銀時と娘と妙


小さいなんてもんじゃないんだ。頭は柔らかいし肌は薄いし何かこう、全体的にふにゃふにゃしているし。人間はこんなに小さくても生きていられるのか。不思議で仕方ない。この身体のどこに心臓やら肺やら内臓が入っているんだ。生命の神秘だ。ちょっと触っただけで壊れちまうんじゃないかと危惧してしまう。そういえば赤ん坊を預かったことがあるが、どうしてあんなにも雑に扱えたのか。あの時のほうが意識せず自然に抱けていたくらいだ。他人の子だからか?いや、ちがう。人間が生まれる瞬間を知らなかったからだ。人間は誰しも生まれる瞬間がある。当り前だがどこか漠然としていて、まるでちがう世界の話のように思っていた。自分からは一番遠い出来事だと思っていた。こいつが、生まれるまでは。それを知るから命の尊さを、子どもの弱さを感じた。だから、ほんとうに怖いんだ。自分みたいな自堕落に生活を送り、気力もなく自己中心的で何より、いくつもの命を奪ったこの手で、まっさらなその命に触れていいのか。

「銀さん、私ちょっと買い物してきますからこの子のこと見ていてくださいね」
「え、ちょちょちょ、待って!連れてけばいいじゃん」
「いま眠ったばかりなんですよ?可哀相じゃない」
「し、新八は?」
「新ちゃんも神楽ちゃんも出かけていますよ」
「じゃあババアに…」
「銀さん、いい加減にしなさい。あなたお父さんなんですよ?」
「う、…じゃ、じゃあ俺が買い物行くから!」
「いいです。アナタ新鮮なお野菜の見分けもしないじゃない」
「新鮮だろうが新鮮じゃなかろうが黒コゲにするのはどこのどい…」
「じゃあ行ってきますね。20分くらいで戻りますから」
「あああっ!ちょっ!お妙…っ!」

ピシャリと扉を閉める音がした。何だか見放された気分だ。恐る恐る振り返るとすやすや眠る我が子。頼むから大人しく寝ていてくれ。

(まったく情けない。ただの子守りだってのに)

どうにも俺は子どもとの接し方がわからない。生まれた日だってババアが抱いてみろと余計なことを言うまで近づけなかった。それに引き換え妙は逞しい。難産だったのだ。出産にほとんど一日かかった。考えもつかないほどの痛みが一日中襲ったにも関わらず、彼女は泣き言のひとつも言わなかった。女は弱しされど母は強しとは良く言うが本当にそうだ。(あいつの場合、元から強いから母親なんていうレベルアップすれば最強だ)どうやら腹の中で何カ月も共にいる間に母子は絆を形成していくらしい。それもそうだ、体がつながっているのだから。へその緒は間違いなく母と子の絆だ。そしてそれは切ったとしても繋がっている。そんなふうに妙が少しずつ、そして確実に母親になっていくに反して俺はいつまでたっても父親の実感が湧かなかった。この世の空気にはじめて触れた瞬間、真っ赤な身体を震わせて泣き叫ぶあの声を聞くまでは。悲しいのか嬉しいのか怖いのか、人は誰しも赤ん坊であったはずなのに、一人としてその時の感情を覚えていない。つんざくような泣き声はいまでもはっきりと思い出せる。昨日まではなかった命がここに在るのだ。そんなことを人間は当然のように繰り返してきた。ここにいるんだと叫ぶように、主張するように泣いたあの声。あの日、あの瞬間、俺もまた生まれたのだ。

「あー…早く帰って来ねえかな…」

と、その時すうすうと安らかな寝息が止まった。嫌な予感がして側に寄り、顔を覗くとくりんとした目が開いていた。きょろきょろと周りを見渡すと母親がいないことに気づいたのかみるみるうちに顔を歪ませた。ふえ、と声を漏らしてからはもう一瞬だ。火がついたように泣き叫んだ。

「うああああ、どどどどうしよう…!た、妙っ…っていねえんだよな。あーもう、大丈夫だって、母ちゃんすぐ帰ってくるから!ほら…〜っ!泣くなって!!」

おろおろと焦りながらどうにかあやそうと奮闘する。さっき妙が授乳してたから腹がへっている訳じゃないだろう。おしめか?と見てみるも違うらしい。お気に入りのぬいぐるみを出してもいやいやとじたばたするだけ。どっか痛いのか?痒いのか?ああどうしよう。狼狽しているといつかの妙の言葉を思い出した。(縦抱きにするとね、安心するみたいで泣きやむんですよ。)(ほら、密着度が高いから)

「…っ」

覚悟を決めるしかないだろう。妙が抱くようすを必死に思い出し、慎重にその身体を抱き上げた。首はすでにすわっているが、どうにも危なっかしい。しっかりと右手で頭を支え、左手で背中を支える。息ができるように気をつけながら自分の胸に頭をひっつけさせた。

「…あ、」

ゆっくりと上下にゆらしてやると、徐々にその泣き声が止んだ。潤んだ目で不思議そうにおれを見る。ぽんぽん、と背中を叩いたりしてみると笑ってみせた。

(あったけえ…)

あーあーと言葉にならない声をだして俺の顔に手を伸ばす。あわてて横抱きにしようとするが、うまくいかない。その間も小さな小さな手は空を掴もうとしていた。なんとか右腕で横に抱いて、左手を顔の前に差し出す。自分の手のひらは赤ん坊の顔よりもずっとでかい。ちょん、とこれまた小さな指がおれの人指し指に触れ、掴んだ。やわらかい感触が指をしめつける。なんて小さいんだろう。なんて弱いんだろう。なんて、強いんだろう。

「そうか、お前、こんなに力あるんだな」

わかっているんだ。おれは父親なのだからもっと触れ合わなければいけない。馬鹿みたいだけどずっと怖かった。壊してしまうのではと恐れていた。だけどこんなに強いじゃないか。もっと抱き上げてやろう。口下手だから愛を伝えるかわりに頭をなでてやろう。良いことをしたときには褒めて、いけないことをしたときには叱って、苦悩しながら共に成長しよう。おれとあいつの子だ。そう簡単に壊れたりしない。壊したりしない。何があっても守る。そしてこれから何度も思い出すだろう。自分の中だけで、もしくは妙と二人で。宝箱をそっと取り出すように振り返り、なつかしむだろう。この世でもっとも愛すべき者がやってきたその日、その瞬間を。

(やわらかい)(あたたかい)(ああ、生きている)

この子には痛みや悲しみのひとつも知って欲しくない。そう思う。苦しさや寂しさのすべてから守ってやりたい。愛と幸せと優しさの、その中心にいつだっていてほしい。だけどそんなことは到底無理だろう。あらゆる悲しみが降り注ぎ、苦しみがこの子を襲う日もくるだろう。そしてその時、おれは、支えることはできても遮ることはできないのだ。だからせめてこの不甲斐ない父親がどれだけきみのことを大切に思っているかを知って欲しい。言い表すこともできないほど愛し、触れるのをためらうほど慈しんでいることを。どれだけきみがおれの生命力を強くしているか、それをわかってほしい。いつでも自分を想うひとがこの世界にいることをわかってほしい。たとえばそれが、きみの生きる力になるなら。そんなことを思う。ひとさし指をぎゅっと握るその小さな、大切な、おれの、娘に。



きみが泣いた日



ニーナ(2011/12/12)



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