妙と坂田


お昼休みの誰もいない音楽室。窓から差し込む光。彼女は華奢な肩をふるわせて泣いた。目の前で起きたそれを、私は遠く感じていた。

とても遠く、まぶしく感じていた。

「ごめんなさい。」

この子にはきっと、かなわない。そう思った。

「好きで、ごめんなさい」

妙は声がふるえないように、とそれだけを祈りながら口を開いた。



カラカラと鳴る音楽室の引き戸が誰かの笑い声に聞こえる。暖かみのある木の床とは対象的なリノリウムの床の廊下に足を踏み出した。ふと顔を上げると見慣れた銀色の髪。無意識に俯いてしまう。あまり会いたくない人間だった。

「なに?今の」
「…坂田くん」
「女の子同士で怪しいの〜」
「何でもないよ」
「あ、もしかして禁断の恋?」
「バカじゃないの」
「でも泣いてた」

反射的に妙の顔が上がる。だからいやだ。この男は。

「泣いてたね、二人とも」

すべてを見透かされてるようで、いやだ。こわい。

「泣いて、ないよ」

細い髪の隙間でぬれた頬

「あの子だけだよ。わたしは」

お辞儀をして、去った小さな背中

「泣いてない」

消え入りそうな涙声はそれでもきちんと耳に届いた。まるで突き刺さるみたいに。

「泣いてないよ」
「…そっか」
「うん」
「泣いてるみたいに見えた」
「そう」
「見間違いか」
「ええ、きっと」

同じ学校で同じ学年で同じクラスの女子。彼女と私の共通点はそれだけだった。ほんの少し話したことがあるくらいで他に何も知らない。どんな性格で、何が好きで、何が嫌いで。誰に恋をしているか、なんて。何も。

『大丈夫?何か顔色わるいね』

忘れ物をした音楽室。ピアノの傍。窓際に佇む彼女がいた。わたしの存在に気づいて振り返った顔があおくて、素直に心配になり、尋ねてみたのだ。

『ごめんなさい』

さらに青ざめた彼女はひたすらに謝った。何度も何度も謝って、青い顔は真っ赤に変わった。終いには泣きだすので、訳がわからない私は困惑したままだった。

『すきなの』
『え…?』
『ごめんなさい。すきなんです』

繰り返すことば。震える声と頬をつたう涙。そうだ、わたしはただ困惑していた。

『ねえ、なにが好きなの?』

その時、揺れたカーテンがやけに脳裏に焼き付いている。ふわりと膨らんだベージュの隙間でキラキラと輝くグラウンドがあった。

『…くん』
『…え』

小さな声が響いて消える。わかってたのに。ちゃんと、聞こえてたのに。わたしは聞き返した。

『土方くん』

私と彼女のあいだで舞う埃は、差し込んだ光に照らされる。境界線みたいだと、無意識に感じていた。好きだと言ったくちびるが震えている。わたしたちはとても違う。彼女は純粋で、真っ直ぐできっと正しい。わたしはその一番反対側にいる。あざとく、狡猾で、きっと間違っている。
今までも土方を好きだと宣言する女子は何人かいた。まるで宣戦布告のような口調の女の子たち。それに対応する自分。一連の流れ。今日、はじめて気づいた。わたしは彼女たちを見下していたのだ。

『告白しようと、思うんです』
『…そうなの』
『無理ってわかってるし、志村さんには敵わないし、二人を邪魔しようなんて全然、全然…私、思ってないんだけど』
『うん』
『見てるの、辛くて。好きだってことだけ伝えたくて』
『うん』
『だから、』
『うん。だいじょうぶだよ』
『…っ…ごめん、なさい』

靡かないよ。彼を想う女子たちに、私は心で言った。あの人はあなたにも、私にも、誰にもなびかない。自嘲するように、軽蔑するように言った。
そんな自分の醜さに気づかされる。こんなに真っ直ぐに、必死に、だれかを想うひとを前に、私は何て醜いのだろう。

「ねえ坂田くん」
「ん?」
「坂田くんは似てるよね」
「何に?」
「土方くん」

目頭があつい。視界が滲みそうな気がして必死に力を込める。ああ、わたし、泣きそうだ。

「じゃあ、わかる…かなあ」

妙は一人になった教室で、彼女がいた場所に立ってみたことを思い出した。

「土方くんが一番大事なもの」

カーテンの間から見えたグラウンドに、彼がいた。近藤や沖田と一緒に。

「大事だと思うものの中に入りたいと思ったら、どうすればいいかなあ」

彼女はどんな気持ちであの景色を見ていたのだろう。

「…わかんねえよ」
「ふふ、だよね」
「なあ、志…」
「坂田くん」

わたしには、とてもまぶしい。届かない、叶わない、とても遠い景色だった。わたしの世界は嘘の上塗りばかりで汚れている。

「わたし、もう、やめる。」
「…」

言い放った決意を、だれかに受け止めて欲しかった。そして、それが出来るのは坂田だけだった。

「付き合うふりやめるよ」
「…」
「好きなのも、がんばってやめる」
「…」
「ほんとだよ?」
「…」
「ねえ」
「…」
「なにか言ってよ」

笑い混じりに言った。顔が引き攣っていないか心配だ。
なにか、なんでも良いから。


「ねえ」

「なんか言ってってば…!」


ああ、わたし、ずっと泣きそうだ。
彼に恋してから、ずっと。



虚構の終焉

ニーナ(2013/1/14)



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