも馬鹿みたいに騒ぎ続けていたのは私と彼だけだっていうこと。
頭がぼうっとする。クラクラして、フワフワして、でもその感覚が気持ちいい。全部が可笑しくてしょうがない。ふふ、と横にいる彼を見た。たのしいですね。赤い顔がへらへらと笑い返す。ああ、スゲー楽しい。そうして素直に笑い合えるのが嬉しくてたまらなかった。彼が楽しそうなのが何故か、わたしは嬉しくてたまらなかったのだ。遠い席にいたはずの私たちはいつの間にか隣同士で飲んで、いつの間にかその距離はどんどん近くなり、そうして、いつの間にか口付けていた。一寸前までは笑い合っていたのに何がどうなって今のこの状況なのかが思い出せない。笑い声の隙間。雑談が一瞬止まり、ばちりと目が合った瞬間。理由は知らない。互いに引き合うように距離はゼロになっていた。

「…あ」

頭がすうっと冷めていく。近すぎる顔が離れてピントがあった彼の表情は、わたしの酔いを覚ますのに十分だった。うわ、マズイ。やっちゃった。って、そんな顔。後悔してる目。がつんと頭を殴られたような気になる。一番衝撃だったのは、そのことに酷く傷ついている自分に対してだった。

「あー…、えっと」

声が聞こえる。弁解しようとする声。困ったように頭を掻く手。すべてがわたしを傷つけた。耐えきれなくなって立ち上がる。嫌だ。これ以上惨めな思いはしたくない。足はフラフラと覚束ないのに意識は悲しいほど明瞭だ。

「お…お妙?」
「アイス」
「は?」
「アイス、食べたい」
「ア…アイス?」

振り向き、気まぐれに笑った顔はちゃんと酔っぱらいに見えただろうか。

「銀さん、コンビニで買ってきてください」





ーー



この一週間、いつもと違うスーパーで買い物をした。行きつけの喫茶店にも甘味処にも行かなかったし、休みでも日中は家にいないようにした。なるべく友人と過ごして一人になる時間を極力少なくした。全部、彼と会ってしまわないように、だ。しかしひとつだけ、どうしても避けられない場所があった。冷たい銀のドアノブを回し、裏口の戸を引く。

「お疲れ」

妙は心の中で舌打ちをした。仕事場に来るにしても帰りを狙わなくていいじゃないか。客として来てくれたなら二人きりじゃないし仕事モードで接することが出来るのに。しかし逃げ出したい胸中などおくびにも出さず妙はいつものように笑った。

「あら、銀さん。今帰りですか?」
「うん」
「あんまり飲みすぎないでくださいよ」

何でもないように小言を言って息を吐く。息は薄ぼんやりと白くなった。今日は寒い。瞼を伏せると自分のつま先がある。視界に彼のブーツが入り込み、顔を上げた。真剣な瞳がわたしの中を覗き込もうとしている。

「飲んでねえよ、今日は」

ずくん、と胸の奥がえぐられるような感覚が襲った。ああ、彼はあの日のことを話そうとしている。やめて。いつもいい加減で適当なくせに、どうして今回はきちんと話をしようとするの。うやむやにして、なかったことにしてくれればいいじゃない。だってあなたそういうの得意でしょう。

「…そ、ですか」

声がかすれた。最悪だ。何でもないフリをしたいのに。装っていたいのに。仕事、もう終わりだろ?送るわ。絶望の淵にいるような私を、彼はさらに追い詰めようとする。

「…わたし」

逃げ出したい。今すぐ全速力で駆け出したい。

「おりょうと、帰る約束してて」
「…」
「だから、送っていただかなくて結構です」
「…ふうん。じゃあ明日休み?時間作れない?」
「明日も仕事ですから」
「昼間はないだろ」
「お話があるならお店に来て下さればいいじゃない」
「営業スマイルと世間話がしたいわけじゃねえの。だいたい酒飲んでする話でもないし」
「それは…」

ガチャ。背後でドアが開く音がした。おつかれさまあ。間延びした声がいくつか聞こえる。振り向いて先手を打とうと思った。でも、ダメだった。声はうまく出なかった。だって、何て言えばいいの。切羽詰まったわたしの願いを汲み取ってくれるわけもなく、おりょうは不思議そうに口をひらく。

「お妙、あんたまだ帰ってなかったの?」

早く寝たいからってさっさと帰り支度したくせに。そこまで言って、彼女はやっとわたしの前に立つ人物の存在に気づいた。

「あら?旦那じゃない」
「おう」
「安酒ばっか飲んでないでたまにはうちに来てよね」
「ああ、金あるときな。そうだ。おりょうちゃんよ」
「なあに?」
「こいつ、俺が連れて帰るけどいい?」

調子の良い声におりょうはきょとんとした顔で返した。何よ、急に。そんなのどうしてあたしの許可がいるのよ。
無論、彼女に罪はない。わたしたちは一緒に帰る約束などしていないのだから。それでもわたしはまるで裏切りにでもあった気になっていた。帰るぞ、と有無を言わせぬ声にとぼとぼと歩を進める。地面ばかり見て歩いた。会話はひとつもなかった。いつもの帰り道がひどく長い。もう逃げ場はどこにもないのだ。

(…正面から出ればよかった)

無言のまま二人で歩き続けると、道の途中で急に足を止めた彼が振り返る。

「…そんなに」

恐る恐る視線を上げた。辺りが暗くて、顔がよく見えない。どんな表情をしているのだろう。

「そんなに怒ってんの」
「…え?」
「正月のときの、」
「そんなんじゃ…ただ、よく覚えてないんです。わたしすごく酔っ払ってたし。だから…」

見え透いた嘘を、わたしはそれでも頑なに抱きつづけた。盛大なため息が正面から聞こえる。

「もういいって。あの時のことで俺を避けてんだろ?」
「…ちが」
「悪かったよ」

一歩近づく。ザッ、と踏まれた砂利の音がした。

「悪かった。おれ、酔ってて」
「酔ってたのはお互い様です。もういいじゃない。わたし、別に怒ってるわけじゃないですから。あんなの、はじめからなかったんです」
「待てよ。なかったって何だよ」
「何って、だからそういうことにしましょうって意味ですよ。そりゃあわたしは十八の小娘ですから貴方は気を使うんでしょうけど、気にしてませんから。あんなの、ちょっと触っただけだし。ちょっとした事故よ。よくあることなんでしょう?大丈夫ですから、わたし…ほんと、」

やっとうまい具合に言葉が出てきた。意地を張った精一杯の言葉たちがぽろぽろと。

ぽろぽろ、と。

「…あれ、」

しかし落ちたのは言葉ばかりでなかった。涙もおなじだった。なに、これ。焦ってうつむくと、足下にいびつなシミが出来上がる。

「妙」
「…やだ、」
「オイ」
「見ないでっ」

最低。最悪。格好悪い。不細工だ。すきだったの。どうにかなりたいわけじゃない。自分のものになってほしいわけじゃない。こんなふうに困らせたいわけじゃ、絶対にない。ただひっそりと好きでいられればそれでよかった。きっと通うことなどないのだから。なのに、ああ、もう全部壊れた。
思うと悲しくて、さらに涙があふれた。

「…そんなに嫌だったのかよ」

低い声が、苛立たしげに呟く。両の手のひらを掴まれ、わたしは涙を拭う術を失った。ごめん、と短く謝った彼はわたしの唇を奪った。

「銀さ…、んっ」

頭が真っ白になる。なにが起きているのかよくわからない。やわらかい感触が一度触れ、そのまま強く押し付けられた。なんで?どうしてこんな事をするの。胸がくるしい。訳が分からず抵抗することも忘れていた。やっと解放され、彼がじっとこちらを見つめる。

「な…に、する」
「お前が」
「…」
「あの日コンビニから帰ってきたらお前が…お前だけがいなくてすげえ焦ったんだよ。俺、お前のこと…」

キスのあとでわたしが頼んだアイス。半ば強引に追い出したのだが、彼は買いに行ってくれた。その隙にわたしは帰った。いや、逃げたのだ。

「やめて…もういいってば」
「逃げんなよ、頼むから」
「だって、」
「なんだよ」
「…っ、だって貴方が困ってしまうからでしょう?」
「は?」

ああ、もうこの際だ。両手が繋がったまま彼をキッと睨みつける。

「わたし、見たもの。後悔した顔してたわ。うわ、やばい。面倒なことになるって、そんな顔」

酔った勢いでしてしまうには、わたしたちの距離は余りにも近すぎた。更にわたしには厄介な感情がある。余計な恋心が。その全てを理解しているから、きっとこの人はあんな気まずい顔をしたのだ。

「困るなら、もうこのまま知らないふりしていればいいでしょう?後悔してるならなかったことにすればいいじゃない」

わたしはそうしようと必死なのに、どうしてあなたが掘り返して抉り返してしまうの。

「なのに、どうしてまたこんな事するんです」

涙は止まらなかった。くるしい。息を吸うのもうまく出来ない。

「後悔って…そりゃあするに決まってんだろ」
「だから、」
「ずっと我慢してたのに結局酔った勢いなんかでしちまったんだから」
「…我慢、って」
「もうなかったことになんか出来ねえよ」

夜の暗さとぼやけた視界の中で、彼の顔がよく見えなかった。ただその距離がさっきよりずっと近くなっているのはわかる。どういう意味なの。聞こうとして顔を上げると深い紅の瞳があった。その瞳がわたしのすべてを暴いていく。丸裸にされて、わたしはすべてをさらけ出さざるを得ない。酔った勢いでしたあの時とも不意打ちで口づけられた先ほどとも違ってわたしにはきちんと避ける余地も時間もあった。だから、三度目のキスは必然だ。やわらかくも熱い感覚が再度くちびるに触れて、身体の奥を刺激する。

「…ん」

指と唇。彼と触れている部分からもどかしさが広がった。こそばゆくて、歯がゆい。このままひとつになればいいのに。いつか離れてしまうだなんてあんまりだ。

「たえ」

吐き出した熱い息はどちらのものだっただろうか。惜しむように唇を甘噛みして一度離れると、彼は切なげな声で囁いた。なあ、と呼びかけられ首筋がぞくりと粟立つ。自分の身体なのに指先だってうまく動かせない。

「ずっと一緒にいてくれ」

この男は一種の催眠でも使えるんじゃないか。半ば本気で思った。射すくめられたように身体が動かない。声が頭の中で反響する。操られてるみたい。わたしはこの瞳に逆らえない。でも、それでもいい。欲しい。またして欲しい。何度だって、あなただけに。

ニーナ(2016/1/11)


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