はじめて演じたのは主人公の娘の役だった。心を閉ざし、笑顔を封印した女の子という難しい役。表情は硬いし動きはぎこちなく、今見ても散々な出来だ。だけど上映会で作品を見た時の確かな達成感は、妙に安らぎを与えた。必死に演技の研究をし、徐々に色んな人から認めてもらえるようになって、18歳で映画の主演をつとめた。事務所の売り方が上手い事も手伝っての事だったけれど、映画が決まったと聞いた時は本当に信じられなかった。スカウトされたのは14歳の頃だ。自転車で学校から帰る途中だった。季節は秋で、残暑厳しく蝉が鳴いていた。すれ違った車が急停止し、50代半ばの男性が妙の目を見て微笑む。それが初めて出た映画の、監督本人だった。もしもこれが詐欺でないのなら、断る理由などないと思った。早く働きたくて、でもアルバイトもできなくて、せめて最低限お金がかからないように過ごすしかできなかった。部活にも入らなかったし、もちろん塾なんか行けない。出来ることがそれくらいしかなかったのだ。芸能界はよく知らないけれど、子供の自分でも稼ぐことが出来る世界である。目の前の中年の男性が自分のどこに可能性を感じたのかは甚だ疑問だが、それよりも働けるということが嬉しかった。弟を養うことが出来るかもしれない。自分の、力で。

その思いだけが十代の妙を支えていた。




お砂糖多めのたまごやき




「あの、志村妙さんですよね」

事務所を出たところだった。20代くらいの男性が妙を呼び止める。

「あ、はい」
「ファンなんです!握手してもらってもいいですか?」
「ええ、もちろん」
「どうもありがとう。これからも応援よろしくお願いしますね」

彼と握手をすると、先を促すようにマネージャーが横から声をかけた。手はほどかれたが、男性は目を恍惚とさせている。妙も短く礼を言ってその場を去った。

「明日は12時に迎えに行くから」
「はい」
「お弁当、本当に持って帰らなくていいの?」
「ええ」
「晩御飯作ってるの?今は弟くんもいないでしょ」
「んー、まあ近くで買ったり食べに行ったりしてるから大丈夫ですよ」
「あら…一人で?」
「はい」
「気をつけてよね」

彼女が小声で言う。わかってる、と苦笑した。

「人の多いところは行かないですよ」

今日の仕事は夕方で終わりだ。マネージャーは妙が一人で行動するのに少し心配しているようだが、実際のところ声をかけられることは少ない。万が一大事になっては困るので目立つ行動は控えるようにしているが。どうせ周りは気づいていないだろうと思ってはいても誰かに見られているような感覚はいつも付きまとう。はやく帰ってご飯食べに行こう。まだ開いていないだろうから先に家で風呂に入ろうか。マネージャーに別れを告げ、タクシーのドアに手をかけた。その時、

カシャ

電子音が聞こえた。目線を上げると女子高生のグループがいて、その中の一人が携帯を構えている。女の子たちはうれしそうに楽しそうに騒いでいた。目を伏せて、構わずに後部座席に乗り込んだ。

(有名税っていうのよ)

少し売れ出した頃、教えてもらった言葉。

(有名になって、お金を稼いだり、色んな人に好かれるかわりに、勝手に写真撮られたり悪口言われたり噂たてられたり。そういう代償のこと有名税っていうの)

顔のない人々は媒体に姿を晒す人間のことを、同じ人間だと思っていないかもしれない。何をしても傷つかないバーチャルなのだと思っているかもしれない。”思う”という能動的な行為すらなく、当たり前に脳に染み付いているのかもしれない。

(有名なんだから、仕方がないのよ)

そうね。妙はしみじみ思う。
有難いことなのだ。握手をした男性の恍惚とした瞳も、携帯を隠した女子高生も、知ってもらえているという証なのだから。あの子はわたしの写った写真で何をするのだろう。友達に自慢して、SNSにでも乗せるだろうか。そうしていつか飽きて、どこのフォルダに入れたかも忘れるだろうか。わたしも、そんなふうに、いつかは忘れられるのだろうか。
いつまでも誰かに見られているような気になりながら、妙はタクシーの中で目を閉じた。


ーー


「いただきまーす」
「はいよ、今日は帰りが早かったのかい?」
「え?あ、ハイ。そうなんです」

曖昧に笑って返す。登勢にはまだ仕事の話はしていなかった。詮索されることもないが、最初に出会った時に否定しなかったので登勢は妙のことを学生だと思っているだろう。後ろめたい気持ちも少しはあったが、それでもわざわざ言うつもりはなかった。

(わたしの職業なんて興味ないだろうし、ね)

店に通うようになり、いつの間にか決まった席に座るようになっている。カウンターの右から三番目だ。お登勢さん、いつもの頼むね。テーブル席に座ったおじさんが上機嫌に言う。短い返事をした登勢はすでに用意に取り掛かっていた。ガラガラ、同時に戸が開いて風が入る。

「あ、」
「ああ、どーも」
「こんばんは」

銀時だった。天然パーマの髪がぴょこんとハネている。登勢が瓶ビールとグラスを黙って置いた。

「枝豆ちょーだい。あと冷奴も」
「おっ、銀さん久しぶりだなァ!こっち帰ってきたんだってねぇ」
「おお。ブラックにあっちこっち連れてかれてんだ」
「ハハハ辞めちまいな、そんな会社」
「笑い事じゃねっつのマジで死にそうだからね」
「結婚もできねーだろ。ま、その前にモテないからしょうがねえか」
「うるせえなあ、ほっとけ」

妙からひとつ席を開けて銀時が座る。彼もだいたいこの席と決まっているようだ。この間はテーブル席に座っていたけれど、どうやら他のお客さんと飲んでいたらしい。ここに通うようになって彼ともぽつぽつと会話も交わすようになったが、どうも適当な気がする。口が減らず、でまかせばかり喋っている印象だ。いい加減な人だと思いながら、話していて気楽なのは違いなかった。

「今日はおつまみだけなんですか?」
「ああ、うん。同僚とちょっと食ってきたから」
「へえ。サラリーマンっぽい」
「サラリーマンですからね。お姉さんは友達少なそうだね」
「失礼ですね。べつに友達くらいいます」

呆れたふうに言ったものの、図星だった。芸能界でもプライベートでもある程度の友達はいるけれど腹を割って話せるというほどではない。ふう、と息を吐いて煮付けに箸を入れた。

「いつも魚だよな。大きくなんないよ」
「べつにお肉も食べますよ。それに私もう成長期は終わりました」
「いやいやいや、まだ胸がっ…」
「何ですか?よく聞こえません」
「ふいまへん。はんへもないれす」
「ほんとデリカシーないですね」
「ってー…。冗談じゃん」
「ただのセクハラです。そんなんだから結婚できないんじゃないですか?」
「いやいや、俺モテるからね。マメだし料理も出来るし買い物とか超付き合うし」
「うっそだあ。彼女にすっごい甘えてそう。靴下とか履かせてもらってたりして」
「どんなイメージだよ」

盛付けをしながら二人の会話を聞いていた登勢が何気なく言う。

「ああ、そうだ。なんか作ってやりなよ、銀時」

その言葉に、銀時は顔を上げた。はぁ?と言った表情だ。

「なんで俺が」
「昔はよく作ってたじゃないか」
「時間が有り余ってたからな」
「今も似たようなもんだろ」
「全然違うっつーの。なんだよ、やらねーぞ」
「まあ、それもそうだね。腕も落ちただろうし」

「は?」

登勢の一言が彼に火を付けたらしい。単純な男だ。銀時は立ち上がり、カウンター内に入って冷蔵庫から卵を数個出す。慣れた手つきで調理をする様子を妙はぼうっと眺めていた。

「たまごやき?」

目の前にはきれいな黄色のたまごやき。湯気からは甘いにおいが鼻腔をくすぐる。

「どーぞ」
「え、わたしが食べていいんですか?」
「そりゃあそうだろ。あんたのために作ったんだから」
「そっか…じゃあ、いただきます」

きつね色の焼き目に箸を入れると、さらに鮮やかな黄色があらわれる。出来たてのたまごやきなんて、いつぶりだろうと思いながら口へ運んだ。

「おいしい、です」

彼のたまごやきは甘かった。

「だろ?」
「私もたまごやきは得意ですけど」
「え、料理すんの?」
「しますよ」
「いつもいるから料理できないんだと思ってた」
「弟に止められてるんです」
「弟?」
「はい。基本的に料理は弟の担当だったんですけど、一年前から大学に行くのに引越しちゃって。何かよくわからないんですけど自炊はあまりしないように釘刺されてるんです」
「それ多分お姉さんの料理マズイんだよ」
「ほっぺた抓られたいんですか」
「うそうそ。冗談だって。つか、何?弟と二人暮らしだったの?」
「ええ、今は一人ですけど」
「ふうん」
「弟は、わたしの、一番大切な人です」

両親は幼い頃に亡くした。
それから弟と二人、施設で育った。先生達には本当にありがたく思っている。感謝してもしきれない。だけど、成長するにつれて感謝と共に後ろめたさも大きくなっていった。出来る限り迷惑をかけたくないと思っても、所詮子供に出来ることは少ない。そんな時にスカウトされて、芸能界に入って、施設を出て寮で暮らして、しばらくしてから事務所社長にお願いして弟と暮らすようになり、色んな役を演じて、怒られて、泣いて、たまに褒められて、あっという間にここまで来た。ほんとうに一瞬で過ぎたように思う。施設にお金を送ったりもしたけれど、そんなことよりたまには姿を見せてと先生は言った。やさしい声だった。泣きそうになって、堪えた夜を今も覚えている。

「ブラコンなんだ」
「家族思いなだけです」

新ちゃん、大学生活うまくやってるのかしら。電話ではいつも元気そうだけど、変なところで見栄っ張りだから無理してないかしら。妙は弟のことを思った。たった一人となってしまった家族のことを。大学には進学しないと言っていた。姉に気遣ってのことだろうが、妙は頑なに反対した。どうかお願いだから好きな事をして欲しい。結局新八が折れたが、彼もアルバイトをして学費を返してくる。そんなのはいいのに、と思うが出来ることをしたいと思う気持ちはよく分かるので有難く受け取っている。彼のことを思い出し、妙は目を細めた。

「ほんとう、おいしいですよ。このたまごやき」

またひとつ口にはこぶ。どこか懐かしい味だと思ったけれど、新八のたまごやきはここまで甘くない。
視線を上げると、銀時と目が合った。ふっと笑って口を開く。

「当たり前だろ」

そんな顔、できるんだ。なんて少し失礼なことを思った。破棄のない口元だけの笑い方じゃなくて、ふざけて馬鹿にする笑い方でもない。やさしい笑顔だった。意外に思い、何故か照れくさくなって妙は目を伏せる。

「今度はわたしが作ってあげます」
「いいよ、あんた不器用そうだもん」
「本当失礼な人ですね。そんなだからモテないのよ」

たまごは半熟。黄身がとろりとはみ出している。目の前の男と軽口を叩き合いながら、甘い湯気のにおいが心を満たしていくのがわかった。

ニーナ(2015/2/11)



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