銀時と妙(3Z)


とんとん、ぱちん。という一定の音が国語準備室に響いていた。授業で使う資料を二つ折りにして、それをまとめて端をホッチキスで止めてひとつの冊子にする作業。それを延々と続けている音だ。そのとき、妙はまたタイミングの悪いときに訪ねてしまったことを後悔している最中だった。風邪で休んだ日の提出ノートを持ってきただけだったというのに自分の顔を見るなり、これ幸いと怠慢な教師は言った。マジで頼むよ、手伝ってくれ。

「いやぁ、悪ィな。明日の授業で使うのすっかり忘れててよぉ」
「いいんです。もう呆れもしません。ていうか先生は逆に何を覚えてるんですか?」
「うわ、きっつ」
「どうせジャンプの発売日とお菓子の作り方と結野アナの天気予報の時間ぐらいでしょう」

辛辣なことを言いながらも手は休めない。早いこと終わらせて帰りたい。担任教師はそんなことねえよとかなんとかぐちぐち呟いていたけれど無視をした。折る、まとめる、端をホッチキス。それをくりかえす。

「あ、女子が田中先生に群がってる」
「よそ見してないで手を動かして下さい」
「動かしてるって。ねー、あの先生すっげえモテてない?」
「ああ、人気ですね。去年から入って来た若い先生だし。クラスの子も格好いいって言ってましたよ」
「マジか、羨ましいな」
「羨ましいんですか?」
「そりゃあ、」

唇を突き出して妙に視線を向ける。

「なんです?」
「女子高生にモテるなんて超いいじゃん」
「まあ気持ち悪い」
「おいィィ!気持ち悪いとか平気で言うなよ!」
「平気じゃないですよ。そんな変態と二人きりだなんて身の危険を感じて怯えています」
「お前ホント減らず口だな。つーかマジで傷つくんですけど。俺が何をした」
「田中先生は女子高生に手を出したりしないもの」
「俺だってしてねえよ」
「先生の場合は手を出さないんじゃなくて、相手にされないだけでしょ」

とんとん、ぱちん。妙はひたすらに出来たばかりの冊子を積んでいく。

「ほんと俺に厳しいね、お前」
「そうですか?十分優しいとおもいますけど」
「そーですね。クラスのマドンナが俺なんかの手伝いしてくれるんだからね。ほんとありがてえわ。」
「思ってもないことをペラペラよく喋れますね」
「そんなことないって。つーかさ、お前なら田中先生も落とせるんじゃねえの」
「は?なに言ってるんですか」
「ほら、ギャップってやつ?恋愛に興味なさそうな優等生のお前に来られたら不意をつかれて落ちちゃうかもよ。そうなったら面白いよな。俺絶対校長にチクるわ」
「本当嫌な性格してますね。先生の娯楽のためにわたしの将来を棒に振る気ですか」
「大丈夫、大丈夫。お前の名前は伏せるから…って、うわ、ジョーダンだって。怒んなよ。まあ田中先生も堅実そうだし、そんなリスクは犯さないだろうな」
「…ていうか漫画かドラマくらいじゃないですか?教師と生徒の恋愛なんて。」

妙は一度手を止めて、坂田に視線を送る。ねえ、だってそんなこと。

「ありえないでしょう」

彼と目が合ってしまう前にまた作業に戻った。もう何枚目かわからない。プリントを二つに折る。ボキっと鈍い音で首を鳴らす彼の仕草が視界の端で確認された。癖なのかは知らないけれど、その仕草をよくしているのを知っている。

「ああ、そうだな。面倒くさいことこの上ないからな」

とんとん、ぱちん。ああもうコレあとどれくらいかかるだろう。

「子供は怖いもんなんかないから教師に憧れたりしても突っ走っていけるけどさぁ」
「…」
「コッチにしたらマジでめんどくさいだけだよね。隠さないとダメだし若いから疲れるしバレたらクビだし。目の保養に若い肌見るのが一番だわ」
「確かにそうですね。生徒はきっと楽しいでしょうけど先生のほうにはメリットがあまりないかも」
「だろ?」
「でも、わたしだったら」

言いかけてやめた。わたしのことなんかどうでもいいじゃないか。しかし黙ってしまった妙を坂田の視線が捉える。わたしだったら、なに?先を促されてしぶしぶ口を開いた。いえ、と意味のない否定を初めにつけて。

「…もし、わたしが教師を好きになったら、他の女の子みたいに突っ走れないなあと思って」
「ああ、お前女子高生ってわりにキャピキャピ感がないもんな」
「喧嘩売ってるんですか」
「いやいや違うってごめんなさい」

坂田が苦笑いをするのを見て、妙は持ち上げた拳を下ろした。瞳を伏せて、前髪をさわる。

「だって、なんだか馬鹿馬鹿しいもの」

ふう、と小さく息をついた。ため息に聞こえないようなさりげない感情の塊と一緒に。

「なんだかとても不毛なことをしているみたいで馬鹿馬鹿しい」

そんな恋愛は、所詮自分は子供なのだと思い知らされるだけだ。相手は大人で、その周りには魅力的なひとがたくさんいて、そんな中で自分の存在はきっとひどく拙い。何も知らない幼い子ども。それが悪いことではないというのに、そのことに劣等感ばかりが膨らんでいくのが目に見える。窒息していく。そこには叶わない夢をむりやり見るような不毛さがあった。

「馬鹿馬鹿しい、か」
「ええ」
「うん、そうだな」
「そうですよ」
「じゃあ、あれだな。志村は隣のクラスの爽やかなサッカー部とかに告白されて甘酸っぱい青春を送るんだろうな」
「なんでサッカー部なんですか」
「普通の恋愛をするってこと。それなら馬鹿馬鹿しくないっしょ」

ぱちん、ぱちん。ホッチキスを二箇所止めながら想像してみる。顔の見えない、同じ年代の男子と恋をする。それはとても健全で安全な恋愛だ。わたしのするべき正しい恋だ。でも、どうしてだろう。どうやったって自分のそんな姿は思いつかないのだった。

「そうですね」

それが何故なのか、わたしは知っていた。頑なに見ないように目を背けている気づいてはいけない感情だった。なのに、とうの昔からわたしは知っていたのだ。坂田は一度時計を見て立ち上がる。こんなの、こんな感情、意味ないじゃないか。

「おー、かなり出来たな。あとはやっとくから帰っていいよ。サンキューな」
「え、いいですよ。どうせですから全部やります」
「いいよ、そろそろ遅くなるし。最近暗くなるの早いからな」

坂田は出来上がった資料を持ち上げダンボールへと積めていく。妙は仕方なくホチキスを置いた。

「あ、そうだ。志村、手ェ出して。手」
「手?って、わっ…」

言われるがまま妙が手を出すと、大きな手のひらから小さな包みがバラバラといくつか落とされる。

「チョコレート。うまいやつだよ」
「くれるんですか?」
「うん、手伝ってくれたお礼」
「…ありがとう、ございます」

金色の包み紙。常に金欠の彼にしては少し高級そうな感じがして何だか申し訳なくなる。なあ、志村。坂田の声が頭上からかけられた。反射的に顎を引く。そんな声で呼ばないで。そんな、大人みたいな、保護者みたいな声で、わたしを。

「お前さ、花の女子高生なんだからちゃんと恋愛しろよ。自分のこと犠牲にばっかしないで」
「…」
「ちゃんとさ、同世代の男子好きになってさあ甘酸っぱい青春をするべきなんだよね」
「…」
「そういう真っ当な恋愛しろよな、お前は」
「…な、んで…先生にそんなこと言われなきゃいけないんですか」
「はは、余計なお世話だっつーのな」

ちゃんと、ってなに。真っ当ってなによ。どうしてそんなことまで説教されなきゃいけないの、あなた、に。正面にいる男の目を見れなくて、妙はずっと手のひらのチョコレートを見つめていた。そうしながら何と言葉を返せばいいか必死で探していた。でも声が出ない。わたし、傷ついているんだと知った。そんなことをこの人に言われて傷ついている。バカみたいだ。ほんとうに。

「…志村」

ゆらり、名前を呼ばれた妙は思わず彼と目を合わせてしまった。返す言葉はまだ見つかっていないというのに。坂田は笑顔とは程遠い、困り顔とも怒り顔とも言えない、そうだ、言うなれば泣き顔のような表情をしてこちらを見つめていた。先生、ねえ、せんせい。わたし、真っ当な恋を、正しい青春を送りたいよ。不毛で馬鹿馬鹿しい恋愛がしたいわけじゃないの。妙もまた泣きそうになっていた。ああ、だけど。

「それとも、俺とバカになってみる?」

坂田の声がふたりの空間だけに響く。バラバラバラ。せっかくもらった可愛い包みのチョコレートが5つ、机の上に落ちてしまった。

だけど、馬鹿じゃない恋なんて、いったいどこにあるというんだろう。


ば か に な る


ニーナ(2015/8/23)


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