土方と妙


仕事前、スーパーへ向かう道を歩いていると前方から見知った顔を見つけた。黒髪に黒の隊服は威圧感しかない。警察だといいながらタバコを吸いながら歩いている男もまた、こちらへ視線を向けた。

「あら、土方さん。見廻りですか?」
「あんたか。まあな、不審な奴でもいたら教えてくれ」
「瞳孔ガン開きのチンピラ警察なら今、目の前に」
「せめてゴリラのストーカーにしてくれよ」
「今日は見ていないもの」
「上から呼び出しくらってるからな」
「まあ、なにかしたんですか?」
「色々あんだよ。幕府の犬ってのは動きづらくていけねえ」
「あなた達が好き勝手に動くようになったら世も末だと思うわ」

そう言うと彼は舌打ちをするので、とびきりの笑顔で返してやる。最近はよくこうして他愛ないやり取りをしたり、世間話をしたりする。そう、真選組の鬼副長と、だ。毎週水曜日、午後をすこしまわった時刻。彼はどうやらひとりで巡回するらしい。道順もいつも同じだ。おそらく巡回というよりは息抜きの散歩みたいなものなのだろう。

「買い物か?」
「ええ、卵が特売なの」
「…そうか。」
「売り切れるといけないわ。それじゃ、わたしはこれで」
「ああ」

一か月前のことだ。その日、妙は本屋に寄るためにスーパーの帰り道がいつものものとは違っていた。
雨が降ったのだ。それも土砂降りの。出かけるときは晴れていたのに、と空を睨んだ。もちろん傘はない。着物は乱れるし、買ったばかりの本は濡れるしでほとほと困り果てていた時のこと。土方が現れた。あいさつもなしに妙の腕を引いて、自分の隊服の上着を頭上に掲げた。多少だけれど確かに、雨が遮られる。彼は腕をつかんだまま走った。妙はすっぽりとその中に入れられたのだ。きえた煙草、濡れた髪、強い力、雨音と男の人のにおい。なぜだろう、その全てに驚いた。驚いて、声が出せなくて、ただ走った。志村邸に着くと土方はすぐにくるりと身体を返して来た道を戻った。今度は上着をぶら下げて。雨はまだ降っていた。よく拭けよ、と言ったような気がする。妙は傘を差し出すことも、雨宿りを提案することもできなかった。

(わたしとしたことが)

(お礼さえ言っていない。)

(…わたしとしたことが)

送ってもらった礼と何もできなかった謝罪をしなければ。はじめはそれだけの思いだった。ただあの日、見上げた彼の横顔と体温を思い出すとどうにも足が真選組の屯所へ向かなかったのだ。(いったい私、どうしたというの)結局再び会えたのは雨の日のちょうど一週間後。あの道で、だ。ばったり会うのではないかと妙はあれから毎日その道を選んでいた。
あら土方さん、とはじまった挨拶。そうそう、この間は助かりました。ありがとうございます。傘も貸さずにすみません。風邪は引きませんでした?(ああ良かった。自然に言えた。)一瞬なんのことかわからなかったのか、彼はしばらく考えたあとに言った。ああ、…大丈夫だ。あんたがあんまりもたもた歩いてっからイラついたんだよ。そっちこそ風邪引いてねえか。それに頷き、妙は気づいてしまった。きっと土方は来週もこの道を通る。先週もこの時間だった。ここはいつも行くスーパーには少し遠回りだ。

(だけど、景色がいいし。最近運動不足、だし)

そんなふうに自分を誤魔化しながら今日まで偶然を装い、彼と接触している。そして弱ったことに自分はずいぶんとそれを毎週心待ちにしているようだ。これは何かの間違いだ、と胸に手を当てた。そうでなくては困る。だって、こんなの、おかしいわ。わたしが彼に恋をするなんて。



――


「…あ、」
「え。」
「よう」
「土、方さん…?」
「ああ、いかにも」

やばい、ミスだ。こんなところで本当に偶然会う、なんて。気持の準備ができていない。おりょうとお茶しただけだから化粧も適当だし、髪の毛だって。

「な、あの、何してるんですかこんなところで」
「こんなところって…おれが大通りで歩いてちゃ悪いのか」
「そ、そうじゃなくて、あの。…って、あれ、見廻りじゃ、ないんですか」

この時やっと気づいた。土方の格好がいつもの隊服ではないことに。それもただの着流しではない。少し上等そうな着物だ。

「ああ、見合いだ」

その言葉に妙は固まった。見合いとは、あの?

「…結婚、するんですか?」
「ちげーよ。松平の…上司に脅されて、じゃなくて頼まれて会っただけだ」
「…そう」

どうしよう。
動揺している。相手はどんな人だったのだろう。どんなに想像したって綺麗なお嬢様しか浮かばない。いいや、その人じゃなくたってきっといい人がたくさんいる。彼はキャバ嬢の町娘なんて選ばない。ばかだ。そんなこと考えるまでもない。自分が一番望み薄だ。子供だとかキャバ嬢だとかの以前に彼の最も大切な友人の、わたしは思い人なのだから。眼中にだってない。

「そういえば最近よく会うな。」

頭の中でぐるぐると渦巻いていた思考が彼の声で一気に引き戻される。顔を上げるとにこりともしない愛想の悪い男。彼は私のささやかな計算を知らない。

「ええ、そうですね」

今日は火曜日だ。彼と偶然に会う予定の水曜日は明日。良い機会だ。もうこんなことはやめよう。かなわない恋なんて、するものではない。なんてことはない、すぐに忘れられる。水曜日のあの道さえ通らなければ偶然に会うなんてこと滅多にないんだから。会いさえしなければすぐに忘れるわ。そしてそんなこともあったと思い出して心の中だけで笑って見せる。

「きっと偶然ですね」
「え?」
「じゃあわたし、これで失礼します」

だけど、何かきっかけはないだろうか。ちょっとした習慣を変えるには何かきっかけが欲しい。耳の奥であの日の騒がしい雨音がした。

(そうだわ。雨が降れば、)

はじまりが雨ならば終わりもまた雨だろう。明日が雨なら、わたしはこの男を諦める。むずかしいことではないわ。あの日の前に戻るだけだもの。帰ったら庭で、昔のように下駄でも飛ばしてみようか。天気の予想だ。五回連続で裏返してみせる。

明日が雨ならいい。

そうすれば、わたしは。

「じゃーな。お妙さん、またあした」

口元に小さな笑みを浮かべたこの忌々しい男を忘れられる。どうにも似合わない恋患いともオサラバだ。
ああ、あしたが雨ならば。


あした天気になあれ


ニーナ(2011/12/6)



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