高杉と妙


あなたが何処の誰で何をしたいのか知りませんけどね、私を巻き込むのは止めてほしいわ。だいたいはじめて会ったっていうのに何なのこの仕打ち。不躾で済まされませんよ。私ね、夜の仕事してるんです。手首にこんなのされて痕でも残ったら本当慰謝料請求しますよ。

「口の減らねえ女だな」

薄暗い部屋。冷たい床と音のない空間。後ろ手に組んだ細い腕には鎖が巻き付いている。打ち放しのコンクリートの壁が女の背後に広がっていた。
恐怖を押し殺しての気丈な態度なのか、ただの怖いもの知らずなのか。どうでもいいが女は目を覚ました時からこの調子だ。高杉の目的は、目の前の女を痛めつけることでも脅かすことでもない。奴の近しい人間なら誰でも良かったのだ。どんな関係でも自分と関わる人間ならあの男は来るだろう。

「…お前、この状況わかってんのか」

すわり込んでいる女の前にしゃがんだ。壁に手をつくと冷たい感覚が伝わった。そんなことで自分の神経がいまだに通っていることを、高杉は知る。ゆっくりと上げた妙の瞳がつよかった。今まで軽口を叩いていた女とは同じに思えない。射抜くような力を持って真っ直ぐに見つめてくる。

「そうね。…殴られるか犯されるか殺されるか。そんなところかしら」
「よくわかってんじゃねえか」

口角を吊り上げてやった。どうやら強がってるわけでも怖いもの知らずなわけでもないらしい。

「でも、あなたはそんなことしないわ」
「あ?」
「何かをしようって気がないもの。どうせ私の知人の誰かの話が聞きたいか、おびき寄せでもしたいのか。その辺でしょう?いったい誰です?だいたい周りにおかしな人間が多すぎるのよね。迷惑だわ、まったく。」
「…変な女」

冷たい壁から手を離し、立ち上がった。さすがにただの町娘ってわけじゃないようだ。妙のつるりとした白い頬を眺める。長い睫毛がゆっくりと上下する。安らかな生き物だと感じた。そんなものの全てが自分には縁遠い。

「お前みたいな奴はなァ、あんな男と関わらない方がいいぜ」
「…は?」
「何かを護ってるフリしてもよ、アイツも数えきれねえほどのモン奪ってんだ」
「だれのことを言ってるんです」
「まあそう慌てんなよ。そのうちわかる。心配すんな、ちょっと用があるだけだ。何もしねえ」
「…」
「勘違いだよ。アイツも、お前が言う厄介な連中も俺と変わんねえ。温い場所でちっせえ世界を護ってると勘違いしちまうみてえだなァ。今までのことも、自分に未来がないことも、忘れちまうらしい」
「…」
「俺はよォ、そういう奴みてると苛々するんだよ」

薄く笑う。女は目を細めた。嫌悪を抱く瞳だった。

「過ちを犯しては幸せになれませんか」
「あ?」
「道を脱線しては答えに辿りつけませんか。ぬるい人間ではいけませんか。大切なひとを守り、守られることはそんなに愚かな事ですか」
「わかんねえよ、てめえには」
「人って、人間ってそんなに単純じゃありませんよ。誰も本当のことなんてわかんないわよ。みんな頑張って踏ん張って、理想の自分になりたくて、でも簡単にはなれなくて、どんどん離れていって、いつの間にか嘘をついたり狡いことしたり誰かを傷つけたりしないといけなくなって、そんな自分が嫌で嫌でしょうがなくて。でも、それでもどうにか生きていくの。そんなふうにしか前に進めないの。誰も忘れてなんかないわよ。後悔だって死ぬほどする。保身を図ることだってある。わからなくなりますよ。自分の生きたい場所も今いる場所も。貴方だってそうでしょう?」
「小娘が説教かよ」
「わたしの周りにいる人は貴方とは違うわ。みんな自分の過去も過ちも認めているもの。現在も未来も見据えているわ。臆病な、貴方とはちがう」
「…だまれ」
「貴方はいったい誰に何を許してほしいんですか」
「黙れ」

強く言って睨むとやっと口をつぐんだ。女の声が耳の奥で溶けて、高杉の脳裏に人影が浮かぶ。その姿に小さな手が必死に伸ばしていた。あれは自分のものだ。そしていつまでも届くことがない。もう一度女の側によってその綺麗な顔を見やった。

「…お前、可愛くない女だな」

冷静な女は嫌いだ。聡明な女は可愛くない。気が変わってしまった。高杉の右目が冷たく妙を見下ろした。

「…んっ」

強引にあごを持ち上げて唇を重ねてやる。後頭部を強く抑えると女の声が苦しそうに漏れた。もう二度と許してもらえない。そんな事はとうの昔にわかっている。今更それを乞うつもりも毛頭ない。だけど女は聞いた。誰に許してほしいのかと。
ギリッと小さな痛みが走る。女が噛んだ口の端から鉄の味がした。離すと同じように赤い血がついてるんだろう。痛えな、おい。そうしてまた自分が未だに生きていることを高杉は知る。
(しんすけ、きみはこころのやさしいこだ。せんせいはしっているよ)
あれは現実だったか、夢だったか。自分の愚かな創造かも知れない。確かに女の言ったとおりだ。もう随分と前から自分のいる場所がわからない。 背後で重い扉を開く音がした。

遅ぇよ、馬鹿野郎。


Lost Child



ニーナ(2014/7/14)



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