坂田と妙と土方


足を踏み入れた校庭には大きな桜の木があった。満開のそれが風に舞って落ちていく。感動もないまま銀時はひとつ欠伸をした。電車通学になるため朝が早かったのだ。面倒なだけで何の楽しみもない新生活。社交性はあるほうなので人間関係にあまり不安はない。しかしただ楽しみがなかった。ただ面倒で、煩わしかった。再び髪の色や生い立ちについて詮索されるのも適当にはぐらかすのも面倒くさいし、億劫だった。
桜の木からゆっくりと視線を下ろすとひとりの女が立っていた。少し首を傾げて、彼女は口を開く。

「新入生?一年の校舎はあっちですよ」

見ない顔なので一年だと思ったのだろう。彼女はむこうの校舎を指さして言った。

それが、志村妙との出会いだった。





「あー…だるい」

青すぎるほどの空がまぶしくて手を翳す。屋上はあまり邪魔が来ないので昼寝に最適だ。くあ、とあくびをした。体が痛い。夢を見た。あれは一年前のことだ。
あの時はまさか同じクラスで、前後の席になるとは思わなかった。あなた、転入生だったの。彼女は澄んだ声で言った。背筋はピンと伸びて、綺麗に結んだ髪はひとつも綻びがない。外見は悪くないが、気の強そうな女だと思った。自分は正しいと信じている滑稽な人間だと。そうだ、あの時おれは彼女が苦手だった。

『それ、痛くないの?』

学校が新しくなろうが変わらずだらしない生活を送っていた俺に、ある日妙は言った。痛くないの?さっき女の子に叩かれてるの、見ちゃった。新生活にも慣れてきた頃、たった一度遊んだだけの女に殴られた事があった。面倒な女を引っ掛けたことを後悔する。

『なに?志村サン慰めてくれんの』
『まさか』
『面倒だよね、すーぐ勘違いする女の子って』
『…』
『遊びってくらいわかるでしょ、フツー』
『ねえ、痛くない?』
『大丈夫だよ。志村さんやさしーね』
『違うよ。そんなことばっかりしてて痛くない?』
『え?』
『そんなことしてると、自分が擦り切れてくみたいじゃない?』
『はぁ?何言って…』

何の話だよ。説教?だいたいアンタそんな偉いのかよ。言い返したかったのに言えなかったのは、彼女の顔が怯えているような気がしたからだ。何をそんなに怖がってんだよ。お前に怖いものなど何もないはずだろう。なんでいつもの強い瞳を伏せてんだ。

『ごめん、余計なこと言ったね』

わすれて。彼女は笑って、次の授業である英語の教科書とノートをとり出した。
今思うと彼女は案外臆病だった。その頃から誰も気づかない寂しさの兆候を、何故かおれは見つけるようになっていったのだ。完璧に見える笑顔も、圧力をかけてくる拳も、理不尽な毒舌も、どこか彼女を隠しているように思えた。


『あっ土方くんだ』
『あ?誰?』
『一組のイケメン。頭いいし、スポーツ出来るし結構モテてるよ』
『あれがー?瞳孔開いてんじゃん』
『あはは、嫉妬?』

理科準備室は薬品の匂いが漂ってあまり好きじゃなかった。髪の毛をくるくるに巻いた女が銀時の首に腕をまわす。応えるように腰に手を置いた。部屋からは噂のイケメンが二階の廊下を歩いているのがよく見えた。授業中なのでほとんどの生徒は教室にいる。黒い髪が長い廊下を行くのを何気なく目で追う。自分のものとは正反対だと思った。自分以外はだいたい黒髪だというのに、その男に対しては明確に感じた。おれとあいつは正反対だ。

『でも安心して。土方くん彼女持ちだから。』
『ふうん』
『あ、同じクラスじゃなかった?』
『へえ』
『志村妙って子』
『…は?』

女の声が、彼女の名を言った女の声が、頭の中でぐるぐる反響する。志村妙があの男と?付き合ってる?おかしいだろ。だって全然似合わない。だって全然幸せそうじゃない。髪のくろいあの男なんて。聞いたおれは、首に巻きついた女の腕を解いて部屋を出た。不満そうな声がかけられたが、構わず放った。おかしいだろ。何でおれはこんなに苛ついてるんだ。結局、最初に会ったあの日、彼女が自分に声をかけたあの日、既に始まっていたのだ。あの時からずっとおれは志村妙に惹かれていた。

「どっちが痛いんだよ」

お前のほうがずっと痛々しいよ。死ぬほど泣きたくて、絶対に泣けなくて。本当のことを言うと壊れる関係を彼女はそれでも続けていた。とても健気に、とても必死に。おれはそれがいつも気に入らなくて意地悪く志村を困らす事ばかりをした。からかったり、泣かそうとしたり、まるで子供みたいに。どうにか彼女が大切にしている傷だらけの恋を殺したかったのだ。おれならそんな風に我慢させたりしない。素直に笑って泣いて怒って、たまには喧嘩して、だけどすぐ仲直りして、そういう普通の恋人みたいにいられる。普通の、ほんとうの、恋人に。だけどそれはただの幼稚な独りよがりだった。彼女があの男との関係を壊すことに恐れていたように、おれもまた彼女との関係を壊すことに恐れていたのだ。
あの日を思い出す。黒いピアノのある音楽室の前に立ったあの日だ。涙をこぼして出てきた知らない女生徒。埃っぽい廊下。立ちつくしたままの彼女。志村妙。泣いてるみたいだった。カラカラと鳴った引き戸も、泣き声みたいだった。おれは例に洩れずそれを茶化して、彼女は痛そうな疲れたような顔をした。

『ねえ』
『ん?』
『坂田くんは似てるよね』
『何に?』
『土方くん』

似てるならおれでいいじゃん。あの時、そう言えば良かった。弱っているところにうまく漬け込めば良かった。出来なかったのは、いつもみたいに冗談っぽく言えそうになかったからだ。本気で言えば今までの二人が終わると知っていたからだ。それが恐くて仕方なかった。何か言ってよ、と頼んだ妙に何も言ってやれなかった。


――


空に翳した手を下ろして、額にくっつける。このままもう一度眠ったら、またあの頃の夢をみるだろうか。ギイ。そのとき後ろで重いドアが開く音がした。

「…お前かよ」

風が校内へ入ろうとする。バタン。ドアが閉まる。そのあと聞こえた声と匂いが大嫌いなもので、銀時は無意識に舌打ちをした。

「悪いけどさ〜土方くん、おれ今感傷に浸ってるとこなんだよね」
「お前のそのくるくるの脳みそで何を悲しむってんだよ」
「んだとコラ。つか何勝手にタバコ吸ってんだよ、瞳孔開きすぎだろニコチン野郎」
「ああ?テメーこそ死んだ魚みたいな目してるくせに一丁前に敵対心むき出しで睨んでくんなよ」
「しょーがないでしょ。おれマジでお前のこと恨んでるもん」
「恨んでるもん、とか可愛くねーよ」

奴が吸い出したタバコの煙が青い空に上がる。ゆらゆらと上昇して消える。吸い込まれていくみたいだ。タバコなんか吸う奴にロクな人間はいない。ああ、本当に気の食わない男だ。銀時は土方がくわえたそれを横から奪い取った。

「…何すんだよ」

くしゃり、地面に押しつけて火を消す。灰が黒く残っている。なあ、と声をかけると土方は無愛想に返事をした。

「おれ、お前のこと嫌いだよ」

口だけ笑って言ってやった。

「殺したいくらい」

立ち上がり、ドアノブに手をかける。諦めるのは案外得意だったはずなのに、胸の奥で生まれた熱は冷めそうにもない。自分にこんな感情と執着心があっただなんて、と自嘲する。

「知ってるよ」

低い、大嫌いな声が後頭部に当たった。

「それに、お互いさまだ。」

ニヤリ口角を上げてドアを引いた。おれとあいつは正反対で、腹が立つほど似ている。まぶしい屋上とは対照的にひんやりと薄暗い踊り場。あ、と声が聞こえた。視線を上げてその存在を確認して苦笑した。ああ、志村。

「お前の彼氏、昼寝の邪魔してくんだけど」
「昼寝って四時間目サボったの?」
「え?あ、ははは…」
「まったく。留年しても知らないわよ」

トントンと階段を上がる。距離がちかづく。そのたびに実感する。ああ、やっぱり。

「大丈夫。おれ要領いいから」
「あっそう」
「志村も助けてくれるし」
「勝手に決めないでよ」
「はは、ごめん」

ごめん。ごめんね志村。おれはきみの弱さや孤独を知っていたのに、結局なにもできなかった。

「…ねえ、坂田くん」
「ん?」
「ありがと、ね」

妙が言いにくそうにチラと見やり、照れ笑いをして後ろで手を組んだ。

「いつも、そばにいてくれて」
「…」
「意地悪ばっかり言うけどさ、結構救われてたよ」
「…」
「ありがとう」

じゃあね、と銀時の隣を横切る。ああ、やっぱり全然変わらない。おれは、きみが。一瞬、太陽光が背中に当たって、また屋上のドアが閉まる音がした。その後で振り返る。

「好きだよ」

何故かおれの愛情はゆがんでひしゃげて彼女にはきっと伝わらないままだ。それでもいい。もう少しこのままでいさせてほしい。せめてあの校庭の桜が自分たちのために散るまでは。



きみはしらないままでいい

ニーナ(2013/2/9)



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