銀時と妙
「べつにね、何が不満ってわけじゃないんですよ」
そういった彼女の顔は十分に不満げだった。ソファに浅く腰掛けて、おれが煎れた茶を手に持ったまま平静を装っているけれども。(茶菓子を持って訪問してきたから、茶を出さないわけにはいかない)
「ただね?最近あまりにもすれ違ってばかりなんですもの。酷い日は朝に挨拶するだけのときもあるのよ?時間帯ぜんぜん合わないし、ご飯だって一緒に食べられないし。まあ、それは私の仕事のせいですけど」
ああそう、それはそれは大変だなァ。あくび半分に相槌をうつが、そんなことも気にせず彼女は続ける。つまりは誰でもいいから愚痴を聞いてほしいわけだ。
「たまに休日が合うかなーって思ったら、お通ちゃんのライブだとか言うし。今日だって仕事前に時間あるから寄ったのに、買い物に出ちゃってるんですもの。さみしいのは私ばっかりなのかしら」
もしかすると倦怠期の恋人の話を聞かされているのだろうか。そう思っても全くおかしくはない。嬉々として万事屋の扉を引いた彼女は、弟の姿がないと知ると分かりやすく落胆した。そして日々たまった愚痴を吐き出すためにおれは捕まったのだ。こんな迷惑な話があるか。
「ねえ最近あの子、変な女に捕まってたりしませんか。純粋だからすぐ騙されちゃうんですよ」
「知らねーよ。本人に聞きゃあいいじゃねえか。姉弟だろうが」
「男と女のきょうだいって結構ナイーブなんです。どこまで聞いていいのかわからないし、あんまり詮索するのもどうかと思うし…」
やっと口をつけた湯のみをことりと置いた。当然おれはとっくに茶も茶菓子も完食済みだ。ソファにもたれて耳をほじった。あーあ、つまんね。声に出さずにごちる。(声に出したってどうせこいつは聞こえてないだろうが)しかし何気なく見た彼女の目が窓の外の何かを追っていた。それと同時に、あ、と声をもらす。
「んあ?」
妙がおもむろに立ち上がり、窓へ歩み寄る。外を眺めながら桟に手をかけた。
「なに」
「ツバメ、」
「ツバメ?」
「ええ、ツバメが低く飛んでるわ。雨が降るかしら…」
いやぁね、洗濯物気をつけなくちゃ。こちらを振り向き、しみじみ言った。
正直言って新八と妙はあまり似ていない。しかしーー。眉を寄せて深く息をついてやった。こういう時の表情は血のつながりを感じる。いやってほど、こいつらは姉弟だ。
「それ」
「え?」
「新八も同じこと言ってた。ツバメが雨がどうのって」
何の根拠もない言い伝えを、それでも真剣に話すその顔は、やはりよく似ている。へ、と声を発した数秒あと、妙は顔をじわじわと綻ばせた。こんな事実だけで彼女は嬉しさを覚えるのだ。
なあ新八ィ、と胸でつぶやいてみる。この女のこんな表情は、おまえにしか作れないんだぜ。この世でおまえしかいないんだ。それがどれだけ凄いことかわかってるのか。
女の頬がほんのり赤みを帯びて、迂闊にもその表情にドキリと胸が鳴った。そう、そうなの。と妙は噛み締めるように言う。単純なほど機嫌が急上昇していくのを感じた。
「ま、その日も次の日もふつうに晴れだったけどね」
「ふふ、おかしいわね。あの子にはまだ天気予報なんて出来ないのよ」
「いや、お前にも出来ないと思うよ」
「いいえ、私はいつも当たるもの」
にこにこと笑みをこぼす妙を見て、自然とため息が漏れる。はあ。なんなんだよ、まじで。
「…あーあ。おれも誰かに愚痴きいてほしいわ」
「あら、わたしがいるじゃないですか」
すっかり機嫌を取り戻した妙は、己を指差してあっけらかんと言う。人の気も知らぬままに。ふふふ、と柔く微笑んで。
「おまえじゃだめなのー」
ぼやきながら肘をつき口をとがらせてやった。彼女はからかうように笑っておれの真似をする。横目でみた夕陽が驚くほど鮮やかだった。やっぱり雨なんか降らない。だって彼女が笑顔こんなにも晴れやかなのだから。
ニーナ(clap log)
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