不連続世界1 「だからさぁ、シズちゃん、俺は何度も君に言ってるはずなんだけどなぁ」 「うるせえ死ね!」 「はぁ・・・バカの一つ覚えってのはこのことだね、顔合わせる度に死ね死ねって」 「黙れ!クソノミ虫!!」 「ねえ、シズちゃん、いいかい?君にもわかる易しい言葉でもう一度教えてあげる。俺はね、シズちゃん、君みたいにフラフラと遊び歩いてここに居るわけじゃないんだ。俺にだって仕事がある、用があれば池袋にも来る、それを制限する権利は誰にもないんだよ?ああ、ちょっと難しかったかな?」 ぶん、と標識が空を切る。 ビルの聳え立つ青い空、白い雲。 池袋は相も変わらず池袋だ。 「そうやって、なんでもかんでも暴力で片付けようなんていう精神が野蛮だよ。」 「おまえに、言われたく、ねえ!」 シズちゃんの金髪は、繰り返した脱色のせいできしきしになっているはずなのに、太陽の光を、まるで浴びるために生まれたのだとでも言いたげなほど誇らしげにきらきらと光っている。 それがどうにも気に入らないので、コートのポケットに忍ばせたナイフを、素早く取り出して風を切った。 「て、めえ、臨也ッッ!!」 寸でのところで俺のナイフを避けたシズちゃんは、過ぎるナイフを目で追ったあとすぐに俺を睨み付けて叫んだ。 「いつもいつも池袋に来るたびに、追いかけられる身にもなってよ。君だって新宿に来なきゃならない日もあるだろう?おれだってそうなんだ、いい加減にわかってほしいものだけど」 派手な音を立てて、シズちゃんが振り下ろした「とまれ」の標識がコンクリートを飛び散らす。 「ねえ、シズちゃん。本当に、いつまで続くのかなあ?この追いかけっこは」 「知るか!」 「高校のときからだから、彼是8年になるね。8年って言ったら、赤ん坊は小学生になれる。」 ひょいとシズちゃんの大振りをジャンプでかわすと、苦々しい顔をしたシズちゃんは、チッと大きな音で舌打ちをした。 「8年もあれば、どちらかがどちらかを殺す機会なんて幾らでもあったはずだよねえ」 たたん、と廃ビルの非常階段を駆け上がった。 ここは池袋の繁華街を抜けた薄暗い路地裏だ。相当の度胸を持った人間しか、こんなところに入ろうとは思わないだろう。 その階段の手すりは、錆びていて、掴むと手のひらに錆がついた。 「例えば、君のオンボロアパートの鍵を開けることなんて簡単だし、寝てるシズちゃんの口に劇薬を突っ込めばそれで話は終わりだ。ジ・エンド。」 ぱんぱんと手の平を叩いて錆を払った。 シズちゃんは殊の外静かに話を聞いていた。 実に奇妙だ。 「例えば、一度だって君に掴ってしまえば、赤子の手のように俺の首なんて捻られたはずだ。そして俺は、運よく生きてる。それはなぜだろう?」 からん、と乾いた音がしたと思ったら、シズちゃんが「とまれ」の標識を、コンクリートの地面へ放っていた。 「くだらねえ」 シズちゃんはそう吐き捨てた。 うん、俺もそう思う。 「そう、くだらない。実にくだらないんだ、俺たちの関係は。」 シズちゃんが、胸ポケットを探ってタバコを取り出した。 とんとん、とソフトケースを叩くと一本タバコが顔を出す。 それを控えめに咥えるその仕草を何十回何百回と見てきた。 「殺人は犯罪だから、とかそんな安っぽいこと言わないでね、それこそくだらない。」 ジ、と音がして着火したライターがタバコの先端を焼く。 人差し指と中指に支えられたタバコを、ゆっくりと口から離す。 その一連の動作はそつがない。 「シズちゃん、本当は俺のこと、殺したくなんてないんじゃないの?」 ふぅーと長い息を吐いてシズちゃんは、ゆっくりと俺を見る。 「そう、思うのか?」 シズちゃんが静かにそう言った。 「さぁ、どうだろ。俺は正直、なぜ自分が君の寝首をかかないのか不思議だ。こんなに憎たらしいのにね」 ギッと錆びた手すりが鳴いた。 「殺せないんじゃない。」 「知ってるよ、俺だってそうだ。」 「殺さないんだ。」 「それはなぜ?」 「わからないのか?」 まだ長く残ったタバコをぽいと地面に落としたシズちゃんは、じりっとそれを靴底で踏み潰した。 「シズちゃんには、わかってるとでも?」 ふん、と鼻を鳴らしてシズちゃんは一つ歩を進めた。 カツンと安物だろう靴は音を立てた。 「ああ、わかるぜ」 シズちゃんはカツンカツンとゆっくり近づいてきた。 その度に揺れる金髪がきらきらと光る。 「俺は、おまえを殺さない。おまえは、俺を殺さない。その理由を、俺は知ってる」 俺がいる階段の真下まで近づいたシズちゃんは、煽るようにそう言った。 チッと舌打ちをするのは、今度は俺の番だった。 「なぁ臨也、おまえはなんで俺を殺さないんだ?」 シズちゃんがそう言って、くっと口角を上げた。 それはゾッとするくらいに美しい生き物のように見えた。 怯んだその一瞬のうちにぐらりと視界が揺れた。 シズちゃんが、錆びた手すりを渾身の力で蹴ったのだと気づいた時にはすでに体のバランスは失われたあとだった。 優に2階分はあった高さから落下する。 崩れ落ちる階段や鉄の手すりの赤い錆。 すべてがスローモーションのようにゆっくりと地面に叩きつけられた。 コンクリートが眼前に迫ったときに、衝撃に備えて目を閉じた。 −おまえはなんで俺を殺さないんだ?− 残念ながら、俺はその答えを持ち合わせていなかった。 その場を凌ぐ言葉ならいくらでも浮かんだ。 その一、喧嘩人形の予測不能な行動によって翻弄される池袋の街を眺めたかった。 その二、すぐに殺すのは勿体無い。じわじわと追い詰めてやりたかった。 等等、そんな答えはすぐに思いついたし、それで話はついたはずだった。 けれど、そのどれもが、しっくりこない。 すべて正答であって、すべて正しくはない。 (なんで、殺さないんだろう) 予期した衝撃はいつまでたっても襲い掛からなかった。 その代わり、目を閉じたあと広がった暗闇に、深く深く、奥底まで落ちていく感覚を味わうことになった。 back - - - - - - - - - - |