土方と妙


終わりが来た。ついに彼女が言ったのだ。もう止めよう、と。
変わらない笑顔に痛みが伴っているように思えて、だけど気づかないフリをした。おれはいつも何かのフリばかりをしている。面倒事を回避しようと、嘘や偽りばかり重ねていた。それが他人を傷つけることも知りながら。
恋人のフリを止めて知ったことがある。おれと志村は接点がない。ひとつも、ない。

「土方さん」
「何だよ」
「まーた女子がアンタと志村さんの噂してやしたよ」
「何て」
「土方さんが浮気しただとか、志村さんと坂田が付き合ってるだとか、志村さんはアンタに未練たらたらだ、とか?」
「そうか」
「どうなんですかィ。本当のところ」
「別に。普通に別れただけだ。もう止めようだとさ」
「ふうん」

総悟が頬杖をついておれを見上げる。何だよ、と睨んでみせた。言いたいことがあるらしいが、聞く気はない。

「アンタも面倒な人ですねィ。そんな顔するなら、簡単に離さなきゃいーのに。」

広まる噂に一番うんざりしたのは彼女が悪く言われることだった。しかし自分が余計な口を出すとまた面倒なことになることは予想出来たので、沈黙を決め込んだ。苛立ちばかりが膨らむ。すべては間違いだったのだろう。あの日声をかけた事も、その相手が彼女だったのも、全部。
たばこでも吸いに行こうか。思って立ち上がった時、見慣れたポニーテールが視界の隅で揺れた。机の中に手を突っ込んであるものを取り出す。そのままその後ろ姿を追った。

「志村」

いつものように、何も変わらない。彼女は振り向いた。

「土方くん」
「これ、借りてた辞書」
「ああ、うん」
「遅くなって悪い」
「いいよ、別に」
「じゃあな」
「あ…、ねえ」
「何だ?」
「最近、告白されなかった?私のクラスの女の子に」
「あぁ…あったかもな。」

土方は数日前に受けた告白を思い出した。知らない女子だった。おとなしそうで背が小さく、声だって消え入りそうだった。たしか志村の話をしていたからその女子の事だろう。すごくお似合いで羨ましい、と無理に作った笑顔で言っていた。まわりには彼女と自分は”お似合い”に見えていたのだ。そしてその次の日、志村は契約解消を告げた。

「それが何?」
「…ちゃんと、聞いた?彼女の気持ち」
「は?なにが?」
「だから、ちゃんと真剣に向き合って断ったのって聞いてるの」

まるで何かに怯えるような、懇願するような態度だった。だけど何でお前がそんなに必死になるんだ。いつも無関心だったじゃないか。そういうことには。

「なにイラついてんだよ。真剣にって何だ?どうせおれの事なんかちゃんと知らないで言ったんだろ。いちいちそんなんに付き合ってらんねーって。だいたい何でお前がそんなこと…」

パシン。乾いた音がした。少し遅れて頬に痛みが生まれる。

「…何すんだよ」
「知らないくせに」
「あ?」
「どんな思いであの子が土方くんのこと見てたか」
「…」
「何も、知らないくせに…っ!」

志村はおれの頬を叩いた右手を握る。叩かれた自分よりずっと痛そうな顔をしているのはどうしてだろう。

「知らねえよ」
「…っ」
「知らない奴が知らないとこで何思おうと、俺に関係ねえだろ」

彼女の、非難するような強い瞳がみるみると力を失っていった。形の良いくちびるが薄くひらく。

「…そんなだから、もう止めたいって思ったの」
「は?」
「土方くんはずるいよ」
「何がだよ」
「受け入れる気がないくせに優しくする。ずるいよ、いつか私も…」

彼女の表情がゆがむ。息をするのも痛そうに。

「いつか、あの子みたいに追い払われる。お前なんか知らないって、関係ないって、もう要らない…って、そうやって…!」
「おい」
「突き放すでしょ?その時わたしは泣いちゃダメなの…傷ついちゃダメなの!」
「志村、」

手を伸ばした。彼女はこんなにも小さかっただろうか。こんなに弱く、頼りなかっただろうか。


「わたしだって、泣きたいよ」


そう言って、土方の横を通り抜ける。スカートがきれいに翻っていた。

ずるい。

彼女は言った。その通りだ。
自分は矛盾している。喪失感を感じていたのだ。ルールを作ったのは自分だというのに。志村妙を失くしたことを空しく思っている。それがどれだけ自分勝手なことか。

"いいよ"

ずっと、壊してはいけないもののように思っていた。

"いいよ、しよう。恋人のふり"

彼女が笑うと、世界が緩和されていくから。

"よろしくね。土方くん"

ずっと甘えていたんだ。その曖昧な関係に。

「…だっせ」

自分が彼女を求めていることから目をそらして、彼女の想いに気づかないふりをして。馬鹿だ。他の女を寄せ付けないために始まった嘘だったのに。声が、自然とこぼれる。

「…しむら」

離したくない。離さなければよかった。我が儘でも何でも、引き止めればよかった。とても自己中心的な後悔をしていた。それでも、おれは。
土方は勢いよく振り向き、妙の背中に呼びかけた。

「志村!」

面倒だとか、厄介だとか、もういいよ。
歩みを止めない彼女に、さらに声を大きくする。

「志村っ!」

どうでもいい。いつか壊れるなら今のままでいようとか、自分と一緒にいても幸せになれないとか、もう、どうでもいい。

「…っ妙!」

はじめて彼女の下の名前を呼んだ。それを呼ぶ日など来ないと思っていた。ピタリ。彼女の足が止まる。誰かに執着するのは哀れだ。そんな自分は愚かだ。だけどそれよりあの笑顔とやさしさを失うほうが怖い。あれが手に入るなら、俺は哀れでも愚かでもかまわない。

「妙…」

ゆっくり振り向いた彼女は驚きと不安を混ぜたような顔をしてた。

「好きだ」

まばたきひとつしない妙の目から、涙が落ちる。
おれはただそれを綺麗だと思った。

ただひたすらに愛おしいと、そう思った。



臆病者に愛を

ニーナ(2013/2/26)



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