銀時と妙(これの数ヶ月後設定)


ひどいわ。

妙は泣いてしまいそうな気分だった。でも絶対に涙なんか見せたくなかったし、泣こうとしたところでそれが流れないことも知っていたので、ふいとそっぽを向いた。ひどいわ。ずるい、最低よ。人でなし。瞬間ふれただけなのに、くちびるがじんと熱い。さくらが夜の中でわたしの頭上を舞っている。ひらひらと不規則に落ちていく。あちらこちらへ笑うように、泣くように。
だらしない彼を嗜めるいつもの声色は出そうになかった。貼り付けていた仮面のような微笑もどうやっていたのか思い出せない。だって、あなたが外したんでしょう。わたしの守っていた愛想ばかりのいい笑顔も、誰にも迷惑かけないようにと張っていた意地も。ぜんぶ、あなたが暴いたのよ。わたしの中に勝手に踏み込んで暴れてそして居座ったくせに。わたしそんなあなたに辟易して呆れて、そして喜んだ。ああ、なんて馬鹿なの。彼の前でだけ、笑顔も意地も過去や未来をも脱ぎ去ることを許された気になっていた。

ひどいわよ。

一緒の気持ちだと思っていたのだ。はじめて口付けられたとき、感じたことのない幸福感が舞い降りた。彼にとっては酔った勢いだとか場の雰囲気だとか、そういうことだったかもしれない。いいや、きっとそう。そうやって自分に言い聞かせていた。彼はわたしを愛したりしないのよ、と言い聞かせた。ただわたしは、わたしの中に生まれた感情を大切にして行けばそれでいいって思った。なのに、それからも彼はわたしの側に来て、笑ったり冗談を言ったりたまには優しくしたり、そして少なくもなく口付けを落とした。だから馬鹿なわたしは欲を出してしまったのだ。ひどいわ。最低よ。どうしてあんなことを言ってしまったの?

”わたしとあなたは同じ気持ちなんですか?”

そう言ったときの、彼の表情をわたしはきっと忘れない。わすれられない。わすれたい。眉をひそめ、苦々しそうな目をした。まるで軽蔑するような目だった。なんにも言葉を返してくれずに。馬鹿、最低。ものわかりの悪い、面倒な女だってそう思った。今のままでじゅうぶん幸せだったというのに。さくらが舞い散る。夜に浮かぶ花弁はきれいで、だけど今はそれを見るのも痛い。彼がいないなら、世界のすべては私にやさしくない。お別れなんだと思ったら、流れないと思っていた涙が顔を出しそうだった。距離的な別れよりも精神的な別れのほうが、きっとずっと遠い。愚かなことを口走ったうえに涙なんて流したらきっと幻滅されてしまうだろう。妙はその場に突き刺さったままの両足をどうにか動かした。身体が自分のものじゃないみたいだ。ギギギ、と骨が歪な音を立てそう。そっぽを向いたままの顔の方向へ身体を向けると、さっき来た道を歩き出した。こんなふうに、来た道を戻れたらいいのに。過ぎた時間を戻れたら、。

「おれとお前が同じ気持ち?」

沈黙を破ったのは、嘲り笑うような声だった。途端、ぐん、と強い力で腕を引っ張られ視界が反転する。目の前に男がいた。目を逸らし続けた彼がそこに。だけど、どうして笑っているの。細めた瞳が赤く光ってる。口元からは、くくっと声が漏れていた。やめてよ、笑わないで。どうしてそんなふうに笑うの。腕が痛いわ。桜まで笑っているみたい。痛いの。世界のすべてが。あなたがいないなら。

「おまえ傑作だなァ」
「なんで…わらうの」
「ふ、ははっ。何でって、お前」

彼の笑いが大きくなるにつれてその指がギリギリと腕に食い込む。痛い、いたいよ。ひどいわ、笑うなんて。あなたがわたしと同じ気持ちなんかじゃないのはようくわかった。いいえ、ずっと知っていたのよ。だってあなたは誰も愛したりしない。酔った勢いで、場の雰囲気で、たまに口付けるのがわたしだっただけ。もうわかったから、ねえ、

「ゆるして…」

ついに涙は流れてしまった。身体は心とつながっているのだ。腕の痛さと自分の愚かさに耐えきれずに私はうつむく。落ちた花が死んでいた。もうあの口付けには、あの幸福には出会えない。何粒目かわからない涙が頬を伝ったとき、ぬるりと温かい何かが触った。彼の舌だった。

「おれとお前が同じなわけないだろう」

顔のとても近くにいる彼はもう笑ってはいなかった。かわりに怒ったような苛ついたような、そんな表情をしている。

「おれの気持ちは、お前みたいに軽いもんじゃねえんだよ」

そのあとに襲いかかった彼の唇は、熱く乱暴で、堅いその歯に噛み千切られるのかと思った。涙に触れた舌はわたしの中を隈なく舐めまわし、腕に食い込んだ指は突き刺しそうな強い力だった。
桜が舞い散る。枝がざわざわと音を立て、月は雲に隠されてしまった。
おねがいだから離れてしまわないでほしい。噛みちぎったっていいから。この想いはどこか馬鹿げているかもしれない。綺麗な形をしていないかもしれない。でもこれでいいの。痛みも寒さも暑さも美しさも、あなたがいるなら世界のすべては、。



おねがいきらいにならないで




ニーナ(2015/5/4)


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