銀時と妙(3Z)


これはただの歳の差ではない。スカートのプリーツを撫でながら志村妙はこっそりとため息を吐いた。たとえばこの人が隣に越してきたサラリーマンだったら。バイト先の先輩だったら。ああ、もしくは常連客でもいい。きっと私はこんなにも躊躇い、思い悩み、苦しむことなんてなかった。教師と生徒では本来の年齢差以上に大きな壁があるのだ。私はいつもそれに愕然としながらも、彼に対する想いを止められずにいる。
妙は部屋を一瞥した。少しも隠そうとしない愛読書。角砂糖がしき詰められているシュガーポット。甘い香りとタバコの匂いがごちゃまぜに充満する国語準備室。目の前には進路調査票。わたしはつぶやいた。ねえ先生。

「先生はどうして先生なの」

はん、と笑い声がタバコを離した唇から漏れる。

「おいおい、どこの戯曲だよ。なに?悲劇?」
「あなたが教師だなんて世も末ですねって言いたいんです」
「あれ、志村さん?ケンカ売ってます?」
「ありえないわ、本当に」

ありえない、ありえない。わたしが彼を愛すなんてことあってはいけなかった。こんなはずではなかった。

「早く書けよ、ソレ。志村ならいいとこいけるだろ」
「はあ」
「ったく、おまえだけだっつうの。まだ提出してねえの」
「どうもスミマセン」
「感情こもってねえなオイ。なに?何か悩んでんの?将来。何なら先生のお嫁さんになる?」

いやらしい笑みを浮かべてコーヒーカップ片手にわたしを見下ろす。そのカップの中身はきっと甘ったるいに違いない。
ねえ先生、知ってる?わたし進路なんてとうに決めているんですよ。家から一番近くて就職率が高いというあの短大。どうして優等生のわたしがぎりぎりまで提出しないのか、ねえ先生、知ってる?

「先生はすぐにわたしを置いていくんですね」

わたしは頭が悪いくせにあざとくて、かまってもらおうと必死な子どもだ。そしてあなたはそれに見向きもしない。受け入れたりしないし、拒否もしない。つまりは興味がないということだ。その他大勢とおなじ"いつか"までの関係性。あと一年もすればわたしは彼の過去に追いやられる。これまで見送ってきた卒業生たちと同じ、昔の、生徒。

「大人はずるいわ」

所詮、教師と生徒だ。こうして冗談を言い合って進路の相談をしたって彼はわたしを中には入れてくれない。卒業すればそれでおわり。だけど先生がちょっとした頼み事をわたしにする度、些細な心境の変化に気付いて頭を撫でてくれる度、この胸がしめつけられる程に痛むのを彼は知らない。こんなの、ただのひとりよがりだ。ばかみたい。はやく止めたい。止めたい、のに。妙はシャープペンをとった。カチカチと芯を押し出し、プリントに押し付けるようとする。

「…先生…?」

しかし、その寸前でプリントは迫るシャープペンからすり抜けていった。

「せん、…」
「だからお前は子どもなんだよ」

メガネが電球の光を映している。ひらひらとプリントを揺らしてコーヒーカップを雑多な机に置いた。

「おいていくのはお前らだろ」
「…、なにを」
「今はこの狭い世界が全てで、側にいる大人の言う事が正しいと思ってるだろ。でもこれからお前は社会に触れて、色んなこと経験して辛い事も楽しい事も知って、そうやって世界を広げていく。そうなりゃ俺なんかすぐに忘れてくんだよ。まあ、それが教師の役目なんだけど」

校庭で野球部の掛け声が聞こえる。バットがボールを打ち返す、あの気持ちいい音。東校舎ではトランペットやホルンやパーカッション、吹奏楽部が各々の楽器のチューニングをしている。分厚いカーテンの隙間からオレンジの陽が細く差し込んだ。わたしは今が放課後であることを思い出す。

「でも俺はね、志村。やさしくないんだよ。お前の気持ち、知ってて見ないフリする気なんかまったくないんだ」
「…え」
「甘やかして夢中にさせて俺から離れられなくしようとしてる」

なあ、志村。と言った彼の瞳がわたしを捕えてはなさない。

「お前はジュリエットじゃねえし、俺はロミオでもない。そんな悲劇ごっこはごめんだ」

指に挟んだタバコを吸い込み、まだ長いそれを灰皿に押し付ける。歪んだ唇の端からゆらりと煙が漏れた。

「俺がお前にやたらと構うの、偶然だと思う?ただの教師の仕事の一環だとでも?そこに何の感情もないって?」

銀縁のメガネをはずす。瞳の奥が鈍色に光っていた。わたしはそのとき知った。本当の意味での大人の狡猾さを。

「どこにも行かせてやんねえよ」

わたしの座ったソファに縫いつけられた両腕。先生の影が顔に落ちる。いつの間にこんなに近づいたのだろう、なんてのんきな事を考えていたのは彼に捕まる五秒前。覚えているのはそのくちびるが想像以上に甘ったるかったことだけ。





ニーナ(2013/1/14)



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