夏の少女と浮上と降下

 江戸銀時と現代妙


目を覚ますとそこに男の人がいた。
白い髪と不思議な着物。覇気のなさそうな目がこっちを見て、一声かける。

「よぉ。起きたか」
「…ハイ」
「よっく寝てたなお前」
「はあ」
「つーかさ何なの?お前その格好…」
「あの、」
「んあ?」

「すみません、どちら様ですか?」


一瞬だけ驚いたように目を見張ったその人は、坂田銀時と名乗った。変わった名前だな、と思いながら自分の名も名乗る。それを眠たそうに笑いながら坂田は聞いていた。

「ふーん、まあ、そっか。そういやなんかちょっと違うかも。」
「へ?」
「いや。コッチの話」
「あの、ところでここってどこですか?私どうやってここまできたんだかよく分からないんですけど」
「さあ?俺も昼寝してたらここいただけだし」
「そうなんですか。困りましたね」
「あ、でもお前をここまで運んだのは俺だよ?」
「は?」
「お前ね、あそこで寝てたの」

彼が右手の人差し指を出して、あそこ、と指す場所を示した。指がさす方向に素直に顔を向ける。

「…崖?」
「うん。あそこのギリギリで寝てた。すっげー神経してんな、お前。さすがゴリラ」
「何ですかゴリラって?殺されたいんですか?寝てたんじゃなくて気を失ってたの。あんなとこから落ちたら死ぬじゃない」
「だから運んでやったんだよ。感謝しろよな」
「お姫様だっこですか?」
「いや、米俵を運ぶように」
「パンツが見えるじゃないですか」
「見ねえよ。つーか軽いね、お前。ちゃんと食ってんの?」
「セクハラ」
「おい!最近の若い奴ァ何でもかんでもセクハラってよぉ!まずはありがとうだろ…」
「ねえ坂田さん」
「聞けよオイ」

「本当にここ、どこなんですか?」

周りをよく見渡すと、なんともおかしな空間があった。”崖”と反対方向は白い床が延々と続いているようで、そこには木も草もないし、壁もドアもない。外野なのか室内なのかも分からない。私が寝ていたという場所は足場が急に無くなっていて、その向こうもやはり何も無かった。まさに崖だ。それに、太陽も月も照明もないのに、その空間は白く照らされている。不思議な場所だと思った。

「知らねえ。気づいたらここだったっつったろ」
「どうやって帰るのかしら」
「帰りたいの?」
「は?」

妙はだらしなく胡座をかく男を見た。改めて見るとこの人、やっぱり変な格好をしてる。昔の人みたいな着流しで、だけど履いているのは下駄ではなくブーツだ。中途半端なコスプレかしら。

「坂田さんは帰りたくないんですか?」
「そーさな。うるせえ奴ばっかだし飯ねえし金ねえし仕事もねえし。帰ったっていい事ないんだよなあ」
「ふうん」
「でも、ま。あそこしかねえからな。帰るとこ」

彼は崖のほうを眺めながら、くあ、と欠伸をした。能天気な人だなあ、妙は呆れ気味に息をつく。

「そのうち帰れんだろ」
「適当ですね」
「早く帰んないとダメなわけ?」
「そりゃあ、こんなよく分からないとこにいるよりかは帰ったほうがいいでしょう。それに、やることだって沢山、あるし…」
「やること?」
「わ…たし、受験生だから勉強しないといけないし、あと親がいないから特別にバイトも認められてて、だから頑張らないといけないし。それに弟のことだってあるし、あと部活とか委員会とか、色々…」
「ふうん。何か知らねえけど、忙しいのな」

そうだ、沢山あるんだ。じわり、また不安がせり上がる。時間は無駄にしたくない。早く帰らなくちゃいけない。なのに、ああどうしよう。


「…かえりたく、ない」


無意識に出た自分の言葉に妙は驚いた。はっとして坂田を見ると感情の見えない瞳で自分を見つめていた。

「さいきん、」

この人は、この場所でたまたま会った人で、知ってることは名前しかなくて、その他のことは何も知らない。じゃあ、何を言ってもいいじゃないか。

「最近…ずっと、ふわふわしてるんです」

少しぐらいおかしなこと言ったっていいじゃないか。

「しなくちゃいけない事は沢山あって、考えなきゃいけない事も沢山あるのに、足元がふわふわして、それから頭もぼーっとするんです。浮いてるみたいなの。」

地面が揺れる。足元がおぼつかない。全部が不安でしょうがない。

「うまく踏ん張れない」

俯くと頬っぺたの筋肉が引きつった。一番得意な笑顔ですら今は難しい。踏ん張れない。頑張れない。立ち止まりたい。遠くに行きたい。
正面から、ふっと笑ったように息を吐く気配がした。

「お前、思ったより子供っぽいのな」

ぽん、と俯いた後頭部に何かが置かれる。たぶん、手のひらだ。

「な…っ」
「安心した。そうやって身体が勝手にストップかけてんじゃん」
「す、ストップ?」
「そう、抱えすぎってことだろ。器が伴ってねえんだよ。なのに何でもかんでも背負い込もうとするからそうなるんだ」
「それは、ただ私が容量悪いだけで」
「だから、これ以上は無理だって身体がストップかけてんだよ。これ以上踏ん張るなって言ってんだ。」
「じゃあ…私はどうすればいいんですか。頑張ってないと、踏ん張ってないと、わたし」

俯いたまま、私は彼に問う。ぎゅっと握った手の血管が浮かんでいた。息が苦しい。

「周りを頼る練習をしろ」
「え…」
「どう頑張ったって一人じゃ生きていけねえよ。今からお前はちゃんと人に頼る練習をしておけ。だいたい下手すぎるんだよ。子供のくせに可愛くねーな」
「でも…頼って、いいんでしょうか」
「あ?」
「頼って、寄りかかってもいいんでしょうか。迷惑だって突き放されたら、だって、どうしたら」

誰にも迷惑をかけないなんて無理だ。今までもいやってほど色んな人にかけてきた。でも、だから、せめて自分で解決できることは全部自分でしたい。そう思うのに。

「お前そんなこと考えてんのかよ。あのなぁ、うまく人に頼れない奴はロクな大人になんねーぞ」
「…」
「いいか?今から誰か一人、一番信用出来る大人を見つけておけ」
「え?」
「大人、な。同世代じゃなくて」
「はあ…。」
「なんかさー、お前不器用だよね」
「器用な方だと言われますけど」
「そうなの?まあ比較するとだいぶ不器用だわ」
「比較?誰とですか」

わたしの問いに、坂田は含み笑いをして言った。

「お前に良く似た女を知ってんだ」
「わたしに?」
「うん、小さい頃に親なくして弟を一人で育てて、何でも笑顔で隠そうとする奴。環境的にそうなるしかなかったんだろうが、まだ未成年のくせにものわかりが良過ぎる。普段は理不尽で自己中なくせして、一番肝心な時に誰のことも頼ろうとしないしさ。器用に笑って誤魔化すわけよ。ホンっト面倒くせー。」
「じゃあ、その人にとっての坂田さんが一番信用出来る大人なの?」
「は?いや、俺は信用されてねーよ」

今度は声を出して笑って、何回も騙してるからな、と言った。

「でもどうせお見通しなんだよな。あいつには全部」
「坂田さんはその人を信用してるみたい」
「はは、どうだかなァ」

「その人のことが、好きなのね」

だって、とても大切な人の話をしている顔だ。そう思った。大事だから面倒くさいんだ。面倒くさいけど切り捨てられないんだ。
思いがけず幸せな気分になっていると、穴が空きそうなくらいの視線を感じた。

「なんですか?」
「…自分で言うかね」
「へ?」
「いや、コッチの話」

また”コッチの話”か。坂田は脚に頬杖をつきながら、どこか困ったふうに笑った。

「大丈夫だよ。きっとすぐに浮遊感はなくなる」
「え?」
「間違えてもいいから一個ずつゆっくり考えみな。意外と早く片付くかもよ?急がば回れっつーだろ。知ってっか?ことわざでなァ」
「知ってます。それくらい」
「あっそ」
「…一個ずつゆっくり取り組んで、間に合わなくなったら?」
「そん時はそん時。死にはしねぇ」
「無責任よ」
「無責任は子供の特権だよ。使えるうちに使っとけ」
「屁理屈ね」

どっちがだよ。と言いながら、ぐしゃぐしゃに髪の毛を乱された。

「おら、そろそろ帰んぞ」
「え、帰り方、知ってるんですか?」
「あっち見てみろよ」
「あっち?」

あっ、と声が出た。

崖の向こうから異様に白い光が上がってくる。眩しくて、目を薄めた。この光は一体どこからくるのだろうか。

「なに、これ」

上がってきた光が瞬く間に平面に広がってゆく。正面にいる坂田の顔もそれに飲み込まれて、表情がよく見えない。これでちゃんと帰れるのだろうか。

「坂田、さん」
「じゃあな。妙」
「待って」
「そっちでも、早く会えるといいな」

ゆるく口角を上げて彼が笑ったのを認めたのが最後、視界は完全に白い光に覆われた。

「ちょっ…坂田さん!」




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