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シンフル






見事な夕焼けだった。
細やかな冷たい風が揺らす木の葉や、小さな池の水面、車や建物、目に見えるこの世のすべてがもえるような赤に染まっていた。
校舎はしん、と静まり返っている。時折生徒の声が響いては消え、靴音が遠のいて、またしん、と沈黙する。
静雄は手のひらを広げた。濃い影が赤い。
教室を見渡しても、朱いインクを一面にこぼした静止画のようにフィルターがかかっている。
腰かけた誰かの机が、ぎしりと音を立てた。静寂の中、その音はいびつに軋む。
窓は閉まっている。カーテンは綺麗にまとめられていた。カチカチ、と黒板の上にかけられたアナログ時計の乱れないリズム。
目を閉じても焼きついた赤は、生ぬるい曖昧なあたたかさをはらんでいて、それが心地よかった。
この色はあと数十分もすれば夜に浸食されて、かき消されてしまうのだろう。
そう思うと、目を閉じるのも惜しい。

がらがら、と立てつけの古い引き戸が開けられる音で世界が崩れた。
「静雄、なにしてるの?こんなところで。」
現れたのは、椅子や机と同じように夕日に染まった新羅だった。
「おまえこそ、」
帰ったんじゃなかったのか、と続けようとしたけれど、同級生が何をしていようとどうでもいいと思い口を閉じた。ただでさえ、1を聞けば100返ってくるような相手なのだ。
「ずっとここにいたの?」
新羅は近づいてきて、静雄が眺めていた窓の外を覗いた。新羅にとってはいつも通りの風景しか目に入らなかった。
気づけば東側から夜が迫っていた。夕焼けは逃げるように西へ向かっている。
「もう帰る。」
「そう、じゃあいっしょに帰ろう。」
がたん、と腰を上げて薄い鞄を手に取った静雄は、もう1度だけ窓枠の向こうを見て、それから歩き出した。
夕焼けが綺麗だった。もっと見ていたいと思うくらいに。
ただそれだけのことだったのだけれど、誰かに伝えるつもりもなかった。
外靴に履き替えて、昇降口を出ると薄闇は空を覆い尽くしていた。
申し訳程度に残った橙は、数分前の朱色の面影さえ残していない。
それがさびしいわけではなかったが、日が短くなってきたことを実感する。
寒いわけだ、と静雄は鼻をすすった。

すたすた、と先を行く静雄を追って、新羅は外履きを突っかけた。
正門に向かう途中でびゅうと強い風が吹いて、髪をさらった。冷たい、体の底から冷やすような秋の風だった。
それに導かれるように、ふと背後を振り返る。
校舎は変わりなくそびえていて、昇降口には人の気配もなかった。それもそうだろう、もう暗闇が迫っている。そしてこの寒さだ。
なんとなく視線を上げると、今まで自分たちがいた教室の隣の教室に人影を見た。
それが誰かなんてことは、顔の判別もできないような暗さでも纏っている空気でわかる。臨也だ。
微動だにしない影に手を振ろうかと考えていると、「おい新羅、行くぞ」と静雄から声がかかった。
どうせ臨也には静雄しか見えていないのだろうし。
新羅はそう思い直して、踵を返した。


「昨日、僕たちの帰るところを見てただろう?」
次の日、臨也にそう尋ねると、首を傾げられた。そして取り繕うように臨也は、さあ、と笑った。



ドォン、と大きな破壊音が響いた。
1階の家庭科室の窓ガラスが割れ、机が宙を舞う。
既に日常になりつつある騒動に多くの生徒や教師は、とりあえず近づかないに越したことはないと方々に散っていく。現場は発信源がこれ以上破壊をしない限りは静かなものだった。
新羅は、怪我をしない程度になら注意を促したり、止めるような言葉をかけてやろうかという軽い気持ちで、綺麗に割れたガラスのない窓を覗き込んだ。
どうせ臨戦態勢でにらみ合っているあのふたりがいるのだろうという新羅の予想は外れた。
そこには静雄だけが、肩を震わせて立ち尽くしていた。
「あれ?静雄、ひとり?」
びくり、と体を揺すって静雄は振り返り新羅を見る。新羅だと確認すると、ちっと舌打ちをしてから手前にあった机を蹴り上げた。
「あのクソ野郎、クソ野郎クソ野郎!」
真っ二つに断たれた机を何度も踏みつぶす。割れた時点で形も何もなかったが、それはもう机とは認識できない瓦礫と化した。
いつも以上に怒りを湛えている静雄に、これは本当に近づかない方がいいという考えに至って新羅はため息を吐いた。
落ち着いた頃に戻って、ぼろぼろになってしまった上履きのせいで血が流れている足の裏を手当てしてやろう。新羅は、そのままその場を立ち去った。
恐らく、手当てが必要なのは常人な、もうひとりの方だ。


教室を回って渡り廊下、男子トイレを探しても臨也は見つからなかった。
新羅にはもうひとつ心当たりの場所があったが、できればそこには行きたくないなあと思っていた。なぜなら外は寒いからだ。
ぎぎぃ、と重く錆びた鉄扉を開け放つと、フェンスにもたれるように校庭を見下ろす臨也がいた。
「やっぱり、屋上だと思った。」
新羅が声をかけると臨也は笑った。
「モンスターはまだ暴れてるみたいだね。」
「臨也。静雄に何を言ったの?今日は相当怒ってるみたいだったよ。」
臨也はふ、と笑って、また校庭に目を移した。そして別に?と言う。
よく見れば、シャツの袖口が血で汚れている。新羅は目的を思い出して、鞄から簡単な処置道具を取り出した。
無言で手を取る。臨也も何も言わなかった。
「ガラスで切ったの?浅くて良かったね。大したことないよ。」
消毒液をかけながら新羅が言えば、臨也はそれは良かった、とおどけた。
「手加減を知らないモンスターは人間界に居るべきじゃないと思わない?みんなが気をつかって君に接していることに気付いていないわけじゃないよね。君は人間を憎んでいるわけではないのだから、自ら消えるのが誰にも迷惑をかけない、いちばんいいことだと思うよ。」
軟膏を塗ったガーゼを腕の傷に押し当てると臨也が一息に言う。
「って、言ってやったんだよ。それで暴れ出した。まったく、とんでもないよ。机を石か何かと同じように投げつけてくるんだからね。」
新羅はサージカルテープを指で裂いた。それを丁寧に、ガーゼの上から貼り付ける。
おしまい、と言って軽く腕を叩くと、臨也はありがと、と小さく言った。
「君たちって、よく飽きないよね。」
滅菌ガーゼと軟膏のチューブを鞄にしまう。転がってしまったテープを臨也が拾い上げた。
「毎日毎日、いろいろな理由を見つけてはケンカして。憎み合ってケンカを続けるのって愛し合うより体力がいるだろうに。」
拾ったテープを臨也が投げてよこす。それは何度か新羅の手のひらで跳ねてから、同じように鞄にしまわれる。
臨也は黙っていたが、新羅が腰を上げて立ち上がると、きれいな発音で一雨きそうだ、と言った。
「雲が厚くなってきた。真っ黒だ。」
「本当だ。」
空を見上げる臨也と同じように新羅も雲を見た。いつの間にか積乱雲の季節は過ぎて、巻積雲が空を覆う。遠くの方から黒く厚い雨雲が迫ってきているのが見えた。
「残念。今日も見られると思ったのに。」
新羅が鞄を背負いなおして、扉に向かおうとすると、臨也の小さな声が聞こえた。まるで独り言のようなそれは、秋の高い空に溶けて消えるようだった。
「何を?」
臨也はその質問には答えずに微笑みだけ返すと、新羅を追い抜いて扉へ向かった。


新羅が錆びた屋上の扉を閉めて階段を下ろうとしたときには、既に臨也の姿はなかった。
階段を下り、渡り廊下を歩いていると静雄と会った。
「あ、静雄。足だいじょうぶかい?まぁ、君ならだいじょうぶだとは思うけど。」
「さっきは、悪かったな」
静雄はそう言うと、そのまま歩き出す。
「屋上へ行くの?」
「ああ、」
「雨が降りそうだよ。」
「ああ、知ってる。少し、風に当たってくるだけだ」
振り返りもせずに静雄は行ってしまった。
上履きはやはりゴムの底が壊れてしまったようで、静雄の足音は不恰好に響いた。


屋上の風は新羅の言った通り少し湿っていて、大きな雨雲が視界を埋めた。
昼間はあんなに日差しが出ていたのに、女心のことは知らないが秋の空が移ろいやすいというのは本当だ、と静雄はぼんやりと思った。
机を散々粉々に踏みつぶしたせいで、上履きの底が破れてしまった。コンクリートの冷たさが肌を刺す。
カシャン、とフェンスに寄り掛かって空を仰いだ。
冷たい雨にでも打たれないと、この胸のうちでごちゃごちゃと渦巻く感情を鎮めることは難しそうだった。
足の裏がじくじくと疼く。とっくに傷はふさがってしまったくせに、と静雄は舌打ちをする。
破れた上履きを脱いで、コンクリートに放った。どうせもう履けない。
靴を脱いでこんなところにいたら自殺するみたいだな、と考えてから、さっき臨也に言われたことを思い出した。
臨也の言うことは、いつも静雄の心臓を突き刺して穴をあけていく。
悔しいのか悲しいのかわからない。静雄はフェンスの金網をぐっと握りしめた。


「静雄なら、屋上へ行ったよ。」
新羅が家庭科室の壊滅状態を少し覗いて行こうと思って向かうと、また臨也と出くわした。
「ふうん」
別段興味もないような素振りで臨也が鼻を鳴らす。
「君たちはお互いにおかしな程意識して憎み合っているくせに、変なところで、それこそお互い知らないところで、似通っているよね。」
「あんなやつといっしょにしないでもらいたいね」
「ひとに見られたくないような感情を隠せないときに、君は屋上や校舎裏やそういうところへひとりで行くだろう?静雄もそうだ。体育のときやクラスメイトと協力して何かしないといけないときとか、必ず屋上へ行く。雨だろうが雪だろうが。」
臨也は新羅から視線をそらして空を見た。いよいよ空は暗い雲に占拠されている。
「今も、君に見られたくない感情を隠すために、あそこにいるんだろうね。さっきの君みたいにさ。」
新羅が天井を指さして言った。


本格的に雨が降り出しそうだった。
昇降口で鞄の中に入っている折り畳み傘を確認して新羅はそう思った。
校門へ続く道を歩きながら、臨也の言っていたことを思い出す。
(昨日の夕方は確か、夕日が真っ赤だったなあ。)
臨也はそれをもう一度見たいと思ったのだろうか。臨也にしては感傷的だ。
静雄の顔が浮かぶ。そうだ、静雄もひとり教室で窓の外を眺めていた。新羅が声をかけると名残惜しそうな表情で窓を振り返っていた。
そこまで考えてから、あのふたりのことを他人がとやかく考えたり何か言ったりしても無駄だろうと思い至って、頭を振った。
「−−−ッ」
不意に、静雄の怒声が聞こえた気がした。
新羅は校門の手前で、校舎を振り返る。
屋上には、フェンス際にひとりと、少し離れたところにもうひとりの影が見えた。フェンスにいるのは、静雄かもしれない。金色の髪が目立って見える。
なんだ、結局臨也もまた屋上へ行ったのか。ふたりもまったく懲りないものだ。
(気になって気になって仕方ないなら、そう言えばいいのに、素直じゃないんだから)
やれやれと肩をすくめて、新羅はまた歩き出す。
校門をくぐったところで、びゅうと強い風が吹いた。
それに導かれるように、また屋上へ目線をやると、そこにはフェンス際にひとつの影しか見えなかった。
(言葉が足りないんだ、ふたりには)
ぽつり、と鼻先に雨粒が当たる。
「喋れる口が、あるのにね。」





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