銀時と妙


「二年、か」

花びらが舞い上がり、風に吹かれてくるくるとまわる。

銀時は店先の縁台に腰掛けながら、眠気を覚ますために茶を啜っていた。湯呑みを横に置いたところで男が無断で隣に座った。鬱陶しい長髪の、切っても切れぬ腐れ縁の男だ。何も言わずに無視を決めていると、男が先に一言呟いた。二年か、と。

「なにが」
「お前が万事屋を辞めてからだ」
「別に辞めた覚えはねえけど」
「ではお前があの街を去ってから」
「…覚えてねえよ、んなこといちいち」
「やむを得ん事情があったとは言え、苦渋の決断だったろう」

桂もまた茶を啜った。
銀時は少し眉をひそめ、通りの向こうにある川を見つめた。そこは住み慣れたあの街とは似ていても、確実に違っていた。

「は?何?急に思い出話タイム?つーか用は何だよ。さっさと言え」
「用などない。たまたま見かけたから声をかけただけだ」
「あっそ」
「帰らないのか?あの街には」
「なんで」
「もう帰ってもいいだろう。あの件はとっくに解決したんだ」

川を見つめていると、そこにまた花びらが舞い降りて流されていく。嫌になって視線を逸らした。確かに、二年前に街を出なければいけなかった原因はもう片付いた。とっくに解決している。

「…帰らないとかじゃなくて」

左脚を片方の膝に乗せ、頬杖をついた。

「もともとあそこは俺の街ってわけじゃねえし」
「は?」
「だから、別に俺の街でも故郷でもねえんだから、そもそも帰るとか帰らないとかじゃ…」
「銀時」

桂は銀時の言葉を遮り、目を細めて彼を見やる。

「お前はバカか」
「はあっ?何でテメーにバカ呼ばわりされなきゃなんねーんだよ」
「くだらん言い訳をするな」
「なっ…」
「怖いんだろう」

花びらが、桜が、睨んだ長髪の男の背景でも舞っていた。嫌でもどこかで視界に入ってくる季節だ。何度も目を逸らした。逃げて、見ないように目を閉じた。そんなことをしたって意味はなかったのに。

「怖いのだ。お前は。自分のいなかったあいだ、街が、人が、変わってしまっているのが。それを知るのが」
「ちげーよ」
「何が違う」

桂は眉を寄せた。

「…この間、新八と神楽に会った」

春は、きらいだ。
思い出をより一層色濃く蘇らせる。きれいであればあるほど、あれは手に入らない。

「あいつらまだ万事屋続けてるってよ。道場やハンターを兼任しながら」
「ああ、知っている。俺はちょくちょく行っているからな」
「そうか」
「で?」
「あ?」
「怒っていたか?二人は」
「いや…呆れてた」

苦笑しながら頭を掻く。堂々と立ち並ぶ彼らはたくましく成長していた。身体も、心も。しかしそれでも変わらずに二人は新八と神楽だった。

「いろんなこと聞いたよ。街の事とか、他の奴らの事とか。…また一緒に働こうとも言われた。早く帰って来いって、あいつら、こんな俺に言ってくれた」

正直泣きそうなくらいにほっとした。あいつらはまた俺を受け入れてくれるんだと思ったら情けないほどに安心した。何も言わずに出て来てしまったのだ。きっかけがなければ、もう戻れないと思っていた。だって、いくらなんでも勝手だろう。変わった事、変わらない事。色々聞かされたけど、みんな元気にやっていることも知った。ほんとうに、色んな話をしたんだ。日が暮れるまでずっと。忘れてたような奴の事まで。でも、だからこそ、不自然だった。気づいてしまったらもう、そのことしか考えられなくなった。たったひとり、彼らが一度も話題に上げなかった人物のことが。

「成る程」
「…あ?」
「では、お前が杞憂しているのはもっと的を絞った事なのだな」
「何の話だよ」

桂は銀時の目をじっと見据えた。静かな視線だった。

「お妙殿の事だろう」

思わず息をのむ。返事が出来ない。狼狽し、ゆるゆると桂の視線から逃げる。その名前を聞くのは何年ぶりだろう。新八も神楽も、彼女の名前だけは出さなかった。新八の姉で、神楽が慕っていて、定春が懐いていて、いつも一緒にいた。俺たち万事屋にとってごく身近な存在であるはずなのに。誰のことを話していても彼女とつながるはずなのに。再会した彼らが意図的にその話題を避けていることを悟った時、帰れない漠然とした不安は、彼女ひとりに集中した。自分からは聞けなかった。だって恐らく彼らは知っている。俺が彼女に対してどうしようもない感情を抱いていたことを。今どうしている。元気にしているのか。まだ家にいるのか。仕事は続けているのか。結婚、は。

「これを」

冷たい汗が額に浮かぶ。うつむいたままでいると、目の前に白い封筒が差し出された。見上げれば桂はすでに立ち上がっていた。

「お前宛だ」
「…誰、から」
「知らん」

眩しいほどに白い封筒だった。泣きたい気分でそれを受け取ると、男はそのまま無言で去って行った。視線を遠くなる背中から手元に残った封筒に移す。目眩のように視界がゆれた。ああ、この真白い封筒は。桜が俺の前を通りすぎる。封を切った。









 わたしは、怒っています。



何も言わずに出て行ってひとつも連絡しないままであなたは一体どこまで勝手なの。あなたのことなんかもう知りません。わたしは歩き出します。



  待つのは、もう、いやなの。







白い封筒の中には白い便箋が入っていて、そこにはきれいな文字が均等に並べられていた。一目でわかる。妙の文字だった。それだけで胸の辺りが掴まれたようになる。彼女の存在を感じることが出来るだけで。内容はとても簡素な叱責と、別れの言葉だった。目を閉じる。桜を見ると、妙を思い出す。しかし目を閉じると、妙が浮かび上がる。春はきらいだ。どうやったって俺はどこかにあいつの姿を探してしまう。鮮やかであればあるほど、それは手に入らない。好きだった。ガキみたいな、青臭い想いを十近く離れた女に抱いていたのだ。待っていて欲しいなんて思わない。誰か他の奴と幸せになればいいと思う。それでも、あいつがどこで誰といても、俺はずっと彼女が好きなのだろう。ただ、それだけはもう諦めてしまおう。だから、お前はもう忘れてくれ。こんな意気地なしの事なんか忘れてくれ。目を開けると、情けないことに涙がこぼれた。涙が、瞳を覆って視界がぼやけている。桜の木が揺れている。

「…お妙」

ひとつひとつの文字が愛しく、指でなぞると大粒の涙がおちた。彼女の中に俺がいなくなっても、俺の中にはずっと彼女が居続ける。


「ーーーはい」


川の向こうで子どもが放った紙飛行機が落ちそうになってまた上昇する。ふらふらと頼りなく上り、最後は木の枝に引っかかって止まった。その軌道がやけにひどく、長く思えた。
はい、と返事をしたその声は何度も頭の中で思い描いていたものだった。聞きたくて、欲を言えば名前を呼んでほしくて、何度も、何度も、ずっと胸のなかで思い描いてきた。いや、でも、あり得ない。あるわけがないのだ。そんな都合の良いことが。あまりに呆然として振り向けなかった。冷や汗が、ぶわっとまた浮かび上がる。そんな俺を無視して、背後の声はさらに続いた。


「いつまでそうしてるつもりです」


下駄が土を踏む気配がする。衣擦れの音がする。背後のその人物が、自分の正面に回り込む。
暑くもないのに汗がこめかみに流れた。古めかしいからくり人形のように、ギギギ、と不自然に顔を上げる。息が止まるかと思った。凛と背筋を伸ばした女がそこに立っていて、それは何十回、何百回も思い浮かべた表情だった。


「情けない顔しちゃってまったく。忘れたなんて言ったらただじゃおきませんよ」


忘れるわけがなかった。

忘れられるわけがなかった。まるでよくできた幻だ。都合の良い幻想だ。喉がカラカラと乾いてひっつきそうだった。うまく、声がでない。

「どうしてこんな所にいるんだって言いたそうな顔してる」
「…だっ、て。おまえ…」
「ああ、手紙。桂さん、ちゃんと渡して下さったのね」

白い指が俺の手の中にある便箋を指さす。

「ね、そこに書いてあるでしょう」

ほんとうにしょうがない人。ゆるく笑った瞳がそう言っているようだった。白い妙の手が目の前に差し出された。


「待つのは止めたの」


桜が舞う。不甲斐ない男を導くように。


ニーナ(2016/10/4)


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