特別に作られたシャンパンタワーを、妙は感心しながら見上げた。悪趣味よね、と内心苦笑しながらお客たちに挨拶をする。30日の夜から31日にかけてスマイルでは妙の誕生パーティー兼ハロウィンパーティーが開かれていた。魔女やメイド姿の女の子たちと、いつもより派手に飾られた店内。妙は一応主役ということで皆より少し豪華なドレスを身に纏っていた。0時を過ぎた瞬間にクラッカーが鳴らされ、一斉に祝いの言葉が送られる。奥のテーブルには数々のプレゼントと立派な花束たちが置かれていた。これでも店のナンバーワンを誇る彼女に相応しいパーティーだ。
(へんなの)
照明が横顔を照らす。その影に隠れて、妙はひとつため息を漏らした。楽しいのに、嬉しいのに、どこか胸のあたりがつっかえる。くい、とシャンパンを飲んで客の話に耳を傾けた。笑って手を叩いた。理由は痛いくらいにわかっている。
(あの人が)
とん、と肩を叩かれ、振り向くとナース服をモチーフにしたミニ丈ドレスのおりょうがいた。交代よ、次は二番テーブルだって。ここは私が変わるから。ウインクする親友に笑いかけ、客に挨拶をして席を立つ。
(銀さんが誰かを好きだなんて、考えもしなかった)
彼だって人間だ。男だ。想像はつかないけれど誰かを愛することもあるだろう。でも、知らなかった。あんなに優しく笑うだなんて。初恋の相手をまだ慕っているだなんて。だってそんなの、
「…敵うわけないじゃない」
ぽつり、口の中で呟いた声は黄色い声にかき消された。きゃあっと弾けるような若い女の子たちの声。入口の方を見ると、そこにタバコを咥えた男がいた。無駄に見た目がいいのでキャバ嬢から人気がある人物だ。
「土方さん」
「よう」
「ゴリラ回収のお時間ですか」
「立派なパーティーだな」
「一杯いかがです?」
「いや、俺はゴリラを回収しないといけないんでね」
「今ゴリラって認めましたね」
「おい」
「なんですか?」
これ、と素っ気なく差し出されたビニール袋を受け取る。覗けばひやりと冷気が頬をかすめた。
「まあ、ダッツがこんなに…」
「アイスはお菓子に入るのか」
大真面目な顔をして言うので、可笑しくなって思わず吹き出してしまう。
「ふふ、ええ、もちろん。イタズラは辞めてあげます。次の出勤前にでもみんなで頂きますね。ありがとうございます」
「ならあの人に優しくしてやってくれ」
土方はぐでんぐでんに酔っ払った近藤を顎でしゃくった。
「あんたが元気ないようだから買ってこいってメールがあった。公私混同もいいとこだよ」
「…近藤さんが?」
「ああ」
「わたしの元気がないって?」
「ああ」
「まさか」
ざわりと胸に焦りが生まれる。まさか、そんなわけ。だって私は曲がりなりにもキャバ嬢よ。客に感情を悟られるなんて、そんなの。そんなの水商売失格じゃない。
「ま、あいつはあんたのストーカーだからな。それくらいわかるんじゃね?」
土方は飄々とした様子で近藤と元へ歩き出した。笑顔は完璧だったはず。なのに、それでもわかってしまうの?今、ストーカーって認めましたね。ぽつんと呟いた皮肉はあまりにも小さな声だった。今のわたしは自分の気持ちを隠す事さえ出来ていないというのだろうか。
(ねえ、)
(いったい何がいいの?)
妙は手に持ったアイスを見たあと、土方に担がれた近藤に視線をやる。ああ早く二番テーブルに行かなくちゃ。ねえ、近藤さん、あなたってわたしの何が好きなの。私はあの人の何が好きで、そして、あの人は。
口を引き結んで顔を上げる。それでもわたしは彼が好きで、それはもう、どうしようもないことだった。妙はボーイにアイスを預け、近藤に背を向ける。ニッコリ笑って二番テーブルの客の隣へ座った。
「お待たせしました。お妙です。ご来店ありがとうございます」
ーー
ー
最後の客を見送り、妙が店を出た時、空は朝になろうとしていた。ハロウィンの仮装から着物に着替えれば、やっと仕事が終わった気になる。
「よう」
「銀さん」
裏口を出ると外は薄暗く、ひやりと寒かった。ふと視線を上げた先。一番近くの電信柱の下にスクーターにまたがる銀時がいた。意図しているのか、偶然なのか、気まぐれなのか、妙にはわからないけれど彼はこうして仕事帰りに送ってくれることがあった。
「送ってくださるの?」
「おお…」
欠伸を噛み殺したような返事だ。ありがとう、と妙は苦笑して彼に近づく。二人の時間は嬉しいけれど、やはり申し訳ない気持ちもある。身内と呼ぶには遠く、他人というにはあまりに近い。わたしたちの間にはいつも曖昧な線が引かれていた。
「大層なお誕生会だなァ。さすがナンバーワン」
「商売の一環ですよ。でも、やっぱり嬉しいですね。明日は新ちゃんや神楽ちゃんたちがお祝いしてくれるんでしょう?楽しみだわ」
「明日じゃねえよ」
ヘルメットが胸のあたりに差し出された。ああ、そうか。
「そっか、もう今日なんですね」
「なあ」
「はい?」
「今からちょっと時間ある?」
そんなに長くはかからないから、と言う彼に訝しく思いながらも構わないことを伝えた。どうせ帰ったら寝るだけだ。ただ、どこへ行くのか、なにをするのかを教えるつもりはないらしい。妙を後ろに乗せた銀時のスクーターは黙って薄暗いかぶき町を走り出した。
(やさしい女だな)
エンジン音を聞きながら、彼の背中をぼうっと見る。油断すると勝手によみがえる言葉があった。やさしいのはあなたじゃない。妙はそう言いたかった。
(いまでも好きなんだ)
夜明けで良かった。妙は心底そう思った。涙声になったとしても、あくびをしたのと誤魔化しがきく。大切なものは壊したくない。やさしい人は傷つけたくない。思いながらゆっくり目を閉じた。冷たい風がほろ酔いの頭に気持ちいいと思った。
「…え、…おたえっ」
軽く声をかけられて目を覚ます。浅い眠りだったと思うけど、一体どれくらい走ったのだろう。ぱちんとベルトを外してヘルメットを取ると、風に髪がなびいた。
「ついた」
「え、…ひゃっ」
そう言った銀時の視線を追うも、さっきより大きな風が吹いて髪が視界を覆ってしまう。慌てて手で抑えて、やっと視界がひらけた。そうして広がる風景に、妙は思わず息をのんだ。
「…う、わあ…」
薄紫の花々が朝靄の中で揺れている。小さな波を作って、まるでそこから朝が始まるみたい。秋桜だ。こんなところがあるなんて、知らなかった。
「きれい…」
登った日の光がキラキラと秋桜を照らしている。花びらが透けて、脈がきれい。決して広い面積ではないけれど、こんなにたくさんの秋桜を見たのは初めてだった。
「あー…何か、アレだ」
銀時が言い訳でもするように話し始める。
「長谷川さんが前住んでたとこの近くの寺の裏手に秋桜があるっつってさ、で、綺麗だからお前とか神楽に見せたら喜ぶんじゃないかって言ってて、そんで…」
妙は秋桜から目を離し、銀時を見た。首筋をかいてそっぽを向くので顔が窺えない。
「神楽ちゃんより先にわたしだけ連れて来て良かったんですか?」
聞くと、首筋をかいていた手がピタリと止まる。ぎこちなく振り向いた。
「誕生日、だから」
少し口元が歪んでいるのは照れているせいだと妙は知っている。自分の誕生日のために何かをしようと考えてくれたことが嬉しい。嬉しくてしょうがない。なのに、切なかった。たくさんの複雑な感情が、溢れそうなくらい沸き起こる。この人の好きな人がわたしだったらいいのに。そうだったなら、どんなに幸せだろう。ねえ、銀さん。囁くような声で妙が話しかける。
「運命の人がいればいいのにって思いませんか」
「運命の人?」
「生まれた時にね、好きになる人がひとり、もう決まってるんです。二人はペアになってるの。だからその相手も絶対自分を好きになってくれる。そうだったら楽だと思いません?」
「なんだよそれ」
「だってそれなら途中で好きじゃなくなったり、他の人を好きになることもないじゃない」
「なに、酔ってんの。お前」
「それに失恋なんかしなくて済むわ」
「…は?」
「好きな人がいる人を、好きになったりしなくて済むじゃない」
そうだったらいいのに。そうしたら傷つくことも傷つけることもないのに。しかし残念なことにそんな便利な仕組みは世界にはない。わたしは彼が好きで、彼は他の人が好き。それでも言ってしまいたい衝動がやってくる。妙は下を向いた。
「銀さん、あのね、もしもの話よ?私が誰かを好きになったら、うまく行くって思いますか?」
「…」
「もしも、もしも…私に好きって言われたら、銀さんは嬉しい?」
恐る恐る顔を上げた。白く柔らかい髪が朝日に照らされて透けている。たったそれだけのことを愛しいと、わたしは思ったの。
(ああ、)
珍しく動揺した様子の彼が目の前にいた。この人を好きになった事実が消滅するのなら、今ここにいる私自身が消滅するのと同じだと、本気で思った。
(困らせたいわけじゃないのに)
ならば、一度消滅したわたしは再び誰かを好きになれるだろうか。この人じゃない、他の誰かを。そんなことは到底不可能なように思える。大切なものは壊したくない。やさしい人は傷つけたくない。
だけど、本当に傷つきたくないのは自分だった。
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