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Singin' in the Rain







その日は朝から雲が厚かった。灰色の雲に覆われた空に太陽の姿はほんの少しも見えないというのに、気温は30度。湿度は、動いてもいないのに汗が滲み、ベタつく肌がうっとおしいくらいに高かった。
昼過ぎから機嫌を損ね始めた曇天は、夕方には土砂降りになった。
学校の玄関のひさしからは、ひっきりなしに溜まった雨水が落ちてくる。屋根で守られているはずのコンクリの地面も、濡れた幾人もの靴底のせいでびちゃびちゃだった。
静雄は傘を持っていなかった。朝、出かけに弟から持っていくようにと言われたのにもかかわらず、忘れてしまった自分に舌打ちをした。

「天気予報も見ないのシズちゃん、今日は降水確率80%だよ。」

ビニール傘を手にした臨也が、雨の音に負けない声でそう言いながら現れたのは、静雄が昇降口に立ち尽くして10分も経過した頃だった。

「しかも明日の朝まで降り続くって知ってた?つまりいくらそこで待っていても雨はやまないんだよ。」

相変わらず嫌な笑い方をするやつだ、と静雄は腹の底で苛立ちに火がつくのを感じていた。

「ねえ、シズちゃん、入れてあげようか?」

臨也はゆっくりとした足取りで昇降口に立つ静雄に近づいて来る。

「ふざけんな、誰がてめえと」

「相合傘しようよ」

そう言って小首をかしげる臨也に騙される女はごまんと居た。静雄は何回目かわからない舌打ちをした。

「虚勢を張ってる場合じゃないと思うなあ。雨脚は弱まらないって予報で言ってたし、いくらシズちゃんでもこの雨の中歩いて帰るのは無謀だと思うよ?風邪でもひいて、明日の進級がかかったテストを受けられなかったりしたら、シズちゃんの家のひとは悲しむんじゃないかなあ。」

まぁ、なんとかは風邪ひかないって言うけどねと付け加えて笑う臨也に静雄はやっぱり腹が立った。
一言も二言も余計なセリフに、近づいて来た臨也の傘を握る手をぐいとつかんだ。

「わ、」

「俺が持つ。てめえのが小せえんだから、いいだろ」

「…なにそれ、相合傘するってこと?」

「早く寄越せよ」

シズちゃんって横暴、と言って臨也は静雄に傘を譲った。
ふたりの肩は触れ合うか触れ合わないかの微妙なラインで揺れている。そのせいで反対側の肩は当然傘からはみ出してしまい、どちらもびしょ濡れだ。

「すごい濡れちゃってるんだけど、シズちゃん、これ傘の意味あると思う?」

「うるせえな、頭濡れねえだけ有り難いと思え」

「俺の傘なんだけど」

静雄の足取りは早く、臨也も負けじと大股で歩く。そのせいで、道路の水が跳ねて裾を濡らしていく。

「シズちゃん、知ってた?今日は七夕なんだよ。」

「…ああ、7日か」

「かわいそうにね、こんな天気じゃ今年は織姫と彦星は会えない」

臨也は空を見上げた。真っ黒な雲は勢力を拡大している真っ最中だ。

「雨だと、会えねえのか」

「シズちゃん知らないの?」

「知ってる。結婚したら怠け者になったから天の川で隔離したんだろ」

「うん、まぁ、その通りなんだけどさ」

静雄のぶっきらぼうなあらすじが面白くて臨也は笑う。

「雨だと、天の川が氾濫して橋がかけられないんだよ。だからふたりは今年は会えない。」

「ふうん」

聞いてきたくせに興味もないような素振りで歩みを緩めることもしない静雄の表情はいつもと変わらないように見えた。
静雄の髪は湿気で少し丸まっている。くるんと上を向いたその一束に触れたいなと臨也は思った。

「渡りゃいいのにな」

臨也は浮かせて静雄の髪へ伸ばそうとしていた腕をひっこめた。

「え?」

「川くらい渡りゃあいいのに。そんなに好きなら。」

寓話なのだから、そんなことを言っても仕方がない。静雄は好きなひとのために氾濫して大荒れの川でも泳いで会いにゆくのだろうか、と臨也は考えてまた面白くなった。

「ねえシズちゃん、」

「なんだよ」

「例えば俺が、君にこっぴどい嫌がらせをして、君は大激怒したとする。」

「いつもじゃねえか」

「それで俺が、それこそ氾濫した川向うに逃げたりしたら、どうする?」

「追いかけるに決まってるだろ。」

「泳いで?」

「それ以外になんかあんのか」

「…ハハッ!」

シズちゃん最高!と臨也は体を折って笑った。なにが最高で何が面白いのかもわからないまま静雄は首を傾げたが、あまりに笑い続ける臨也に腹も立ってくる。

「ここでいい」

「シズちゃんち、まだ先じゃない」

「今日は新羅んちに寄ってくから」

「ああ、明日のテストの予習ってやつ?」

「それと、七夕祭りをするんだと」

新羅ならやりかねない。どうせ彼の愛しているひとが喜ぶからとかそういう理由で笹を入手したのだろう。
臨也はにやりと笑う。今日は笑ってばかりだ。

「ねえ、じゃあ、短冊に俺のおねがいごとも書いておいてくれる?」

「はぁ?そんなん書かねえし」

静雄は眉をしかめてから、持っていた傘の柄を臨也に渡した。

「織姫と彦星には申し訳ないんだけどさ、俺は他人を犠牲にしても自分の楽しみやしあわせは確保したいタイプなんだ。」

静雄は近くのコンビニの屋根に避難しながら、

「そんな長えの書けねえ」

と言って、今日はじめて笑顔を見せた。

「違うよ、書いて欲しいのはここから。いい?」

バラバラと傘に当たる雨の音が大きい。本当に土砂降りだ。

「来年の七夕も雨が降りますように。」

雨音に負けない大声で臨也が言った。静雄は目を丸くしている。

「なんで雨なんだよ。」

「来年の7月7日も、シズちゃんと相合傘がしたいから。」

思いがけず真面目な顔をしている臨也を静雄はまじまじと見つめてしまった。何を言っているんだろうこいつは。
だから、本当に自然にごくふつうに言ってしまったのだ。

「来年じゃなくたって、7月7日じゃなくたって、できるだろ別に」

沈黙。耳に痛いほどだった雨音も聞こえない一瞬。その間を置いてから、豪快に臨也が笑い出した。
その声に弾かれるように自分の発言がいかに恥ずかしいセリフだったかを静雄は遅れて認識した。

「べ、べつに、そう、そういう意味じゃねえし!」

「そういう意味ってどういう意味〜?」

臨也は傘を高く掲げて走り出した。

「短冊はやっぱりいいや!シズちゃんが約束してくれたからね!」

「約束なんかしてねえだろ!」

ばちゃばちゃと水を跳ね上げて臨也はステップでも踏むように遠ざかった。

「何してるの静雄、大声出して」

肩で息をして、手近にあったゴミ箱をいよいよ持ち上げようとしたときに、新羅に声をかけられる。

「な、なんでもねえ」

「あれ?傘は?ささないで来たの?よく濡れなかったねえ」

「…」

「?」

静雄は、今度は新羅と相合傘をしながらマンションに辿り着き、意味はないとわかっていながらも短冊に「来年の七夕は、っていうか毎日晴れますように」と書いた。










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