銀時と妙

そういう行為は自分にとって生理的な欲求を満たすだけのものだった。生物が生きる上でなくてはならない本能。健全な身体の欲望。遺伝子を残すための崇高な使命。だれでもいい。だれでもよかった。できれば綺麗な方がいいけれど、欲を言えば可愛い方が嬉しいけれど、最終的な目的は溜まった欲を吐き出すことだけだ。それが出来るなら、ほんとうに、だれでもいい。そんな最低と言われる部類の人間だったのだ、自分は。それを最低とも思わないような人間だったのだ、坂田銀時は。

(…ぎんさ、ん…)

沈んでいくような感覚だった。

細胞が溶けて、ゆるゆると、

深く、ふかく落ちていくような、

そんな感覚に、おれは陥っていた。

彼女を抱いている間じゅうずっと。深く暗い海の、そのいちばん下へ落ちていく。ふたりで共に落ちていくのか、それともおれが彼女のなかに落ちていくのか、そのどちらかはよくわからない。しかし今まで感じたことのない快楽だった。これまで生きてきた中でも、女を抱いた中でも、まったく知り得なかった。触れる度、重なる度、その部分が分解して、ばらばらと自分から離れてゆく。解放される。そんな感じ。

(ぎんさん)

たとえば、濡れたくちびるの間から女の声が息と一緒に吐き出される。それが、彼女が時折口にするそれが、自分の名だということが心底不思議だった。どうして彼女はおれに抱かれているんだ。こんなに幸せだと、それは何の前触れもなく壊れてしまうのではないか。泡のように消えて、そもそも初めからなかったことになるのではないか。だって、おれにはこんな資格ないのに。でも、もう妙のいない世界では生きられない。どうか、誰か、俺を許してくれ。そんな情けない俺を包むように、妙は何度も俺の名前を呼んだ。好きだと、愛しいと、そう思った。

(すき…)

隣にはぐったり眠った女がいる。胸に罪悪感がじくりと広がった。無理をさせてしまった。やさしくするなど到底出来なかった。覚えたての少年でもあるまいし、せめて大人の余裕というものを見せてやりたかったのに。しかし俺だっていっぱいいっぱいだったのだ。生まれて初めての感覚に戸惑っていたのだから。

「ごめん、な」

痛かっただろうか。苦しかっただろうか。彼女が起きる気配は微塵もない。疲れ果ててしまっている。枕に肘を立てて顔を覗き込むと、女は小さな声を上げて寝返りを打った。嘘みたいだ。夢みたいだ。行為の最中よりも、今この瞬間のほうがずっと現実味がない。妙の髪をそっと撫でる。手を持ち上げれば、するすると黒髪が落ちた。好きだ。もう、なにもかも。欲しくて欲しくてたまらない。そんなことを思う自分が嫌で、だから距離をとっていたというのに。これからおれの細胞は彼女を求めつづける。生物の本能ではなく、雄の使命でも、生理的な欲求でもない。心が、魂が、たったひとりこの女だけを求めている。

「…たえ」

このまま解けて溶けて混ざって出来るのなら、最後は、ひとつに。ふ、と笑ってかぶりを振る。そんな馬鹿なことは言わないよ。だっておまえは美しい。おれが混じればきっとダメだ。でも、もしもこんな俺さえも、この汚れた過去すらも、飲み込んで綺麗にしてくれるなら、そんな海のようなひとだったなら、おれはずっとおまえにのまれて沈んでいたい。
眠る妙に覆いかぶさった。安らかな寝息は波の音だ。彼女の頬に落ちた水滴を、キスをするように舐めとった。抱きすくめて顔を首筋に埋めると、つよい眠気に襲われたので、惜しみつつもまぶたを閉じる。

涙は潮の味がした。

真夜中の深海魚


ニーナ(2015/12/2 claplog)


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  銀時と妙

目が覚めたのは、朝の光のせいなのか、鳥の声のせいなのか、もしくは自分の身体を抱く腕の重さのせいなのか、妙にはわからなかった。ぼんやりと霧がかかったように覚醒しきらない頭を上に動かせば髪の毛と枕の擦れる音がする。(あ、)思わず声を飲み込んだ。だってもしも起こしてしまったら勿体無いもの。(髪、いつもとちがう…)見上げた先にいる、つまりは自分を抱きしめながら眠る人物を確認して何度か瞬きをした。そこに彼がいる。不思議な気分だった。長く側にいながら、こんなふうに触れ合う日がくるなんて本当に思ってもいなかったから。視線の先で白く柔らかな髪の毛がへたりと額に張り付いている。それが何だか愛しくて、自然と笑みがこぼれた。その後で身体のだるさに気づき、頬が微かにあつくなる。昨日の夜は、自分を保つことで必死だった。初めての体験はあまりにも刺激が強く、いつものように意地を張るのは到底不可能だった。何が何だかわからない状況で、随分と恥ずかしいことを言った気がする。例えば、そう、好きだとか。それをまた自分で聞いたことのないくらいに甘ったるい声で言うので顔から火が出そうだった。はしたない女だって思われたらどうしよう。嫌われてしまったらどうしよう。うだうだ考えていると、ううん、と頭上から寝ぼけ声が聞こえた。

「ひゃっ」

抱かれた腕に力が入ってぐっと引き寄せられる。小さな悲鳴が上がった。

「ぎ、んさん…?」

起きてるの?と、そっと問いかける。すると彼は眉間に皺を寄せたが、しばらくするとその皺は解かれ安らかな寝息がまた始まった。

(たえ…)

脳裏で昨日聞いた声が唐突に蘇った。これまでにないほど近く、自分の名前を呼ぶ声がなぜか切なげで、妙は少し驚いたのだ。どうしてそんなに不安そうなの。何がこわいの。慌てて彼の名を呼ぶ。わたしはここよ。どこにも行かない。あなたを残してどこへも。昨夜そう思ったことを思い出し、そっと白い髪を撫でる。朝の光にキラキラと輝いていた。

「銀さん」

変ね。妙は苦笑する。その間とても自分の頭が付いていかなくて、この人にしがみつく事で精一杯だった。なのに今は、わたしを包むこの腕を、その白くて柔らかな頭を、自分より随分大きな身体を、安らかに眠る彼そのものを守ってあげたいと思っている。幸せにしたいと、それが出来ると思っている。どうしてかしら。どうしてそんな事を思うのかしら。年だって十くらい離れているし、人生経験も、恋愛経験だって、少なくとも私よりは豊富な大人の男の人なのよ。でも、眠りの浅いはずの彼が声をかけても起きない。髪を撫でても、じっと見つめても起きない。まるで安心して眠る子供のように。そんなひと時を彼に与える事が出来るなら、その場所をわたしが守りたい。光が差し込む。これは朝の光だ。わたしは今、幸福を腕に抱いている。


ひかりの朝


ニーナ(2015/12/2 claplog)


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