沖田と妙


開いた手のひらがあまりにも小さくて、私は自分の非力さを憎んだ。自分を非力にする、大きな世界を恨んだ。はやく、もっと、と願い続けて目を閉じる。どうか私に力をください。わたしを大きくしてください。大人の人に馬鹿にされないように、子ども扱いされないように、ちゃんとあの子を守れるように。

『あねうえ』

新ちゃん。

『こわいよ』

新ちゃん。

『こわくない。大丈夫よ、何も怖いことなんてないから』

『ほら、だって私がいるでしょう』

『泣かないで、泣いちゃだめよ』


「ーー…っ」

(雨、やまない。雷が鳴ってる。あのこが…)

雷が怖いと泣いた弟。稲光と遅れてくる轟音。叩きつける雨、あめ。


”あねうえ”
「…姐さん?」

ハッと我に返り、ぬれた土の匂いが鼻をかすめた。霞がかった世界が開かれる。玄関の先で掃除をしていたはずが、急な雨に酔ったようだ。かけられた声は、記憶のなかの幼ない声と重複した。ゆっくりと視線をあげる。見慣れた黒服がいた。

「ーー沖田、さん」

遅れて言葉を返すと彼はすこし苦笑した。めずらしい表情だ。

「ちょっと雨宿り、してもいいですかねィ」
「ええ、どうぞ」

にこり、微笑む。それを確かめるより先に水たまりを踏んで沖田は志村邸に入った。図々しい男。だけどそれを嫌味に感じさせない。不思議なひと。

「うっひゃあ。ぼとぼとでさァ」
「ちょっとまっててくださいな」

バスタオルをとりに家の中へと戻った。(新ちゃん。大丈夫、)(怖いことなんて何もないわ。)廊下の途中で立ち止まる。ぐずった空の泣き声がいつまでも続いていた。


「お待たせしましたっ」
「おわっ」

おとなしく玄関で立っている沖田に頭からタオルをかぶせた。上から拭いてやる。

「驚いた。酷い雨ですね」
「雷おとされるかと思いやした」
「ふふ。まあ、怖い」
「手紙はきましたかィ」

沖田の言葉に一瞬手が止まる。タオルから覗いた彼は上目で私を見た。それに応えるように目を細める。いいえ、きていないわ。

「どこで何してるんですかねィ」
「そうね。まあ何とかやってるでしょう。銀さんも一緒だし」

一年ほど前、新八は家を出た。詳しいことは話さず、修行の旅だと言って。報せは月に一度くれば良い方だ。消印はいつもちがう。側にいないと、随分昔の事ばかり思い出してしまうのは何故だろう。

「こうしていると、子供みたいですね」

背の高さが逆転している。童顔な彼の顔を覗いて言った。一度納得いかなそうな表情をしたが、すぐに真顔になって言う。

「…そういやガキの頃はこうして、姉に拭いてもらってやした」
「そう。やさしいお姉さんだったのね」

口の端が自然にあがる。やさしい思い出をもつ人は幸せだ。たとえそれが、二度と取り戻せないものだとしても、幸せだ。そう信じたい。

「…ずっと、守ってもらってたんでィ」
「え?」
「痛いものに触れないように、汚いものを見てしまわないように、恐いものが聞こえてしまわないように、笑って、守ってもらってたんでさァ」
「…」
「それを理解して、昔を思い出すといつも思う。おれァ姉さんの邪魔だったんじゃねえかって…」
「沖田さん」
「おれ、」
「ちがうわ」
「姐さん」
「やさしいお姉さんよ。素敵な姉弟だわ」

わかっているでしょう?そんなはずがないということ。もしも新八が少しでもそんなことを考えていたとしたらと思うと私はとても悲しい。諌めるように言うと、複雑な、だけど子供のような安堵の表情を見せた。彼は私に姉を求めているのだろうか。そうならば、私はそれを受け入れたいと思う。弟が家を出てから沖田は何かと志村邸を訪れる。理由は毎回違うが、恐らく様子を伺いにきているのだろう。もちろん訪問してくれるのは彼だけではないが、私は彼に他の人とはちがった形で心を許している。

「貴方のことを想って、お姉さんは毎日を過ごしていたのよ。側にいなくても、貴方がどこかにいると思えば強く生きていけたの。姉って、そういうものです」

沖田の姉は随分年上だったようだ。きっとたくさんのものを彼に与えてきたのだろう。わたしは目を瞑った。
しゃくりあげて泣く新八を短い腕の中に入れてだきしめる。するとそれだけで腕がいっぱいになった。歳の近い私たちだ。抱き上げて揺らしてあげることも、おぶって歩き回ることも出来ない。それがもどかしく、私はいっそうだきしめる力を強めたのだ。

「雨が強く降ってたり、雷がなったりするとね、あの子が泣いているような気がするの。」
「…」
「大きく成長した新ちゃんじゃなくて、小さかった頃のあの子よ」

白い頬に幾重も涙を重ねて、くちびるを赤くぬらし、嗚咽を抑えながら私の着物を必死につかんだ。あの小さな手。

「どこにもいるはずないのにね」

雨音と雷の轟音に紛れて聞こえる気がするのだ。しかしもうあの子はどこにもいない。新八は立派に大きくなった。私を、私だけを頼りにしていたあの頃はもうとうに過ぎ去った。それを告げた時の、意志の強い目を思い出す。ああ、この子はこんな目をするのか。何よりも先に立った思いはそれだった。妙の知らない目だった。切なさがないといえばそれは嘘になる。


『姉上、ぼくは修行に出ます』

『必ず強い男になって帰ってきます。だから』

『だから、少し、この家を任せてもいいですか?』


でも――、と少し頬をゆるめて思う。この世のどこかにいる。自分の知らない一面がたとえ増えても、つながっていると思える。それだけでほんの少しの寂寥など、超えていける。姉とはそういうものだ。

「大きくなったのね」
「…姐さん」
「はい」

沖田はタオル越しに髪に触れていた妙の手をとった。はて、と彼に視線をやる。

「勘違いしてもらっちゃ困る」
「勘違い?」
「おれが何度もここに来るわけ。言っときますが弟の代わりなんざまっぴらでさァ」

彼は手を頬にあてた。まっすぐな目が私を見ている。冷たい手だ。その手に自分の手を重ね、眉を下げて笑った。

「じゃあ、」

わたしも、きっとそうだ。彼に求めているのは弟じゃない。

「姐さんじゃあなくて、一度くらい名前で呼んでくださいな。…総悟、さん?」

私が彼に求めているのは愛だ。
にやりと笑った薄いくちびるがゆっくりとひらく。私はそれを耳をすまして待っていた。


あねとおとうと

ニーナ(2013/12/12)



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