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不連続世界4




また新羅の家だ、ということは、目を開いた瞬間に理解できた。

「ああ、臨也。大丈夫かい?顔色が悪いね。バイタルはまぁそこまで深刻じゃないにしても、眠りっぱなしっていうのは、いったいどういうわけだろう。」

「医者が、わからないのに、俺にわかる、わけ、ないだろう」

普通に言葉を返したつもりが、蚊の泣くような声しか絞り出せなかった。
こっちの体はけっこう弱ってしまっているらしい。

「まだ起きられそうにないかい?」

「気を抜くと、呼び戻されそうに、なるね」

「呼び戻される?どこに?三途の川なら、殴ってでも引き止めるけど」

「はは、悪いね新羅、もう、少しだけ」

今度は視界がホワイトアウトした。
またあそこに戻るのだと思った。
現実の自分の体のことも少しは心配だったが、今はシズちゃんとの約束を果たしたいと、そう思っている自分に驚いた。
もう簡単にアレは夢だと言い切ることができないでいた。


−−−


「いざやーー!行ったぞーー!」

「ちょ、シズちゃん!少しは加減してよ!」

キーンと金属バットが音を立てて白球に放物線を描かせる。
9歳とは言えシズちゃんだ。
彼が本気で打ったら、ボールは県外だろう。
ライトの位置にこども用のグローブをつけて立った俺は、ボールを見失わないように小走りで後退する。
センターの位置には、同じく9歳の新羅が立っている。
ピッチャーは幽くんだ。

「何やってんだろーなー・・・」

球を追いかけながらそんなことを思う。

「俺だけ立派な成人男性だよ・・・」

警察は今のところ呼ばれてはいないようだけど、いずれそんなハプニングだって起きるかもしれない。
住所不定、身分も証明できない大人がこどもに混じって遊んでいるのだ。

「ナイスキャッチ〜」

新羅の間の抜けた声と同時に、グローブに衝撃。
バスンと重く響く音からもその白球にかかったGがどれほどかわかる。
こんな球、どんなに頑張ったって9歳のこどもには取れない。
要するに、9歳のシズちゃんには、こんなこどもらしい遊びをする相手がいないのだ。
居たとしても、怪我をさせてしまったり、デッドボールにぶち切れて乱闘したりでうまくいかないのだろう。

「シズちゃん、バッター交代しよう。今度は新羅だ」

新羅がエエ!と非難の声を上げる。
新羅にも、俺が未来人であるということを告げたが、彼はさして驚くこともなく警戒することもしなかった。
その代わり、長ったらしい講釈を延々と語りだしたところなんかは、15年前でも変わらない。
新羅と遊ぶのも、これで何度目かになるが、二言目には「いざやさん解剖してもいいですか?」だ。

シズちゃんがピッチャーになって豪速球を投げる。
打てるわけのない新羅はへっぴり腰をさらに引いて硬直してしまった。
がしゃんと音を立てたボールはフェンスの金網を突き破って川原に転がった。

「むむむ無理に決まってるだろう?!あんなの打てるわけないよ!いったいどこの筋肉を使ったらそんなボール投げれるんだ今度かいぼば」

「うるせえ!ボールどっか行っちゃうだろ!」

転がったボールを追いかけて、シズちゃんが走り出す。
俺もそのあとを追った。

シズちゃんは本気を出して遊べるともだちがいない。
新羅や弟の幽くんは遊んではくれるだろうけど、シズちゃんの力を受けることはできない。
だから、俺という大人がいることに安心しているのかもしれない。
9歳のシズちゃんは驚くほどに俺に心を許していた。

「あった?」

ガサガサと生い茂った草の根を分けてボールを捜しているシズちゃんに声をかける。

「ない。どこ行ったんだろ、この辺に飛んできたと思ったのに」

よっこらしょっとしゃがんで、辺りを見回してみるけど、ボールは見当たらない。
シズちゃんも手を止めて、俺の隣に腰を下ろした。

「疲れたかい?」

「んーん。たのしい。」

小さく首を振ってからシズちゃんは笑う。
最近、少しずつ笑い方がうまくなってきた。

「新羅は運動まるっきりダメだし、幽は俺に付き合ってくれるけど、あいつにはあいつのともだちもいるし、・・・だから、」

「うん」

シズちゃんは後手をついて空を仰ぐ。
脱色されていない髪は、それでも少し色素が薄い。
さらさらと静かに風に揺れる。

「だから、いざやが、居て、・・・居てくれて、たの、しい」

そう言うと、シズちゃんは恥ずかしくなったのか、ぷいとそっぽを向いてしまった。
その仕草につい笑いが漏れる。

「笑うなよ!恥ずかしいだろ!」

「ぷふ、ごめんごめん、なんか15年後のシズちゃんからは想像できなくて」

「俺は、俺は、意地っ張りだし、こういう、こんな性格だから、だからたぶん、何年経っても、言わないと思うから、その、い、今言ったの」

シズちゃんは頬を紅潮させて言う。
正直な感想としては、「かわいい」だ。
自分自身についていけない感覚、というのを実感している。
例え9歳だろうとあの憎きシズちゃんだ。
それを目の前にして、遊んでやったり甘やかしてやったり、終いにはかわいいだなんて、夢を見すぎてどうにかなってしまったんじゃないか俺の頭は。

「そ、それに!おまえ、いつ消えちゃうかわかんねえし、だから、」

尻つぼみに小さくなったシズちゃんの声が途切れる前に、頭を撫でた。

「シズちゃんは、いいこだねえ」

よしよし、と髪を撫でる。
最初のころはガキ扱いすんな、と手を振り払われることもあったのだけど、今ではこんなに懐柔されている。
シズちゃんは撫でる俺の手に頭を摺り寄せるようにして目を閉じる。
他人から与えられる優しさを噛み締めているのだ。
そっと顔を覗き込む。
安心しきったような表情。
9歳とは言え、しっかりシズちゃんの形をしている。
頬に少し泥がついてる。
頬と唇のすぐ横だ。
なんとなくそこを眺めていただけだったはずなのに、気付いたら、その泥が目と鼻の先にあった。
そしてシズちゃんは目を見開いて俺を凝視して、顔をさらに真っ赤にした上でフリーズしていた。

「あ、」

これは、マズイ。
9歳のこども、しかも男児の後頭部を手のひらでおさえながら、そのちいさな唇に自らの唇を近づけている。
見事なまでのキスする体勢。
合わせたシズちゃんの目は揺れていた。

(まつげも、ひとみも、色が薄い)

そんな発見をした。けれど、さらにふたりの距離が縮まってしまった。
こんな状況で、なんでこの子は何も言わないんだろう。

(殴られても、おかしくないのに)

俺は一度、シズちゃんの唇を見た。ちいさくて形のいい口元だ。
そこからゆっくり彼の色素の薄い瞳まで、視線を上げる。
バラ色に染まった頬、筋の通った鼻。
無意識に、ぺろりと唇を舐めた。
シズちゃんは、そんな俺の目を見て、濡れた唇を見て、鼻から息を吸い込んで、何を思ったのか、目をギュっと瞑った。

(きみ、それって、)

いやいやいや、ダメだろこれは。
いくらシズちゃんだからって、今は9歳のこどもだ。
俺にロリコンショタコンの趣味はないはずだ。
いやでもこれは夢だし、別にこの衝動に身を任せたところで、現実に何か影響があるわけでもないだろう。
相反する考えが脳内を飛び回るのなんてお構いなしに、唇と唇はその距離をなくしていった。
シズちゃんの吐息がかかる。

「しーずーおーくーーん!いーざーやーさーん!!」

びくっ。
甲高い新羅の声に、あと1センチにまで迫った距離は優に50センチほどになってしまった。
心臓がばくばくと音を立てる。
シズちゃんも同じらしく、胸を押さえていた。

「あ、いたいた。ボールあったかい?あれ?どうしたの?」

「あ、いや、ボール、なかなか見つからなくてね」

俺は取ってつけたかのような返答をして頭を掻いた。

「いざやさん、薄くなってる」

新羅の後ろから、ひょこっと顔を出して幽くんが囁いた。
え?と足元を見れば、存在しているはずの足はもうなかった。

「い、いざや!」

同じように、なくなった足を見たシズちゃんは、焦ったように声を上げた。
そして、コートの裾を掴もうとした。

「また来るよ、シズちゃん。またね」

シズちゃんが伸ばした腕は空を切って、俺の体はほとんどが消えてしまった。
また覚めるのだ。遥か遠くの方で大人新羅の声が聞こえるような気がする。
視界がまたブラックアウトする寸前に見えたのは、泣き出しそうなシズちゃんの顔だった。







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