銀時と妙


女の人の金切り声が耳の奥、脳みそに近い部分で再生された。それは紛れもなく自分に向けられたもので、憎悪が罵声としてダイレクトに伝えられた。貴方にはわからない。彼女は始めにそう言った。一週間前のことだ。職場の同僚は深夜の街中で私を罵って泣いて騒いで帰って行った。別段仲が良いというわけではないが悪いというわけでもない。私にとって彼女は同僚、それ以上でもそれ以下でもなかった。次の日から彼女は店に来なくなった。その言い分は理不尽で、おそらく誰に話してもわたしに非はないと言ってくれるだろう。それでも私が誰にも、店長にも親友にも弟にもそのことを一切話さなかったのはどこかで彼女の言葉を図星に思っていたからだろうか。言わないのは愚かな彼女の面子を守るためでなく、自分の欠落部分を暴かれたくなかったからだろうか。きっともうあの子はわたしの前には現れない。

「…あら」
「よう」
「いらしてたんですか」
「ああ」
「どこかへ行くんですか?」
「…あー…、あれだ。タバコ吸いに出ただけ」
「銀さんタバコ吸いましたっけ」

そう言うと彼――坂田銀時は露骨に顔をしかめたので妙はそれ以上の詮索をやめた。もしかしたら自分を迎えに行こうとした途中だったかもしれない。そこまで考えて思考を断ち切る。あらぬ期待を抱いてはいけない。

「…おまえ」
「え?」
「さっき何考えてた?」
「さっき?」
「俺に気づくまえ。そこ、歩いてたとき」

笑いもせずに言う。ずしんと重たいものが胸にのしかかる気がした。この人にはすべて見抜かれているかもしれない。罵られたこともその内容も自分の後ろめたさも。知っていても不思議じゃない。彼にはそういう洞察力があった。こんな私のことなんかすべて見透かしてしまっているような、そんな。

「べつに、なにも」

それでも尚、わたしはしらを切る。心情に反した表情を作るのは安易だった。いつの間にか自分は、心と身体が離れかけているのではないかと思ってしまうほどに。

「なんにもないわ。」

にっこり笑うと銀時がさっきよりずっと顔をしかめた。いいの、銀さん。あなたはわたしの事なんか気にしないでいい。笑っていられることだけの範囲で付き合っていきましょう。あなたもわたしも見ないふりが得意だもの。わたしは悲しい人間だろうか。彼女はきっと大きく私を誤解している。過大評価も甚だしい。

(お妙ちゃんみたいな、全部持ってる人にはわからないわよ)

なにが導火線に火をつけてしまったのだろう。どうしてああなるまで彼女の憤りに気付かなかったのだろう。

(みんな、貴女みたいに真っ当に正しい事ばかり出来るわけじゃないの)

きっと少しずつ、それは溜まっていったはずなのに自分はなにも知らなかった。別にそれは仕方ないことだと思う。いちいち他人の変化に気づくなんて細やかな心配りなんか出来ない。ただ彼女の言ったことがあまりに的外れで、苛立ちを覚えたのだ。違う。ちがうの。わたし真っ当なんかじゃない。

(いいよね、あんたは。いつも背筋伸ばして誰にも恥じないような生き方で。大抵のことは上手くいって、みんなに好かれてて。でもね、私は、ほとんど人間は違うの。地道に頑張って他人ウケいいように自分作ってかなきゃダメなの。何でもとんとん拍子のあんたとは違う)

アンタ。それまで穏やかにお妙ちゃんと呼んでいた口で、声で、つくられた棘だらけの二人称。彼女の怒りは少しも思う通りにならない世の中と、人生と、他人と、漠然とした大きな何か。それと自分に対してのものなのだろう。そして何もかも思う通りにいっているように見える志村妙に怒りの対象が絞られた。それは彼女にとってのはけ口だった。

「あっそう。ならいいけど」

銀時はあっさりと引いた。そういう人だ。彼女への言い分ならいくらでもあった。わたしだって辛い思いしてる。大変なこと沢山ある。とんとん拍子なんてふざけないで。必死で守って今ここにいるの、知らないくせに。ふと目線の先に男の人の手があった。おおきな、彼の手だった。そこで自分が俯いていることに気づく。

「かぞくって、」

低い声が言った。あまりに彼の言いそうにない単語で、思わず顔をあげる。

「家族って、逃げ道じゃないの」
「…え」
「帰る場所で、逃げ道で、絶対的なもんじゃないの」

ぼそりと呟くように、だけど伝え漏れがないようにゆっくりと言う。彼がなにを言いたいのかがよくわからなかった。家族、逃げ道。確かにそうかもしれない。だけど。

「言いたくねえなら言わなくていーよ。言いたくねえこと無理に言わしてえわけじゃない。ただ逃げ道があるの忘れんなってこと」
「…、」

私には家族がいる。たった一人の掛けがえのない弟。いちばん大切な人。そして新八にはもうひとつ家族がある。万事屋だ。目の前にいるこの人がそうだ。この人と出会ってから新八は変わった。身体も心も強くなったと思う。それはとても嬉しく、やはり少し寂しい。そのわずかな寂寥が、情けない。わたしはあの輪の中には入っていけない。

「…そう、ね。新ちゃんにもたまには頼らないといけませんね」

曖昧に笑って言う。首を傾げると顔に髪が少しかかった。そこに思いがけない言葉が返ってきた。

「…おれ、お前のこと家族だと思ってるよ」
「え…」
「俺ァ新八を家族だと思ってる。坂田さんファミリーだからな。んでお前は新八の姉ちゃんだろ。かぞく、だろ?じゃあそうじゃん。家族の家族は家族だっつの」

なにを、言っているのだ。このひとは。妙はまじまじと銀時の顔を見るも暗がりで俯き加減の彼の表情はあまり見えなかった。お構いなしに声が続ける。

「外でいくら良い顔して頑張って自分作っててもさ、俺らといる時くらいいいんじゃない?八つ当たりしたり愚痴ったり本音言って心配させたり。いいんじゃない。たまには逃げても。外で失敗して切羽詰まった時に逃げ道がひとつあるって思ったら気楽になるだろ。帰る場所があるってのは結構いいよ。少なくとも、おれはそうだ」

顔を上げて真っ直ぐに視線を送る。口を尖らせてふて腐れたように言った。

「お前が教えたんだからな」

文句でもいうような口調で、まあいいやと髪の毛をガシガシと掻いた。

「お前はさ、すげーよ。ちっさい頃に親亡くして、弟育てて、道場守って、働いて…泣き言のひとつも言わないで笑って。頭いいし、まあ器量もそこそこ良いし歳のわりにしっかりしてる。すげーよ。頑張ってるよ。でもさ、そうじゃなくてもいいんだよ。」

彼が言った瞬間、何故だか泣きそうになって瞳に力を入れる。自分は他人と一線を引いていた。仲の良い友達はもちろんいるけれど全てを話せるわけじゃない。心配させたくないなんて、そんな綺麗な理由じゃない。幻滅されるのがこわかっただけだ。ああ所詮、志村妙はこんなもの。何かを動かすほどの力はない。バレてしまうのがこわかった。
違うよ、と自分に糾弾した彼女に心でこたえる。ちがうの、わたし。正しいことばかりじゃないしみんなに好かれてもいない。何にも持ってないの。穴だらけで欠陥だらけ。それを知られるのが怖くて、強いふりばかりしている。だからずっと薄い薄い膜を張ってその中でにこにこ笑って面倒見のいい女を演じてるの。だってそんな弱いわたし、だれも好きになってくれるわけないと思ったから。

「いいんだよ。ずるくてダメな奴でも、どんな奴でも、誰も見捨てたりしねえよ。見限ったりしない。嫌いになるわけない。お前がお前であるってそれだけでいいんだよ。」

「…お前が志村妙である限り俺は、俺たちは、お前の味方だよ」

家族だと思ってる――。彼の声を胸の中で反芻する。そんなふうに思っているとは想像もしなかった。思っていたとしても口にするなんて、とそれこそ面食らった。だってそういう人なのだ。心の奥底にある肝心なことはいつも笑ってはぐらかして。わたしと似ている。そんな彼が言った。私を家族だと思っていると。私が私である限り味方であると。

「…そう、ですか」

薄く開いた口から出た声はかすれていた。

「うん」
「…そうですか」
「うん」
「ありがとう…ございます」
「…うん」

すこしの沈黙のあと、彼が口を開く。なるべく明るい声を出して、まあアレだ。とまた頭をぼりぼりと掻いた。

「父ちゃん代わりでも兄ちゃん代わりでも親戚のおっさん代わりでもいいから、俺のこともうちょい頼れば?」

先、家ン中入ってんぞ。そう言って背を向ける。妙はその後ろ姿を見てくすりと笑った。そんなちゃらんぽらんな父上なんて御免よ、と口に出さずにごちる。

「私も、あなたを家族だと思っています。」

今度は声にして言う。すでに門をくぐった彼には聞こえなかったかもしれない。さっきまで重かった足が急に軽くなった気がして妙は歩き出す。自分の家を見上げればやさしく黄色い灯りが漏れていた。

この場所があれば私はいつだって大丈夫だ。そう思った。

ニーナ(2013/2/6)



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