沖田と妙


月が凍る夜はただひたすらに時が過ぎるのを耐える他ない。黙って、目をつむって、何も考えず、ただ時を待つ。沖田にはそんな夜が不定期にやってくるのだ。江戸に来てからずっとそうだった。季節や気温は関係ない。ただ見上げた月が凍ったように見える。昨夜はやさしく自分を照らしていた柔らかな光が、今日は青く冷たく突き刺すのだ。そんな日が、ある。

「どうしたんですか?」

高い声が聞こえた。結構な量を飲んだはずであるのにしっかりとした口調だった。さすがは水商売の人間だ。ゆっくりと視線を上げると少し前方で立ち止まった彼女が見ていた。

「何がですかィ?」
「何だか疲れてるみたい」
「まさか」
「さっきもぼーっとしてましたよ」

勘の鋭さに苦笑いをする。近藤が飲みつぶれ、自ずと妙を家へ送る役を任された。店を出ると夕方から降っていた雨は止んで、雲の隙間から凍った月が覗いていた。

「ああもう、だから送らなくていいと言ったのに」
「本当に何にもありやせんよ。それに姐さんを一人で返すと近藤さんに怒られるんで」
「そんなの送ったっていえばバレないわ」
「何かあったら困るじゃないですかィ」

何か、ねえ。と呆れたような目をこちらにやった妙が息をつく。一度考える素振りをしたあと、にっこりと笑った。完璧な営業スマイルだ。

「沖田さん。少し、寄って行きませんか」

疲れてるわけじゃないんですよね。ちょっとだけ付き合ってください。そう言って彼女は高く結った髪を揺らして自宅へと歩み出した。






―――
――

「こんな夜更けに男連れ込んでいいんですかィ」
「手を出す気もないくせに何言ってるんですか」
「んなもんわからないじゃないですか」
「わかりますよ」
「どうして」
「だって貴方は近藤さんが何より大事だから」

羽織を手に持って適当に座っててくださいと笑った。彼女が去って居間に一人残される。それを言われると反論出来ねえや。ごちて言葉の通り適当に座ると、メガネの少年を思い出した。そう言えば二人は姉弟だった。どこの部屋で寝ているのだろうか。少し先の台所で物音が聞こえる。そうか、この家にあの姉弟は二人きりで生きているのか。大所帯の自分の帰る家とは真逆だ。

「はい、どうぞ」

しばらくして妙が台所からやってきた。コトリと小さく音を立てて置いたマグカップから白い湯気があがる。甘い匂いがする。中身はココアらしい。どうも、と手に取るとじんわり熱が伝わった。

「あっま…」
「あら、ココアは嫌いですか」
「んなことないですが、ちょっと甘すぎませんか」

一口含むと濃い甘さが口内いっぱいに広がる。これじゃ余計のどが渇いちまさァ。言いながら沖田はくちびるに残ったココアをなめ取った。あまい。

「いいじゃないですか。美味しいわ」
「ああ、そう言えば万事屋の旦那が甘党でしたねィ」
「あの人はもっと甘くしますよ。神楽ちゃんもココアは甘くするから配分わからなくなっちゃいました」
「へえ」

またひとつ口に含む。口内に広がった甘さと温かさはゆっくりと嚥下され、胸のあたりを通過していった。

「ねえ知ってました?私たち、同い年なんですよ」
「ええ、もちろん知ってやす」
「そんな感じしませんね。貴方は私を姐さんなんて呼ぶし」
「もう癖でさァ。姐さんは姐さんだ」
「同い年の男の人に姐さんなんて呼ばれたって嬉しくないわ」
「うちでアンタのこと姐さんって呼んでる連中はもっと年上ですけどねィ」

ああそう、と彼女はため息を吐いてマグカップに口をつける。空間に甘いにおいが漂う。かき混ぜるスプーンの音だけが耳に届く。静かな家だと思った。まるで世界に切り離されたような空間。だけど何処にもいけない場所。伏せた目に前髪がかかる。鬱陶しい。何かが自分にまとわりついているような気がして振り払う術もわからない。消えない、終わらない。微かな痛みが何処かで発生する。悶えるほどものでなければ、無視できるほどのものでもない。そんな曖昧な痛みが。

「すぐに、終わりますよ」

穏やかな声に顔を上げる。妙は両手をマグカップに添えてその中身をぼんやり眺めていた。言葉の意味は聞けなかった。

「きっと、あっという間に終わるわ。大丈夫よ。それから、またすぐに始まります。その繰り返し。だから」

やっと視線をこちらに向ける。辛いような苦いような、そんな笑顔だった。

「だから、いま感じることを大切にすればいいんですよ。どうせすぐ過ぎ去るんですから。どうせ人間なんてすぐ忘れるんですから。嬉しいことも悲しいことも次々やってきて、どんどん消えていくんですから」
「…でも、いつまでも消えないものもありまさァ」

いつまでも消えなくて、染み付いて、痛みは取れない。そんなものも確かにある。自分の中のそれが時々、月を凍らせることを沖田は知っている。

「沖田さん、私たちはまだ十八よ?うんざりするほど時間があるわ。生きている間きっと沢山のことが起きて、どんどん消えていく。もしもそれでも消えない何かがあれば、それはきっと必要なものなんですよ。痛くても、辛くても、意味があります。嬉しいことや楽しいことの中でも同じくらい消えないものがあるはずですよ」

妙の細い指が撫でるようにカップにそえられている。どうか自分の頭に来ないかと、馬鹿な願望がよぎる。

「そうじゃないと、人生なんて虚しくてやっていけない」

黒い瞳が切なさを宿していた。彼女もまた自分と同じように冷たい月に見下ろされる夜があるのだろうか。訳もなく遣る瀬無くなり、ただ耐えるような日があるのだろうか。たぶん、生きている限り誰しもそうなのだろう。隠して笑って黙って耐えている。ごく一部の気のおけない仲間や家族に吐き出す人間もいるだろうが、自分のまわりでは一人でやり過ごす人間ばかりだ。自分だって同じ。誰かに理解して欲しいなんて思わない。何を、どうやって吐き出すかもわからない。ただ勝手に積って溢れて消えてゆく。思い出や感情。大事なもの。ひとつを選ぶために切り捨ててきたいくつもの何か。だけど、そのすべてを含めて自分だ。そんなことを初めて思った。

「ほら、はやく飲まないと冷めますよ。沖田さん」
「…ああ、そうですねィ。慣れるとうまいかもしれねえ。このココア」
「それは良かった」

ふふ、と妙は満足げに微笑む。ほんのり身体が暖まるのを感じた。
こっそりと沖田は考えてみる。月の凍る夜には髪を高く結った同年の女、それと、そうだな彼女が淹れた甘すぎるココアなんかと過ごすのも悪くないと。


月が凍る夜には

ニーナ(2012/5/7)



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