「そういえば銀さん、姉上と何かありました?」

思い出したかのように問いかけた新八の声に、銀時は手に持った茶碗を落としそうになった。普段は鈍いくせに変なところで鋭いから嫌になる。朝から動揺するような事をいうなよ、バカ。そんな胸中を表に出すことはもちろんなく、銀時はわざとゆっくり茶碗を置き、何事もないように返事をした。

「は?なんで」
「また喧嘩でもしたんじゃないですか」
「してねえよ」
「えー、でもなんか変なんですよねぇ」
「どうせアネゴを怒らすようなこと言ったんだヨ」
「言ってねーよ。あいつの誕生日の時だって何もヘマしてなかったろ。だいたいお前らと違って俺はあいつにそんなしょっちゅう会うわけじゃないし、怒らせるヒマがねえっつうの」

自分で言っておいて少し憂鬱になる。そうだよ、俺は用もなくあいつに会えるような距離にいない。偶然を装ったり、子供を介してやっと話が出来る。一ヶ月や二ヶ月会えないことなんてザラだ。

「まあ、そうなんですけど…」

でもなあ、とどこか納得いかない様子の新八がぽつりと呟く。


「なんか変なんだよなあ」



あの日のことは、今の今までずっと銀時の心に影を落とした。あの日の妙の、その声と瞳。思い出したくなどないのにむりやり聞かされているように脳内で繰り返し再生される。何度も、何度も。

(運命の人がいればいいのにって思いません?)

(だって、ーーー)

(好きな人がいる人を、好きになったりしなくて済むじゃない)

まともに恋愛してこなかった自分でもわかる。あれは誰か特定の相手を想いながら話す声だった。酒によってさらけ出してしまったのだろうか。まさか彼女にそんな存在がいるなんて思いもしなかった。まるでそれが自分なのではないかと錯覚してしまいそうなほどの切実な視線は、銀時を十分に困惑させた。他の男よりは近しい仲であったつもりだ。彼女のことを少なからず知っていると自負しているし、妙に何か変化があれば弟である新八によって嫌でも耳に入る。自分に好意は向けられていなくとも、他の男にだってそれはないものだと思っていた。思っていたからこそ、衝撃は強かった。妙は誰かに想いを寄せている。そしてその相手は彼女ではない別の女が好きで、つまり、それは、必然的に自分ではありえなかった。

(みっともねえなァ)

ため息とともに流れ出た呟きが風にかき消される。滑稽なことに、胸の中で沸き起こる感情は嫉妬だった。嫉妬と喪失感。みっともねぇよ、ホント。自分の想いを伝える度胸も、彼女を自分のものにする覚悟もないくせに。他の誰かと一緒になって、いつか家庭を持って、ただ、幸せになって欲しいだけだった。笑っていて欲しいと、そう思っていただけだったのに。バカだ。そんなもの、自己欺瞞だ。おれは彼女が欲しかった。ずっと、そうだった。言えないままだろうか。幸せになって欲しいからと、そんな言い訳くさい言葉を重ねて結局本当の気持ちは埋れていくのだろうか。思うと急に、言いようのない不安が生じた。何の目的もなくぶらぶらと歩いていた銀時は、はたと立ち止まり空を仰ぐ。

(…へたれかっつーの)

鰯雲がレースのように青を覆っている。バカに長閑な青空がやけに忌々しく、チッと舌打ちすると視線を正面に戻した。するとそこにいたのは一匹の猫。珍しいことではない。ただの野良猫だ。グレーのやわらかそうな毛をふわふわと揺らし、青い瞳で銀時をじっと見つめている。にゃあ。ひと鳴きしてから、そっぽを向いて優雅に歩き出した。その後ろ姿に、まるで試されているような気分になる。猫に関わるとロクなことにならない。経験上わかってはいたが、足は自然にその尻尾を追っていた。どうせ行く当てもない。それにいまは時間さえ潰せればいいんだ。大通りを歩き、狭い路地に入って小さな公園をすり抜ける。猫は銀時のことなどまるで知らないように気まぐれに歩いた。

(うわ、)

暫くすると並木道に出た。赤く燃えるような紅葉の木が並んでいる。人通りは少ない。というか今は自分以外誰もいない。すげえ穴場じゃん。思った後で浮かぶのは子どもたちの顔だった。連れて来てやったらはしゃぐだろう。新八と神楽と、あと定春も。そのあとできっちり妙の顔も思い浮かぶのが、今はすこし悔しい。ぼうっと紅葉を眺めていたからだろうか。いつの間にやら猫の姿がなくなっていた。きょろきょろ辺りを見渡すと、前方に例の猫がいる。別の猫の隣に並び、しっぽをピンと立てて。なんだ、逢引かよ。ごちた銀時の頭上に、はらりと紅葉がひとつ降りてきた。


「……お、」


自分のその行動に、さして意味はなかった。落ちる紅葉に誘われて何気なく木を見上げるという、ごく自然な仕草をしただけ。しかしそうして訪れた予想外の光景に、銀時は一瞬言葉がでなかった。

「お、まえ…なにしてんの」

見上げた視線の先。木の太い枝で決まり悪そうな顔をした女がちょこんと座っていたのだ。言葉に詰まるのも無理はないだろう。見上げた、と言ってもそんなに高い位置ではない。手を伸ばせばすぐに届く高さだ。いや、マジでなにしてんの。もう一度聞くと膝を抱えた妙がまるで不貞腐れたように口を開く。

「…ねこ」
「猫?」
「のら猫が、いたんです。三毛ののら猫が、この枝でいつまでもおりられないようだったから助けてあげようと、思って…でも、」
「猫って…もしかして、あれか?」

銀時は自分が追ってきたグレーの猫と、その隣を歩く猫を指差した。もう随分遠くへ行ったので小さくてはっきり確認できないが、斑模様に見える。恨めしそうな顔をして、妙はこくんと頷いた。

「あのこ、わたしが差し出した手を知らんぷりしてぴょんと飛び降りたわ」
「んで、自分が降りられなくなったわけ?」
「降りられますよ。バカにしないでください」
「どこで威張ってんだよ。早く降りれば?」
「だってあなたが、」
「あ?」

むぐ、と妙が押し黙って下を向く。俺が、なに。先を促せばおずおずと顔を上げた。

「…あなたが、急に出てくるから」

心なしか顔が赤いように見えるのは、紅葉のせいだろうか。その様子に胸が高鳴った。ああ、もう止めてほしい。お前がそんな表情を見せるから、ほら、また手を伸ばしたくなる。

「あのさ」

銀時は真っ直ぐに妙を見上げた。きっともう、おそらくずっと。自分は彼女をふっ切ることが出来ないだろう。随分前から分かっていたのに。

「この間の質問、ちゃんと答えてなかったよな」
「質問?」
「お前に好きだって言われて嬉しいかどうかってやつ」
「あ…っ、あれはもう…忘れてくださ…」
「嬉しいよ」
「…へ?」
「嬉しいよ。お前に好きだって言われたら」

妙がゆっくりと瞬きを繰り返す。何か言いたそうな顔をしていたが、銀時は構わず続けた。

「誰かいい奴がいるんだろ?早く言っちゃえばいいじゃん」
「…簡単に言わないでください」
「だって伝えねえと始まんないだろ」
「始まらなくていいんです。もう、終わってますから」
「相手に想い人がいるから?」
「…っ、そうよ」

もういいでしょ、と妙はそっぽを向いた。木に頭をくっつけた横顔がどこか幼い。

「じゃあさ」

言える、と思った。言わなければいけない、とも思った。銀時はふっと笑って妙を見上げる。

「振られたら慰めてやるよ」
「…」
「ついでに俺がお前をもらってやる」
「…な、に言って」

銀時の放った一言に驚いた妙がこちらを向いた。ひとつに結んだ髪が綺麗に揺れ、黒く長いまつげが上下に動く。木をつかむ手と、前髪からのぞいた額を光が照らしていた。白い肌だ。きれいな女だ。その存在のすべてを、おれは。


「好きだよ」


風が凪いだ。

とても静かだった。

辺りは赤く、まぶしく、世界を彩っていた。

「好きだ、お妙」

みるみるうちに丸く大きくなった瞳が俺だけを写している。たったそれだけでこれほどの充足感を得られ、その反面言い知れぬ不安に襲われるものなのか。おかしなものだ。たった一人の存在に大の大人がこんなにも左右されてしまう。にやり、と口角を上げた。おまえだって思う存分狼狽えればいい。俺の気持ちを知って、驚いて、意識してしまえばいい。他の男になんか振られて、さっさとこっちに来ればいいんだ。そうすれば死んでも離してやらない。

「…うそ」

放心したような瞳のまま、やっと出た妙の声はひどくか細くて、思わず笑ってしまいそうになる。

「嘘じゃねーよ」
「うそよ」
「お前ね、一世一代の告白を…」
「だって」
「あ?」
「だって…あなた言ったじゃない。初恋の人が今でも好きだって、あんな優しい声で言ったじゃないですか。わたし、聞いたもの」

あれは、と言いかけて言葉に詰まった。何故あんなこと言ってしまったんだろう。気づかれまいと今までひた隠しにしてきたくせに。何故あの日は。自分の恥ずかしい失態を恨めしく思いながら頭を掻いた。情けねえな。気持ちを抑えることが難しくなっていたのだろう。

「それ…お前のこと」
「…は?え、だって、そんな」
「悪いかよ。今の今までまともに恋愛してなかったんだよ」
「そ…そんなの、わかるわけないじゃない!」
「別にわからせようとして言ったわけじゃねえし」
「なっ…!?だいたいあなたね!」
「あーあー、もういいよ。こんなときまで説教は。とにかく、俺は言ったからな。お前もちゃんと言えよ」

じゃあな。ひらひら手を振りながら歩き出そうとした。

その時だ。

ひゅうっと風を切る音がして、”なにか”が落ちてきた。赤い紅葉でもやわらかな木漏れ日でも、まして気まぐれな猫でもない。馬鹿だな。なにか、なんてひとつしかないじゃないか。しかしあまりに予想外の出来事に銀時はぎょっとした。降ってきたのは妙だった。木漏れ日に黒髪が光ってまぶしい。その身体を受け止めるため、咄嗟に態勢を整える。次の瞬間、身体が地面にぶつかる鈍い音と振動で落ちた紅葉の、パラパラと乾いた音がした。

「…ってぇ」

なんとか彼女の身体を抱きとめることには成功したらしい。背中と尻にジンと痛みが走った。いきなり何しやがんだ、と銀時は妙を睨み上げる。すると負けずに妙も銀時を睨んでいるので思わず怯んでしまった。え、おれ、なんか地雷踏んだ?

「…なんなの」
「お、妙?」
「何なんですか、あなたは。自分の言いたいこといって、すっきりした顔して、こっちの言い分はちっとも聞いてくれないじゃない」
「言い分って、」
「慰めてくれるって言いましたけど…わたしが振られたら慰めてくれるって、あなた、そう言ったけど…!」
「…」
「…銀さんに振られたら、わたしは誰に慰めてもらえばいいの?」

強い瞳が一度揺れた。おれは彼女の言っている意味がよくわからなかった。ただ、泣いてしまうのではないかと、焦ってまた手を伸ばしてしまった。細い腕を掴み、ぎゅっと握る。一度結ばれた妙の薄い唇がひらいた。


「わたしが好きなのはあなたです」


凪いでいた風が、思い出したように吹いた。止まっていた時間が再び動き出したことを告げるように。銀時はただ瞠目する他なかった。今、この女は何と言っただろうか。彼女の震える声が、耳と頭と心臓を駆け巡り、身体を甘く熱く侵してゆく。これは夢だろうか。そんなことを本気で思ったのは初めてだった。

「…うそだろ」
「違うわ」
「おい、なあ、だって…お前」
「諦めようと思ってたの」
「は…」
「あなたは他の人が好きだから、諦めようって。でも、諦めきれなかった。…わたし、」

ぐ、と腕を握る手に力が入る。こんなにも近い距離で彼女といたことがない。どうしようか。離したく、ない。

「銀さんが好きなの」

すがるような瞳が濡れている。離さなくても良いのか。おれは、おまえを。思った瞬間、無意識に妙の腕を引いていた。抱きしめたい。閉じこめたい。細い背中を強く押し寄せた。

「…ひゃっ…」
「なあ」

俺は改めてさっきの華麗なジャンプを思い出していた。降ってくる妙の姿を。ふ、と思わず笑みがこぼれる。だって、あれでは、まるで、

「お前って、猫なの?」
「え?」
「いきなり飛び降りるなよ。心臓に悪い」
「…心臓に悪いのはあなたも同じです」
「あ?」
「あんなこと言われて…息が止まるかと思った」
「そりゃあ…悪かったな」
「ねえ、銀さん」
「なんだよ」

モゾモゾと動いて妙が顔を上げる。

「あなたがわたしを好きって、ほんとう?」

上目で見つめられると胸のあたりがうずうずと高鳴った。黙ったままでいると、また妙がせかす。ねえ、ほんとに本当?何なんだよ。俺たちずっと勘違いしながら互いを想ってたのか。なんて間抜けな奴らなんだろう。紅葉の間から光が差し込む。秋の渇いた匂いがした。

「うるせー。めちゃくちゃほんとにマジだっつーの」

半ばヤケクソみたいに言えば、妙の頬がふわりと赤くなる。何だコレ。顔に熱が集まり、嬉しいのに泣きそうになる。たぶん恋しいってそういうことなんだろうと、宝石のように輝く瞳のなかに小さな答えを見つけた。逃げ出さないように抱きしめる腕に力を入れて、すばやく唇を重ねる。ああ、もう、どうしようもなく好きだ。どれほど想っても足りないくらい、それは銀時の胸のなかで咲き誇っていた。



back
[TOP]














×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -