キスなんかしたことない(銀妙)
2017/07/01 23:46



事の発端なんて、もはや遠く置き去りにされていた。ただいつもよりややヒートアップした言い合いの中で、劣性になった立場を形勢逆転しようと銀時は小馬鹿にして言っただけだ。キスもしたことないくせに男を語ってんじゃねえよ。どんな脱線の末にそんな言葉が繰り出されたのかはやはり不明ではあったが、問題はそんなことではない。ぽんぽんとテンポよく投げ合っていた会話がそこで落下したのだ。銀時の揶揄に、ぱっと頬を赤らめた妙があたふたと視線を逸らす。その反応を受けた銀時は表情を止めた。
「え…?え、なにそれお前」
「なん…なにがですか」
「何なの、その反応」
「べっ、別に普通の反応ですけど」
「いやいや、絶対何か隠してんじゃん。え?なに?したことあんの?」
「は?な、ないですよ。バカなこと言わないでください」
頬に留まらず、じわじわと顔全体が赤に染まっていく。反らしたうなじや耳までもが赤く、頑なに否定すればするほど怪しい。銀時のこめかみに汗が一筋流れた。ひきつった顔の筋肉がひくひくと動く。
「え、だれ?お前いつの間にそんなこと…」
「だから違うって言ってるでしょ。銀さんの言うとおりよ。そんな経験なんてないわ」
「まさか父上〜とか新ちゃん〜とか言わないだろうな?あ、そういやお前、昔、九兵衛としてたな」
「そ、それよ!九ちゃん。九ちゃんとしたのを思い出して恥ずかしくなったの」
「え、絶対違うじゃん。今はじめて思い付いたじゃん」
「もうしつこい!きもい!ちょっとお茶入れて来ますから!」
さらに問い詰めようとする銀時から逃げるように、妙はそそくさと台所へと消えた。彼女の背中を目で追いかけ、しかし足までは動かなかった。なんだ、あいつ。銀時は首を下に向けて自分の胸の辺りを見やる。焦りの生まれた心が、ひりひりと焼かれたように痛い。いやいや、なんだ、これ。おかしいだろ。あいつが誰を好きになろうが付き合おうがキスしようが俺には一切関係ない。なのに、やけどのような痛みはひりひりと主張し続けてくる。マジかよ。ありえねえだろ。大きくため息を吐き、嘆くように両手で顔を覆った。
「…勘弁してくれよ」


ーー


妙は食器棚に身体を預け、顔を伏せていた。あああ、なんてことしたんだろう。最悪だ。あんなのもう、認めたも同然じゃないか。なんでこんな事になったのだろう。いつもの実のない言い合いを続けて、あの人が失礼な事を言って、最後は鉄拳で終わるはずだったのに!
「急に、変なこと言うから…」
言い訳した声は弱々しく床に落ちていく。本当に、その瞬間まで忘れていたの。変な事を言うから思い出してしまったじゃないか。ああ、もう、いっそのこと一生忘れていたかった。そもそもどうしてあんな事…。ぎゅっと目をつむる。その場面が鮮明に浮かんできて、また顔に熱が生まれる。頭から消し去る事はもう不可能みたいだ。いつだったか、うたた寝をした時に見た脈略のない夢。もう、ばか。あんな中途半端な時間に眠るからおかしな夢をみるんだ。どういう状況なのか、どんな景色なのかはとても朧気なのに、隣にいるのが誰かだけはっきりとしていた。なんであんな夢。しかも、よりによって、どうしてあの人。
「欲求不満…ってこと?」
そっと、唇に指を添える。夢でキスをしてくれた人の温もりが、知りもしないのに浮かんでくる。やさしく触れた手や愛しそうに見つめる瞳も、ありありと蘇ってきてとても困る。
「…どんな顔してもどればいいの」
ため息で食器棚のガラスが少し曇った。そこに映ったのは、ただの恋する女だった。

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