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50min 2








臨也にもらった菓子はうまかった。もうひとつ食べたいと思うくらいには。
だけどすすめられる前に手を出すのもどうかと思って、食べ終わった菓子のビニールを小さくたたむことに専念した。
これ以上小さくできないというところまで、ビニールを折り曲げてからコーヒーをひとくち飲んだ。
飲みごろをとうに過ぎたそれはさっきよりは甘くなっていて飲みやすかった。
気づけば、雨の音がだんだんと小さくなっている。窓の外を見れば、少し明るさを取り戻している。
洗濯機の"倍速"の文字が頭の中に浮かんだ。

「…倍速」

「なに?」

「なんでもねえ」

ここへやってきた時間など覚えていないが、弟の再放送を思い出したくらいだから17時前だろう。今17時を30分過ぎている。
もうそんなに経ったのか。何もしていない。ただコーヒーと菓子をもらって、座っていただけだ。
特異なのは、ここが臨也の部屋で、隣に臨也が座っているということだけなのに、時間の経過がこんなにも早く感じるのはなぜだろう。

「雨、やみそう、だな」

「ああ、そうだね。」

臨也も窓の方を見る。それから、洗濯機のある脱衣室の方を見た。
もうそろそろ乾燥も終わる時間なのかもしれない。
ふと、臨也は今どういう心境なのかが気になった。天敵だと心底嫌っている人間を部屋に上げて、ただ黙って隣に座っているこの状況をどう思っているのか。
いや、その前に、俺はいったいどう思っているっていうんだ。

「あと10分だよ。」

思考を中断しようとしたタイミングで臨也が言った。洗濯機の仕事が終わるまでの、あと10分なのだろう。
もう余計なことは考えないでおこうと、冷えたコーヒーを飲み干した。





ピーピーと電子音が鳴り響く。乾燥終了のホイッスルだ。

「終わったみたいだね」

そう言ってソファを立った。
脱衣室は乾燥中の熱気がこもっていて暑かった。開閉ボタンを押して洗濯機の蓋が開くのを待つ。
乾燥をかけても皺になりにくいという優れものの洗濯機だ。アイロンは必要ないだろう。たとえ皺だらけでも、彼なら気にせず着て帰りそうだ。
あっと言う間の50分だった。
がちんと音がして、蓋が開く。中から自分の衣服を取り出し、たたんだ。
洗濯機の主電源を切って、倍速の文字が目に入る。
いつもだいたい自分で洗濯機をまわすときは、倍速でまわす。大抵急いでいるときが多いからだ。
今日も何の気なしに倍速で回したけれど、通常なら1時間半、念入りだと3時間ちかく回る。
限りなくエコではないが、こっちを押していたらどうなっていただろう。もしかして、彼と夕飯を囲むことになったかもしれないと思うと笑えた。

「これのことを言ってたのか」

彼がさっきぽつりとこぼした"倍速"という言葉。そこにどんな意味が含まれていたのかはわからない。
俺にだって、この50分間の意味なんてさっぱりわからないのだから仕方がない。
彼のシャツを取り出す。真っ白なシャツは皺も目立たず、凛としていて、なんだかそれが悔しかった。
あっという間に感じたこの気まぐれな雨宿りの時間は、楽しかったわけでも腹立たしかったわけでもない。ただ穏やかに過ぎて、そしてこれで終わりだ。
それが少しさみしいとか、そんなふうに思っているのは自分だけだろうと思うとやっぱり悔しかった。
洗濯機の横の棚に、いつも使っている香水のアトマイザーが置いてある。
意趣返しだ。なんに対する?そんな自問自答を追いやって、それを手に取った。







臨也が持ってきたシャツはまだ温かかった。
借りたTシャツを脱いで、シャツを羽織る間、臨也はキッチンで何か探しているようだった。
ボタンをひとつひとつ丁寧にとめる。その行動に、まるで帰りたくないみたいだな、と他人事のように思った。
ふわりと花のような匂いがした。嗅ぎなれたその匂いがなんの匂いだったか直観的に思出せなかったし、どこから香ったのかもわからなかった。
ここが臨也の部屋であることを考えれば、臨也の匂いなのかもしれないが、室内で嗅ぐのと屋外で嗅ぐのとでは違うのだろう。
ボタンを留め終えると、ちょうど臨也がソファまで戻ってくる。
ビニール袋に残った菓子を入れている。

「Tシャツ、」

「ああ、いいよ。その辺に置いといて」

「や、洗って、返す」

「いいって、」

言いながら臨也が菓子から俺に視線を移す。時間にしてみれば1秒にも満たないのだろうけど、たっぷり見つめられた気がした。
そして臨也はふっと息を吐いて笑った。

「じゃあ、洗ってもらおうかな。貸して、それも入れちゃうから」

俺が手に持っていたTシャツを奪うと、菓子と同じビニール袋に入れて、ハイ、と寄越す。

「これ」

「おみやげ。」

受け取って中身を見ればTシャツと菓子皿にあったフィナンシェにマドレーヌ、それからクッキーなどがいくつも入っていた。

「ありがとう」

素直にそう告げると、臨也は驚いたような顔をして、それから苦い表情をした。苦いというか酸っぱいというか、そういう顔だ。
玄関を開けてもらい、エレベーターホールまで見送られる。エレベーターは1階で待機していたようで、なかなかここまで上がってこない。
臨也は携帯電話を操作していた。
いつもべらべら回る口はほとんど言葉を紡がなかった。そして俺も、イラつくこともなく、何かを壊すこともなかった。
チン、と控えめな音がしてエレベーターの扉が開く。
それに乗り込むと、臨也が扉をおさえるようにして言った。

「シズちゃん、」

礼を言うべきか悩んでいた俺は顔を上げる。臨也は特にいつもと変わりないような顔をしていた。

「明日も降るよ。降水確率は80%。予報では16時頃だね。」

「だからなんだよ。」

「別に。ただ今日の夜のお客さんが、今日のそれとは違うお菓子か、ケーキか何かを持ってきてくれると思うんだ。」

臨也はしらっと言う。

「俺は甘いものが特別好きではないし。処分に困るんだよ。」

「…そうかよ。」

それだけ言うのが精いっぱいだった。

「それじゃあね。」

「ああ」

結局、礼も言えずにエレベーターの扉は閉まった。ゆっくりと下降する箱にもたれて、臨也の言葉の意味を探す。
まるで明日も家に来いと遠回しに誘われているようじゃないか。ただそれを言ったのが食えない折原臨也だということは忘れてはいけない。
何をたくらんでいるんだか。
1階について、エントランスを出る。明るくなった空はそれでも雲に覆われている。十分に湿ったコンクリートから蒸気が立ち上るようだった。
帰り道、セルティにばったり会って、少し話をした。
彼女は別れ際に

『静雄。臨也と会っていたのか?』

「…なんで」

『臨也の匂いがするから』

そう言われて、臨也のマンションから出てもあの匂いが離れない理由がやっとわかった。
このシャツに匂いがついているのだ、と袖口を嗅いだ。

「ちいせえ嫌がらせしやがって」

ムカついたが、なんだか笑えてきてしまった。
袖を持ち上げた時に右手で持ってたビニール袋の存在に気が付く。がさりと音を立てたその中には、臨也のTシャツが入っていた。
洗って返すと自分から言ったものの、それはつまり返しに奴のマンションまで出向かなければならないということだった。
あいつは、俺の言い訳ばかりを上手に作っておいて、そのくせ自分の言い訳は雨なんていう不確定なものを利用する。
バカなやつだ、と笑った。
明日の雨が降り始めたら、また濡れて臨也の家に行ってやろう。
そう思ったら、もっと笑えた。






空が赤くなりはじめた。日が長いのはいいことだ。夜が短いのはさみしいけれど。

「明日の天気は、曇りのち雨。急な雷、にわか雨に注意。」

冷え切ったコーヒーは飲む気にならない。
テーブルにはふたつのマグカップが居座っていた。

「降水確率は80%」

彼が帰ったあとも、この部屋は変わらない。それほど、この部屋にとって彼は自然だったのだろうか。

「シズちゃんがここへ来る確率は、」

こつんと、ビショップで王将を弾いた。

「100%、かな」




















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