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もしも魔法が使えたら








夜の海へ行こうだなんて、なんてロマンチックだろうね。
もちろん誘われたわけでも誘ったわけでもないけど、終電近い電車でゴトゴト揺られてついたのは真っ暗な海だった。
君とふたりで夜の海なんてのはロマンチックを通り越して、殺害予告にも近い。
ざあざあと波の音が静かに響く。そしてざりざりと砂を踏むふたつの足音。
日中の気温が嘘のように冷たい風が吹いている。
となりを歩く彼の金色の髪もよく見えないほどの、どこまでも続く暗闇。
目を凝らしてみた君の顔といったら、なんでそんなつまらなそうに眉を寄せて。
ゆっくりと一歩一歩進む足取りは、それでもいつか、海岸の終わりに着いてしまうんだろう。
それがとてつもなく嫌で、どうにかしようとした咄嗟の行動が彼のぶらぶらと所在なく振られている手を掴むことだったわけだけど。
特にそれを怒るでも頬を染めるでもなく、君は歩みを止めた。頬を染められたところで暗くて見えやしない。

「なんだよ」

ぶっきらぼうに、そう一言。

「べつに」

君に倣って無愛想を装う。
そういえば、さっき自販機で買わされた缶コーヒー。たぷんとコートのポケットで揺れる。
取り出して彼に渡せば、繋いでいない方の手で受け取った。

「ぬるい」

コーヒーなんて好んで飲まないくせにかっこつけちゃって。それでもせめてもの微糖を選んであげたんだ感謝しなよ。
君は海に体を向けて、砂浜に腰を下ろした。繋いだ手はそのままに、それに引っ張られるようにふたり並んで座った。
こんなところにね、君が来ようだなんて思った理由を俺は知らないし知りたくもないんだ。
くだらないことをぐるぐる考えて、もともと悪い頭を働かせたところで、辿り着く答えなんてロクなもんじゃない。
ねえ、そうだろう?
顔を見上げたけど、やっぱり街灯のほとんどない海辺では表情がうまく読み取れない。

「…」

君はさっきから、俺の顔見て、口を開いて、また閉じて、目を逸らして、口をぱくぱくと。
ねえ、そんなのはもういいよ。いつもみたいに罵るか黙るかにしてなよ。
何も聞きたくない。そう思って、繋いだ手に力を入れてみた。
は、ととなりから息を吐く音。
そして緩慢な動作で君は夜空を仰いだ。満天の星空。夏の星座だ。
冷えた空気のおかげで空も澄んでいるのか、降るような星の大群がふたりを覆うようだった。

「臨也、」

静かに、小さな声で、ゆっくりと名前を発音する。今すぐにでも耳を塞ぎたいけど、手を離すのも嫌だった。
だから得意の口を動かすことにする。君の言葉の続きを遮るように捲し立てた。

「死のうかな。」

「は?」

「こんな星空が綺麗で、となりにシズちゃんが居て、もう俺、死のうかな。君の願いを叶えることにもなるだろうし。」

繋いだ手はとても冷たい。お互いの手が体温を分け合うことを拒否しているかのようだ。

「うそだよ。」

「お、ま」

「うそ。」

それでも握りしめた手の力を少しだけだって抜きたくないんだ。
俺が俯くと、彼も黙った。ざあざあ。波の音だけが響く深夜の海岸。
どうだっていいんだ。
キライだとかスキだとか、そんなものはどうだっていい。どれも必要ない。そうだろう?
ちらりと彼を見る。彼は俺を見ていたみたいで、ぱちりと目が合う。
少しだけ寄せた眉は相変わらず。それは否定か肯定か。うん、それさえどうだっていい。
もう一度、ぎゅうっと手に力を込めた。
伝わらなくたっていい。
じゃあ何がしたいんだって君は怒るだろうけど。

「開けろよ。」

しばらくの沈黙のあと、君はぐいと缶コーヒーを突き出す。
彼も手を離すつもりがないらしいことに、少し嬉しくなって、空いてる手でプルトップをつまむ。
その作業は簡単そうに見えてなかなかうまくいかなかった。俺が格闘していると、

「あ、」

彼が声を上げるもんだから、なに?と俺も顔を上げる。

「流れ星」

そう言った君の顔ときたら、さっきまでの不機嫌面は一体どこへ。小学生でもいまどきしないようなキラキラした目で夜空を追う。

「3回おねがいごとは言えたの?」

プシッと音がして、なんとかプルトップを開けることができた。

「忘れてた」

彼は空から顔を逸らさない。握ったままの缶コーヒーの存在だって忘れてしまっている。
繋いだ手を見た。不自然にからまるふたつの男の手だ。節くれだって血管が浮いてごつごつした男の手だった。

「何をお願いするの、」

視線を固定したまま彼に問うた。彼はまだ星空を探索している。

「さあ」

少しだけ、笑ったようだった。それを見てなぜか胸からこみあげるような不思議な感覚に襲われた。足のつま先からせりあがってきて、目からあふれ出しそうな。なんだろうこれ。
冷たくて仕方のなかったふたつの手のひらが少し温まったような気がした。

「おまえは?」

彼が空を捉えたまま問う。

「俺は、俺はね」

気を抜いたら溢れてしまいそうなのを無理やり抑え込んで言葉を選んだ。
そのとき、また君が小さく声を上げる。
その声に目線を空へと向かわせる。
落下する星の光。
右から左へ。

時間を止めたい。このままこうしていたい。スキとかキライとかそんなことどうだっていいって笑って、このままふたりで、きみのそばにいたい。

「間に合わなかった。」

「俺もだよ。」

10文字にも満たないその願いごとを口に出して唱えるのは至難の業だ。それも3回。
心の中でさえ素直に言えない言葉だった。

「臨也、」

帰るか、と言われそうで、また邪魔をしたくなったけど黙っていた。君の目が空ではなく俺をうつしていたから。
眉間のしわは消えていた。それでも君は口をぱくぱくさせるだけで、先を紡ごうとしない。
一度俯いて、繋いだ手を持ち上げて、じっとりと見つめて、それからまた顔を上げて、見つめ合う。
それで結局、

「なんでもねえ」

と言ってそっぽを向くんだから手に負えない。
それから今気づいたかのように缶コーヒーをひとくち飲んだ。

「まじい」

ぐいと缶を持ったまま袖口で口を拭うと、その缶を俺に押し付けてきた。

「やる」

仕方なく受け取る。微糖にした気遣いが無駄になってしまったなと思ったら少し面白かった。
ひとくちコーヒーを飲む。味気ない。こんなものに130円払う人間の気が知れない。水を飲んだ方がましだ。
悪態は無意識にだってどんどん言葉になって沸き出るのに、どうしてだいじなことは何一つこのくちびるから零れないんだろう。まぁ、それは君もそうなんだろうけど。
彼は何かを告げることを諦めたようだった。さっきまで魚みたいにパクパクしていた口は貝のように閉じてしまった。
けどその直線は緩やかだ。それがせめてもの救いだなんて、悲しいことだろうか。

「時間が止まればいいのにって、おねがいしたかったんだけど。流れ星に。」

冷め切った缶コーヒーを砂の上に置いた。思ったよりも不安定だったので、じゃりっと砂に少しだけ底を埋めた。

「ふうん」

君は興味もないような態度。いつものことだけど。
ちらりと、また顔を盗み見る。暗闇に慣れた目で捉えた彼の表情。忘れたくないなあ、なんて。

「叶ってんじゃねえの」

「え?」

「時間、止まってる。」

暗闇に慣れたのではなくて、既に暗闇に取り込まれているのかもしれない。
だからこんなにも、彼がはっきりと見えるのだ。

「朝まで、止まってんだから、このまま」

だから叶ってんだろ?そう言って繋いだ手を掲げる君は宇宙でいちばんにかっこいい。
やっぱり俺の中の何かはすぐにでもあふれ出しそうになった。










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