坂田と妙


「あー、あづいー溶けるー死ぬー。なあああ〜あっちーよ志村ァ」
「知りません。うるさいわね。校内でここ以上にクーラー効いてるのは職員室くらいよ」
「ほら志村のために走って来たからさァ」
「それはどうも。だけど坂田くん、今日掃除当番じゃなかった?」
「ん?気のせいじゃない?」

夏の図書室は快適だ。志村は細い腕で分厚い本を何冊も棚に並べている。図書委員の仕事だそうだ。俺はその後ろ姿を見ながら地べたに座っていた。そんなところに座らないでよ、と彼女が睨んだ。だけどさ志村、まじで暑いんだよ。それに一人じゃ寂しいでしょ?だから急いで来たんだぜ。

「サボりと涼を取る理由に私を利用しないで下さい。それに寂しくなんかないわよ」
「でも今、人少ないしさー。話し相手いないとつまんねえじゃん」
「あのね、ここ、おしゃべりする所じゃないの。あなたがおかしなこと言うと仕事がはかどらないんだけど」
「まあまあ、いいじゃん。つか本当暑いわ。アイス食いてえ」

シャツの襟元をつまんでパタパタと空気を送り込んだ。視線の先で高く結った髪が揺れる。白いうなじをなでる。きっと彼女は汗のひとつもかいていない。いつもそうだ。もう八月だってのに、志村は常に涼しげだ。涼しげで軽やかで明るくて麗しくて、そして寂しそうだ。

「あら、いいわね。私ハーゲンダッシュのクリスピーサンドの気分だわ。あ、味はバニラ&ビーンズで」
「あれ?なにこれ新手のカツアゲ?」
「だって今買ってきてくれるって」
「言ってないからね、一言も」
「学食にはクリスピーサンドはないわ。一回外に出ないと。」
「あれ?まじで買わせる気?いやいやいや俺引っ越したばっかでここらへんわかんないから。学校出た途端に迷える子羊だから」
「じゃあどうやって家から学校まで来てるのかしら、不思議ねえ」

だいたい引っ越して何ヶ月たつと思ってるの。ぶつぶつと文句を言った志村の手には黒い表紙の本があった。棚を指差しながら位置を確認している。細長い人差し指が彼女のずっと頭上だった。

「…もう」

右腕をいっぱいに伸ばしても届かない。脚立を持ってくるほどではないのだろう。さらにつま先立ちになったが、なかなか入らない上に危なっかしい。こんなに不安定な志村ははじめてだな、とおかしなことを思う。彼女はいつだって揺るぎないのだ。よっこらせ、と床に手をついて立ち上がった。後ろからひょいと手を伸ばして本を棚に入れてやる。

「…あっ」
「ったく、早く頼めよ。坂田くーん、お願い手伝ってぇー。って」
「…そんな猫なで声出ないわ」
「本当素直じゃないねー」
「うるさいわね」

可愛げなく言いながら、くるりと正面を向いた。やっとその顔がちゃんと見られる。前髪が少し目にかかっていた。ちょっと伸びたんじゃない?切ってやろうか、なんてこと言ったらまた嫌な顔をするんだろう。ぱっちりとした瞳が俺を見上げた。

「ありがとう」

彼女が得意とする笑みをわざとらしく浮かべて言う。薄いくちびるはそれを述べたあとすぐさま閉じた。多少の照れ隠しなんだろう。彼女に素直じゃない反応をさせているのは、俺だ。

「…坂田くん?」

とっくに暑さはなくなった。乾ききれなかった汗が冷たくなって首すじに流れた。ぐっと距離を縮める。梅雨の真っ只中、雨の日にあの男がこの白い腕を掴んで引いて行ったのを思い出した。あいつは誰かに似ている。

「なあ志村」
「なに?」

土方は誰かに似ている。そうだ。俺に似ている。どこがとかじゃない。ただふとした瞬間、まるで自分を見ているような気分になる。だから余計に腹が立つ。だから嫌いなんだ。

「ちゅーしよっか」
「…は?」

窓の外で太陽は燦々と地面を照りつけている。夏休みは終わり、もうじき九月だというのにちっとも涼しくならない。うんざりする暑さも、冷房でつくられた涼しさも、わざとらしい笑顔も、俺の頭の一部を壊してしまうのに充分だった。

「だから、ちゅー」
「何言ってんの?熱でもあるんじゃない?」
「いいじゃん。誰も来ないって」
「そういう問題じゃないわ」
「だめ?」
「だめに決まってるじゃない」
「なんで?俺のこと嫌い?」
「…そういう問題でもないでしょ。嫌いじゃないからってそんなこと出来ないわよ。他の人に当たってちょうだい」
「俺ァ志村がいいんだよ」
「本っ当に熱でもあるんじゃない?もう、どいて」

怒気と戸惑いを含んだ声で言った。そう怒るなよ、と笑ってやる。すると更にとげとげしい表情で睨んできた。ばかだな、その顔が余計に加速させているんだよ。

「なあ、しようよ」
「…いい加減にしないと殴るわよ。わたし好きな人としかそんなことしないの」
「ああ、あのスカしたイケメン?」
「褒めてるの?けなしてるの?」
「さあね」
「坂田くんって土方くんのこと嫌いでしょう」
「うん、嫌い。でもお互い様だよ」
「そうね、あの人もあなたが嫌いみたい。二人とも変な対抗心持つのやめてほしいわ」

間に挟まれるこっちの身にもなってよ、とため息をついた。誰のせいだと思ってるんだか。あいつにも独占欲ってものがあったのか。だけど引く気はないよ。なあ土方くん。たとえ勝ち目がないとしても。いつまでも側にいると思っていずれ後悔すればいい。俺は彼女の幸せを最優先できるほど人間が出来ていないのだ。

「とにかくそんな冗談言ってないで、私まだやること残って…」
「でもさ、土方くんはしてたよ」

ぽんぽんと饒舌に返事をしていた彼女のくちびるが停止した。キスの誘いにも動じずに受け流していた瞳が揺れる。

「この間、見たんだよね。なんかさあ、綺麗な女の子。見たことない女だったなァ。他校?それとも年上かな。やるねえ、お前の彼氏」
「…」
「別れちゃえば?あんな浮気男。それともそんな惚れてんの?ひどいよなァ。いくらモテるからってこんないい女を裏切るなんざ」

あきらかに戸惑った女がそこにいた。どこかで声が聞こえる。もうやめろよ。もうやめてくれ。これ以上この女を傷つける言葉を吐き出さないでくれ。だけどそんな僅かな理性すら呆気なく無視をして俺の声はベラベラと喋り続ける。女は目を伏せたまま、口を開いた。

「…ちがう」
「ん?」
「違う、の…いいの。私たち、だって本当は…」
「志村」
「あのね、本当はね、」
「うそだよ」

その言葉にハッと視線を上げる。長いまつ毛はくるんと曲げられていた。さっきよりずっと動揺した瞳がそこにあった。俺のからかいには動じないくせに酷いよな。本当バカだよ。お前も俺も。

「嘘。でたらめ。そんなスキャンダル目撃してねえよ。鎌かけちゃった。」
「…っ」
「お前ら、ほんとは付き合ってないんでしょ」

どうして誰も気づかないんだろう。わかるよ、俺は。あの日からずっときみを見てきたんだ。あの日きみの前の席に来たときから、ずっと。

「お前、あいつに惚れてんでしょ」

知ってるよ。ずっと見ないフリをしながら想っていることも。笑顔の下にずいぶんと複雑な想いを秘めていることも。

「可哀想だよな。打ち明けることも出来ないし、だからって離れることも吹っ切れることも出来ない。」

彼女は黙りこくってくちびるを噛んだ。そこから血でも出れば綺麗なのに。そうすれば舌で舐めとってやるのに。そう思った。

「好きな奴と付き合うフリって辛くねえの。何でそんなことしてんのか知らねえけど、お前の立ち位置が一番土方に見てもらえないんじゃないの」
「…わかってるよ」
「可哀想だね、お前」
「わかってるってば」

おろした彼女の手がゆっくりと拳をつくった。爪が食い込むのではないかというほど握りしめている。まるで涙腺の神経でも握っているようだ。それを放すときっと彼女の瞳からはとうめいの涙が流れるのだろう。揺れる瞳は、それでも真っ直ぐに俺を見つめ返した。

「しょうがないじゃない。それでも、すきなんだもん」

ああ、そう。俺はきみを見てるとどうにかして泣かせたくなるよ。傷をつけたくなる。だけどこれで秘密が出来た。これだけはきみと俺のものだ。あの男も知らない、痛くて甘い隠しごと。そして哀れで悲しい彼女は涙を流すことすら出来ないでいる。


かわいそうだね
(いちばん可哀想なの誰だ)

ニーナ(2012/1/10)



もどる
[TOP]








×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -