夏の少女と浮上と降下
  江戸銀時と現代妙


目を覚ますとそこに男の人がいた。
白い髪と変なTシャツ。覇気のなさそうな目がこっちを見て、一声かける。

「おお、起きたか?」
「…は、い」

木漏れ日が頬を照らす。真上にある木の葉っぱの向こうには真っ青な空があった。高い空だ。あ、とそこで気づく。わたし、やっと降りてきた。頭が打ち付けられたようにぼうっとしている。きょう一日の記憶がとても曖昧だ。

「いきなり倒れるからビックリしたっつーの」

全然ビックリなんてしていないような声だ。どこか気怠げな彼の言うことには、正面を歩いていた私が突然意識を失って倒れたらしく、それを近くの公園のベンチまで運んでくれたようだった。

「すみません、ご迷惑を」
「いや、いーけど。病院いくか?送ってくけど」

彼の申し出に首を横に振る。気分はすこぶる良かった。

「もう大丈夫です。寝たらすっきりしました」

あれ?そういえば、と妙は首を傾げる。何か夢を見ていた気がするけれどよく思い出せない。とても不思議な、でもどこかリアリティのある夢だったような気がする。

「本当にここまで運んで下さったんですか?」
「んあ?当たり前だろ」
「お姫様だっこで?」
「いや、米俵を運ぶように」
「セクハラ」
「何でだよ!!」
「なんとなく」
「ったく最近の若い奴ァよお…」

(そっちでも)

「何かってーとすぐセクハラってよお」

(そっちでも早く会えるといいな)

「あれ?」
「は?」
「いや、今なんか一瞬夢の内容を思い出したような…」
「夢見てたの?マジで寝てたんだ。俺結構焦ってたんだけど」
「ああ、ごめんなさい。何かお詫びします。ご住所教えてもらえます?」
「いーよ別に」
「遠慮なさらないでください。パチンコか何かで生計立ててる方なんでしょう?」
「おいィィ!さっきから何!?さりげなくすげえ失礼だよ」
「えっごめんなさい。わたし見た目で判断しちゃって」
「あのなァ、こう見えても先生だからね。」
「ウソ」
「嘘じゃねーよ」

俄かに信じがたいが、目に覇気のない彼はある高校の国語教師だと言った。

「そうなんですか。立派な人なんですね」
「本当に思ってる?」
「少なくともいい人だと思っていますよ。通りすがりの他人をここまで運んで看てくれてたんだもの。信用できるわ」
「いやお前歩いてる時すっげぇ顔色わるかったからね」
「…いまは?」
「え?」
「今は、どうですか?かおいろ」

私が腰掛けるベンチの側にしゃがんだ彼がまじまじと顔をのぞく。しばらくしてから、うん、と笑った。

「すげえ良い」
「よかった」

その言葉を聞いてベンチから足を降ろす。もう大丈夫だ。地に足がついた。続いていた浮遊感はない。

「ご迷惑をおかけしました」
「おお。気ぃつけれよ」
「ありがとうございます」

彼に別れをつげて、公園を出た。空に雲がひとつ浮かんでいる。やることは沢山ある。何にも解決していないけれど、ひとつずつ向き合おう。大丈夫だ、なんとかなる。あの人だって言っていたじゃないか。

(だけど、あの人って誰だっけ)


「あんま無理すんなや、少女」

後ろから声をかけられたので振り返ったのに、彼はすでに反対方向へ歩き出していた。そういえば、名前聞いてないし言ってなかった。失礼なことをしたな。次会うことがあればきちんと名乗ろう。だけど次会うことなんてもう二度とないかもしれない。ふと彼が高校教師だと言った事を思い出す。もしも自分の受験する高校にいたら面白いなと思った。

「ふふ、まさかね。」


漠然とした不安が足元に積もり積もって、宙に浮いたままおりられなくなった。それは中学三年生の夏の出来事。わたしが人生の中で信頼する大人に再会するのは、それから数ヶ月後。次の年の春だった。


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